おっとどっこい生きている
152
「美味しいわ。この糠漬け」
「……どうも」
 私はちょっと複雑な気分で由香里に返事をした。由香里がそう素直だと――正直言って気味が悪い。
 でも、これはお祖母ちゃんの代からの糠床から作った糠漬けだから美味しいのよね。あの糠床、結構丈夫だし。
 やっぱり褒められて嬉しいかな。お祖母ちゃんが褒められたみたいで。

「由香里。ご飯食べたら赤ちゃんのお乳の含ませ方教えるわね」
「ありがとう、えみりさん」
「やーね、えみりでいいってば! みどりっだってえみりって呼んでるんだし」
「でも……」
「いいんじゃね。えみりが言うんだからさ」
 雄也が口を挟んだ。兄貴もご飯を口の中に詰め込みながらうんうんと頷く。兄貴……食べるか頷くかどちらかにして欲しい。
「じゃあ、えみり――と呼ばせてもらいます」
 ……由香里は本当は素直な少女なのかもしれない。
「えみりとみどりは仲いいんですね」
「うん。アタシ達、えみどりの関係だから」
「何それ」
 由香里がぷっ、と吹き出した。
「お、由香里ちゃん、笑顔も可愛いな」
「ま、雄也ったら」
 えみりが軽く夫を睨んだ。雄也は言った。
「えみりには敵わないけどな」
「嬉しいわ。雄也。でも、由香里も可愛いわよ」
 雄也の今の台詞でえみりは機嫌を直したようだった。……単純。
「ところで、純也くんはまだ寝てるの?」
「そうじゃないかな」
「あ。私、純也くんの寝顔見てみたい」
「由香里も子供好きなのね」
「うん。可愛いもん」
 なんか……意外。
 私、今まで由香里のこと誤解してたかもしれない。こうして見ると、普通の女の子みたい。あ、もうすぐお母さんになるから、『女の子』という形容は当たらないかもしれない。
「由香里……ごめんね」
「え? 何でみどりが謝るの?」
「何でって……いろいろ」
「いろいろ?」
「私、由香里は意地の悪い不良娘だとばかり思ってたわ」
「みどりったら! それは過去の私よ。それに私もみどりのこと、外面のいい腹黒女とばかり思ってたからね」
 う……それ言われると弱いなぁ。別にいい子ぶってるわけじゃなかったんだけど。
「じゃあ、私達仲直りね」
 私が言うと、由香里がこくんと頷いた。
「ご馳走様。私、宿題してくる」
 私は立ち上がった。
「じゃあ、オレ、哲達が帰ってきたらあいつらの分のご飯、よそってやるよ。それから、食器も洗っとく」
 雄也が言ってくれたので、
「お願いね」
 と、頼んでおいた。ありがとうのお礼と一緒に。今までより雄也にも頼み事をしやすくなったように思える。
 私達、家族だもんね。勿論、由香里も一緒よ。由香里の赤ちゃん、純也くんと一緒に育ててもいいなぁ。私も協力しよう。
「由香里もやらない? 宿題」
「その前に私、えみりさんにお乳の飲ませ方教えてもらうわ」
「うん。アタシのできることだったら何だってやっちゃうからね!」
 えみりは力こぶを見せた。本当に力こぶがあるわけじゃないから、ジェスチャーだけだけど。
 今回の宿題は現国と物理。今日中に終わらせないと。昨日はあまり宿題どころではなかったからね。
 物理は後回しにして――先に現国をやろう。
 それにしても前に将人からもらったこのシャーペンは使いやすいわぁ。いくら書いても腱鞘炎にならずに済むわ。
 もうすぐ現国の宿題が終わる。物理は由香里と一緒にやろう。二人の方がきっと楽しい。現国も教えてあげたっていい。
 私がそんなことを考えていると――。
 マナーモードになっていた携帯が鳴った。充電していたのだった。
「はい」
「あ、みどり?」
「頼子――どうしたの?」
「あのね……お父さんが今日、ペットショップで猫買ってくれたの」
「まぁ! 良かったわね!」
「やっぱりミヤコって名づけることに決まったわ。アメリカンショートヘアーなの。とっても可愛いのよ」
 こちらにも頼子の嬉しさが伝わってくるようだ。
「うちのフクも可愛いわよ。今度遊びに来なさいよ。ミヤコ連れて」
「ありがとう。みどり。……あのね」
 頼子は何か言いたそうだった。
「どうしたの?」
「――何でもない。宿題終わった?」
「今やってるとこ」
「じゃ、邪魔しちゃ悪いわね。切るわよ」
「うん」
 頼子が電話を切った。友達からの連絡はいいものだ。ミヤコに会うのも楽しみだし。
 あ、そうだ。『黄金のラズベリー』を出版社に出さなくっちゃね。持ち込みもしてみたいけど。
 それから――明日はお父さんとお母さんが来る!
 十時に空港に来るって言うから、私は出迎えることはできないけどね。だって学校があるもの。
「みどり」
 由香里が入って来た。
「あの……さ、宿題教えてくれる?」
「喜んで」
 現国の宿題を終えた私は、由香里と一緒に物理の勉強に取り掛かった。物理は頼子の父の専門分野だ。
 いいなぁ。頼子は。物理の専門家に教えてもらえるなんて。
 でも、羨ましがってても仕方ない。それに、私もブルーバックスとか読んでいるから物理は好きなのだ。得意――という程ではないにしても。
「はー、物理って難しい……答え合ってる?」
「うん。合ってる合ってる」
「私ね――成績のいいみどりや松下さんが羨ましかったの」
「うん。気持ちわかる」
「みどりも誰かを羨んだことあるの?」
「たった今。頼子のことをね」
「松下さんてすごいよね。一時は城陽目指してたんでしょ?」
「大学は城陽じゃないかしら。それより、ほら、勉強勉強」
「はいはい」
 由香里はノートにさらさらと文字を書く。でも――はっきり言ってそんなに上手くない。前にちらっと見た教科書の欄外のマンガは上手だったのに。
「みどりのノートって綺麗ね。色ペンでちゃんと線とか引いてあるしさぁ」
「まぁ、そりゃ……」
 勉強と家事しか取り柄ないもんね。私。小説は書けるけど、ものになるかどうかわからないし。
 ――でも、本当は将来小説家になりたい。でも、頼子の方が小説は上手いのよねぇ。……めげるわ。
「どうしたの? みどり」
 由香里の言葉ではっと我に返った。由香里にせっつきながら私自身がぼーっと考え事してたら、世話ないわよねぇ。
「物理の公式ってめんどくさーい。数学もだけど」
 ――私も同じ気持ちよ、由香里。今度松下頼子大先生に来てもらおうかな。ミヤコも一緒でいいから。

2014.12.17


おっとどっこい生きている 153
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