おっとどっこい生きている 「秋野」 ――リョウだった。帰ってたのね。 「何よ、リョウ。私達、勉強してるんだけど。あ、アンタも加わる?」 「あ、そりゃ是非とも――いや、そうじゃくって!」 リョウはちょっと慌てふためいていた。 ![]() 「オレさ、マキに電話した」 「それをわざわざ言いに来たの?」 感心するというより呆れる。取り敢えずリョウが見た目に似合わず律儀な性格であることはわかった。――そんなこと、前からわかってたけどさ。 「そしたら、マキ、なんて言ったと思う?」 「何て言ったの?」 質問に質問返し。だけど仕様がない。リョウの言いたいことがわからないんだもの。 「将来はリョウお兄ちゃんと結婚して、フクの世話をしたいと言うんだよ」 「あら、ダンとリッキィね。お似合いじゃない」 「冗談じゃねぇよ。今時の子供って、怖いね」 「女の子なんて、みんなそんなもんよ」 「そうかなぁ……」 「まぁ、真紀ちゃんは少し早熟かしらね」 「そうだよ。まだ小学二年生なんだぜ! そりゃ、マキは可愛いけどさ。オレ、ロリコンの趣味ねーし!」 リョウが頭を抱えてどうしよう、どうしようと悩んでいる。妙なところで真面目な男だ。私は由香里と顔を見合わせ――ぷっと吹き出した。私達は顔を寄せて言う。 「どうする? あれ、止める?」 「やぁよ。せっかく面白いのに」 オレの好みはアダルトなんだーっと叫ぶリョウ。さすがに少し気の毒になる。 「リョウ、真紀ちゃんが大人になったら、そんな話忘れてるわよ。彼女と誰かの結婚披露宴の肴にしたら?」 「え? それやだ」 「はぁ?」 今、アダルト好みって言ったばかりじゃない! 「だーかーらー、オレは大人の女が好みだけど、マキは誰にも渡したくないっていうか……」 「何だ。満更でもないんじゃない。諦めて結婚しなさい」 「秋野のいけず! もういい!」 リョウはドアを勢いよくバターン!と閉めた。残された私達は大爆笑! 「あーっはっはっはっ、リョウってば真剣に悩んじゃって!」 「おかしい、おかしい、あの子童貞?」 「そういう話は私にはわからないの!」 「そこがカマトトぶってるって言うのよ、みどり! でも、おかしかったー!」 「リョウと真紀の結婚式には、是非出席したいわね」 「そうね。――みどり。私と駿さんの結婚式にも出席してくれる?」 私はそこで、かちん、と固まった。 「なんですってーーーーーー!!!!!」 まさかそこまで話が進んでいるとは思わなかった。確かに私もけしかけた部分もあるけど。 「あっ、兄貴が由香里にプロポーズしたの?」 「そこまではまだ――」 「なぁんだ。リョウと真紀みたいに『ごっこ』の関係を出ないんじゃん」 「みどりだって、将人なんかと恋愛ごっこしてるくせに」 「私達は純真なの。一緒にしないでちょうだい」 「ひ……ひどいわ」 由香里が顔を覆った。 「あんな男だとは知らなかったのよ。弄ぶだけ弄んだらポイって捨てて――私、どうせだったらあんな男じゃなく、駿さんの子供を産みたかったわ」 そう言ってわっと泣き伏す。えぐっえぐっと由香里がえずく。ちょっと……言い過ぎたかしら。 「ごめんね。さっきは言い過ぎ……」 「ばぁっ!」 由香里は舌を出した。 「ちょっと! 茶化さないでよ! 心配したじゃない!」 「心配したのはそっちの勝手でしょ。ま、ジローも最低男だったけど、駿さんだってなかなかのもんじゃない」 そうなのだ。兄貴は『ダンケ』で大立ち回りをやらかしたのだ。溜飲は下がったけれど、この後どうしようという問題があるのよね。 「由香里、赤ちゃん大丈夫?」 「順調に育ってますって」 「本当に――産むのね」 「子供に罪はないもの。みどりや駿さん達に囲まれたら、感化されて立派に育つんじゃないかしら。哲郎の影響受けたらクリスチャンになったりしてー」 由香里はけらけらと笑った。その後、うっと口元を押さえた。 「な……なに……?」 「――気持ち悪い……」 「は……吐くのはトイレに行くまで我慢して!」 「もうダメ……ムリ……」 「ああ、ほら。すぐそこだから」 言ったか言わなかったか忘れたが、秋野家には二階にもトイレがあるのだ。――由香里はそこで吐いた。 「ふーっ! 間に合ってよかった」 部屋を汚されたら大変だもんね。せっかく綺麗にしてるのに。それに、ちゃぶ台の上。あそこにはノートが散らばっている。 「セーフね、セーフ」 まだ吐瀉物の臭いがするけど。水は流した。 「下行って。口ゆすいで」 「オーケー」 私の言葉に頷いた由香里は洗面所に向かった。私は便器ブラシを使ってお掃除お掃除。 赤ちゃんて、産む前から大変なものなんだ。今回のはつわりかしら。 それにしてもジローのヤツ〜〜〜〜!!!! 赤ちゃんの父親、ジローって名だったわよね。さっき言ってたもの。ああ、思い出しても腹立つ! あの居直り方! 抱いといて、「それ俺の子か?」ですってぇ?! 心当たりがあるなら親として責任を果たすのが男ってもんでしょう! ああ、やっぱり私は将人にしておいてよかった。キスもまだだけど。その方がいいのよね。だって、私達まだ高校生なんだし。 トイレに洗剤をかけると吐瀉物の臭いと塩素の臭いと手袋のゴムの臭いが混じり合う。私は力のままにガシュッ、ガシュッ!と便器を磨いた。掃除は大好き。トイレが綺麗になると、心まで綺麗になったような気がする。 「はー、生き返った」 「疲れてんじゃない? 由香里。お風呂入る?」 「いい。もう……寝る」 「そうね……第一、今から沸かす予定だったから、待ってる時間も長いしね。ベッド使っていいわよ」 「ごめん……ね」 そして、由香里はバタンキュー。涙の球が目元に浮かんでいた。 そうよね。疲れるわよね。母親は。えみりもこんな苦労したんだろうか。 えみりは雄也がいていいわ。最初、ちょっとずれた価値観の持ち主かと思いきや、意外としっかりしてたし。つか、『真面目』な親よりよっぽど親らしいわよ、あの二人。 「兄貴……」 由香里に毛布をかけてやった後。私は抜き足差し足で部屋を出て行った。 向かうは兄貴の部屋。ごくん、と喉が鳴った。 私は今、大変なことをしようとしている。 兄貴に、由香里の赤ちゃんの父親になってくれるよう、本気で頼む。その為になら、何だってする。そう、何でも――。例え、将人を裏切ることになったとしても。 ……ううん。できない。少なくとも、唇にキス以上はできない。私って、しっこしがないのかしら。 兄貴は私のキスで頼みごとを請け負ってくれるだろうか。これも近親相姦ていうのかしら。哲郎が聞いたら何て言うかしら。 ――どの道、将人を裏切ることに変わりはない。将人相手にだってキスしていないのに……。私、爛れてる……。 そう思いながらも部屋のノックを三回した。 「おう、みどり」 いつも通りの兄貴の姿だ。英字新聞なんて読んでいる。その時――開けっ放しだったドアからやかましい電話の音が聴こえてきた。私はがくっとずっこけた。同時に兄貴の部屋の電話も鳴る。はっきり言ってかなり煩い。 出てみるとお母さんだった。何だって言うのよ、全くもう! 「みどりー? 元気ー? 今からお父さんと一緒に空港行くからね!」 2015.1.18 おっとどっこい生きている 154 BACK/HOME |