おっとどっこい生きている
155
「可愛いよなぁ、純也」
 髪の毛の生えそろい始めた純也の額をリョウが優しく撫でる。

「オレ、ガキも結構好きなんだ」
 へぇー……何だか意外。
「ありがとう。リョウも純也の友達になってくれる?」
「あったりまえだろ」
 リョウはどんと胸を叩いて、その後げほげほと噎せている。何やってんだか。
「由香里の子供とも仲良くできるといいわね」
「いい友達になれるわね」
 私達が希望的観測を話していると――
 ピンポーン。
 チャイムが鳴った。続いてピンポーン。
「はあい」
 私は立ち上がって玄関のドアを開けた。
 でっぷりして貫録のある大男と、影の薄い女の人がいた。
「由香里はいるかね」
 由香里……? ということは、この人達、由香里の両親なの?
「高部さんだったら部屋で寝てますけど」
「今すぐ起こしなさい。話があるんだ」
「どういうお話でしょう」
 私の声も自然、固くなる。
「高部健一が来たといえばわかるはず」
「あの……高部由香里さんのお父様で?」
「あんな娘の父親になどなりたくなかったがな」
 私はそこでムカッと来た。
「帰ってください!」
「君は娘の何なのだね?」
「友達です。由香里さんは妊娠していて心身共に大変なのに、あなた方のようなならず者を通すわけにはまいりません!」
「失礼な。君は私をならず者扱いする気かね!」
「誰が来たの〜?」
 リョウがのんびりした調子でやってくる。
「今、由香里の両親が来たとこ。すぐに帰ってもらうから」
「ふ〜ん」
 リョウがサイドに流した淡い金髪をくしゃくしゃにしてあくびをした。
「ここは下宿屋かね?」
「――まぁ、似たようなもんです」
「由香里の親が来てるの?」と、えみり。
「私は用が済むまで帰らんぞ」
 高部健一はあくまで粘るつもりらしかった。えみりがこう言った。
「そっか……じゃ入ってもらいなさい」
「でも……」
「大人には大人なりの事情があるのよ。みどりちゃん」
 気に入らないなぁ。えみりったら。いつもと違って『ちゃん』づけなんて。
 だが、えみりに怒ったところで仕方がないので、引き下がった。
 由香里の父親は、「そうそう、それでいいんだよ」と言いたげにニヤニヤしている。
「秋野駿――つまり、この子のお兄さんも呼んできましょうか?」
「是非頼む。ついでに由香里も呼んでください」
「由香里は寝てます。つわりです」
「そんなこと関係ない。呼んできなさい」
 なんて頑固なじじい――いえ、お父さんなのかしら。由香里も苦労するわね。家出するぐらいなんだからよっぽどなんだろう。
 えみりが、
「駿ちゃーん。お客様」
 などと呼ばわっている。
 兄貴は割とすぐに降りてきた。
「こんばんは。高部さん」
 兄貴の声も固い。
「秋野です。ゆうべはお世話になりました」
 ちょっと皮肉げに聞こえたのは気のせいかしら。
「いやいや。私もつい感情的になりまして」
 人当たりのいい態度で兄貴に接する。
「由香里からは確か勘当されたと聞いてますけど」
 私も刺々しい言い方になる。
「いや。勘当は取り消そう。条件を飲めばな」
「――条件?」
 私は訊き返した。その時、由香里が降りてきた。
「お父さん!」
「由香里――お腹の子は堕胎しろ」
「嫌よ! その台詞は聞き飽きたわ!」
 由香里が叫んだ。
「由香里ちゃん。父なし子を育てるのがどんなに大変かわかってるの?」
 由香里の母親が執り成すように説く。
「いーや! この子は必要があって神様から授かったのよ!」
「神様! いや、おまえの口から神様という言葉が聞けるとは――或る意味感心したよ」
 由香里の父親が大声で笑う。
「笑い事じゃないの。私、教会に行ってきた。いろんな子供達がいて、『ああ、あの子供達は神様からの贈り物なんだわ』って思ったの」
「由香里。宗教にかぶれるのはやめなさい」
「教会に連れてもらったけど、駿さんや哲郎さんはいたって常識人よ!」
「私も堕胎には反対です」
 私もつい参戦した。
「それはいいが……私は無神論者だからね。――由香里。不良息子の子供なんか堕ろしなさい」
「…………」
「子供を育てるのは、それはお金がかかることなのよ」
 と由香里母。
「おかしいですね。それは」
 兄貴の反撃。
「あなたは由香里さんを授かった時、一緒に喜びませんでした? 赤ちゃんだった由香里さんを可愛いと思ったことはこれっぽっちもありませんでしたか?」
「いや……それは、私達は見合いと言う段階を経て結婚し、順調に子供を授かったからねぇ」
「由香里さんは多少順番が変わっただけです。子供を育てる決意は十分にあります。もしなくても、我々がサポートします」
「そうだそうだー」
 兄貴の言葉にリョウも賛意を表す。私はこんな時だというのに、中島みゆきの『世情』という曲を思い出していた。ああ、腐ったみかんの方程式……。
「わかってないな。君達は」
 怒気を含んだ声で高部さんは言った。
「私は――これでも世間では成功者と呼ばれている人間でね――その娘がなさぬ仲の子を産んだと言ったら、世間はどう出るか……」
 なぁんだ。やっぱり人の目を気にしているだけなのね。
「由香里。その子のお父さんは何て言うの?」
 由香里母は優しく訊いた。由香里が悔しそうに言った。
「――牧村次郎」
「そう……わかったわ。その人とも話し合わないとね」
「ジローが会ってくれるかどうか……」
「私、牧村さんを知っているから――それに由香里、あなたの決意は変わらなさそうね。……堕胎したら一生後悔すると思うわ」

2015.3.13


おっとどっこい生きている 156
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