おっとどっこい生きている
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 兄貴は明日の夜、牧村次郎と由香里や由香里の両親達と話し合うことになった。だから、兄貴は予定通り、次の日空港へうちのお父さんとお母さんを迎えに行くことになった。
 由香里は両親と帰って行った。私はその後、物理の宿題を何とか終わらせた。
 そして翌日――。
 私は封筒に入れた『黄金のラズベリー』を郵便局に出した。後に、この『黄金のラズベリー』を頼子が盗作したのが発覚してちょっとした騒ぎになったのだが、それは別の話。
 由香里は私と友人達と一緒に学校に行った。友人達は頼子を除いて、みな由香里に同情的だった。
「大変だったね。由香里ちゃん」
「でも、みどりと仲良くなってよかったね」
「私……駿さんが私に同情して親切にしてくれているんじゃないかと、そればっかりが気がかりなんだけど」
「馬鹿ね」
 私はこつんと由香里の頭を叩いた。
「兄貴だって物好きじゃないんだから、好きでもない女の子に結婚したいなんて言わないわよ」
「でも、同情から……」
「同情から生まれる愛もあるわよ」
「……うん」
 由香里が頬を赤らめて(という言い方が一番 しっくりくると思う)頷いた。頼子がふん、と鼻を鳴らした。
 先生方にも由香里の妊娠を報告した。
「これからはこういう事例も増えていくと思う。けれど、それは仕方がない。風紀的には喜ばしくないことだけど。――取り敢えずおめでとう、高部」
 これは松下先生の言。
 頼子は言った。
「由香里が妊娠したのは由香里の責任なのに、どうしてアンタらが抱え込むの?」
「だって、私、子供を堕胎したくない、という由香里が好きになったんだもの。それに、由香里はもっと大変だと思うの」
 頼子は私をぽかぽかと叩いた。
「ああ。もう、ばかばか。だからアンタはつけ込まれるのよ」
「誰に?」
「私みたいな人に」
「頼子は……いつも私に優しいじゃない。つけ込まれたなんて思ったこと、ないわよ」
「みどり……」
 頼子は私の頭をくしゃっと撫でた。何だか泣きそうな顔をしていた。
 頼子のやったことが私にも明らかになっていれば……頼子が何でそんな悲しそうなのか、ちょっとはわかったかもしれない。けれど、私は頼子が私の作品を盗作したなんて、そんなこと知らなかったから――。
(変な頼子……)
 としか、思わなかった。
 その日、私は由香里も加えてみんなで弁卓を囲んだ。
 将人は、「大変だな。みどり。由香里もだけど」と言っていた。
「ただいまー」
 今日はお父さんとお母さんが来ているはず。村沢先生に理由を言って、早く帰らせてもらった。
「お帰りみどりー」
 お父さんが私を抱きしめてくれた。けど、やめてくれないかな。もう。私だってもう高二だよ。
「お父さん、離して……」
「みどり」
 お母さんがやってきた。
「お母さん、久しぶり!」
「ええ。久しぶりに会ったわね。私もみどりに会いたかったわ」
「じゃあ、お料理作ってあげる」
「うん。みどりの作ったご飯、私、大好きよ」
 どこか子供っぽいところのある母に、相変わらずだな……と苦笑した。
「よぉ、みどり」
「兄貴……何よ、そのかっこ」
 兄貴はかっちりとしたスーツ姿だった。
「え? 高部さんと牧村に由香里のことを話す予定だから、ちゃんとしたかっこで行こうと思ったんだけど」
「…………」
「ネクタイがきついな」
「はぁ……」
 私は溜息を吐いた。どうもズレてんのよね。兄貴は。どこがどうとは言えないけれど。
「どうした? みどり。この姿、変か?」
「……まぁ、いいわよ。それで」
「ご飯食べたら高部家へ行くからな」
「私達も行くのよ。それにしても駿、着替えるのはご飯食べてからでも良かったんじゃない? スーツ汚したりしたら困るでしょ」
 と、お母さん。お母さんもなんかズレてる。
「じゃ、普段着に戻して行く時また着替えるか」
 そう言って兄貴は洗面所に引っ込む。
「高部に会うのも久しぶりだな。僕は高部はそんなに嫌いではなかったけれど、高部が僕に絶交だと告げたんだよな」と、お父さん。
「それは何で?」
「うーん……それが未だにわかんないんだよね。僕、高部の仕事のことで何か言ったような気がするけど」
 ……まぁ、お父さんとお母さんは、ちょっと鈍感なところがあるからなぁ……いや、鈍感というより、他の人がお父さんとお母さんを理解できないだけかもしれないけれど。
「でも、こういうのも奇縁てヤツだな。一度絶交した高部の娘と俺の息子にまさか結婚話が出ようとは」
「お父さん、まだ決まったわけじゃないのよ。牧村もいるし」
「いーや。由香里ちゃんだっけ?と駿は結婚する! 俺の予感は当たるんだ」
 ――そして、確かに後にこの予感は当たることになる。

 いつもの夕食風景。いつもと違うのはお父さんとお母さんがいること。今日は純也もいる。純也は調子を取り戻しつつある。
「今日は七時に家を出るから」
 お父さんはそう言った。今は、夕方の六時半。
「この味噌汁、美味しいけど、みどりの作るのと違うわね」
「あ……はい。アタシが作りました」
 えみりがおず……と手を上げる。
「とても美味しいわよ。えみりちゃん」
「……ありがとうございます」
 お母さんはえみりの外見に偏見を持たなかったようだった。えみりも少しは落ち着いた格好するようになったしね。
「美沙子、あのこと、話していいかな」
「いいんじゃない? 断られると思うけど」
 お父さんの言葉にお母さんが答える。何だろ。
「みどり、話がある。――僕達と一緒にトンガへ行かないか?」
 ……へ? トンガ? 頭真っ白。 何でトンガなんか行かなきゃいけないの?
「ほら、僕達もみどりや駿がいないと寂しいし。駿はここにいるだろ? でも、みどりは親の庇護がまだまだ必要な年齢でもあるし……何より僕がみどりにそばにいて欲しい」
 勝手な都合で私達を置いていった張本人が何言ってるのよ!
「じょおっだんじゃないわ!」

 私は今、新井素子の影響を受けている。だから”冗談じゃないわ!”ではなく、”じょおっだんじゃないわ”よ!
「私はトンガなんか行きませんからね! ここには大勢の仲間がいるんだし」
「トンガの人達も悪くないよ。のんびりしてていい人ばかりだよ」
「俺は反対だ」
 兄貴が厳かに言った。
「僕も、みどりくんにはここにいて欲しい」と、哲郎。
「みどりがいなくなると、静かにはなるけど物足りないしな」
「オレ……秋野の飯が食えなくなることが辛い」
 雄也……リョウ……。私は胸が詰まった。リョウは食い意地が張ってるけど。リョウは最初会った時よりたくさん食べるようになった。
「ほら、ね。言った通りでしょ」
 お母さんは勝ち誇ったように喋った。
「アタシは――みどりのことは姉とも妹とも思ってるの。アタシ達からみどりを取らないで」
 えみりの言葉に、私は泣きそうになった。お父さんは引き下がった。純也も抗議するように「ぶー、ぶー」と手を振り回していた。
 ああ、みんな……私、アンタ達に会えて良かった……。

2015.4.28


おっとどっこい生きている 158
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