おっとどっこい生きている
151
「ええっ?! わ、わかるっ?!」
 兄貴がわざとらしく驚く。
「わかるわよ。駿さんてシスコンなのね」
「まぁ、否定はしないけど」
「駿さんみたいな兄がいるみどりさんは幸せね」
「由香里!」
 私は駆け寄って由香里の額に手を当てた。
「……何よ。熱なんかないわよ」
「――よね。ああ、びっくりした」
 私もわざとらしく息を吐く。
 それにしても、『みどり』と呼んだり、『みどりさん』と呼んだり、一定しないなぁ。由香里も。
「さ、由香里。入ろうよ」
 兄貴がエスコートする。
「う……うん……」
 由香里が俯きながら兄貴の手を取る。まるで新婚夫婦みたい。
「お帰りなさい。由香里」
 えみりが出迎えに出てきた。
「ただいま、えみりさん。純也くん大丈夫?」
「うーん。今のところ大丈夫みたいだけど。ねぇ、みどり」
 えみりが心細そうな表情になった。
「あ……ごめんなさい。出過ぎたこと言って」
 由香里が神妙な顔をして謝った。えみりには素直なのね。
「いいのよ。別に。――ねぇ、みどり。リョウはどうするって? まだ帰ってきてないようだけど。帰ってきたならわかるはずだもの」
 えみりの台詞で、私はリョウのことを思い出した。確か地域集会には出るって言ってたわよね。第二礼拝まで出るかもしれない。フクと一緒に。
 前世が牧師だった猫、フクと一緒に。私は言った。
「リョウは地域集会だって。第二礼拝まで出るんじゃない?」
「ほんと? 哲郎が言ったの? それともリョウ自身が?」
「あ、いやぁ、その辺どうだったかな……誘ったのは哲郎さんだった気がするけど」
「ま、そのうち帰ってくるわね。フクもいることだし」
 えみりはリョウの心配はあまりしていないようだった。フクがいるから……確かにその通りなんだけど。
(可哀想に――リョウ)
 リョウはえみりさんに想いを寄せている。でも、雄也さんがいるから普段はその気持ちを表せない。
 リョウったら、フクに対するみたいに、えみりにも好意を表せたらいいのに。――雄也が妬くか。
 あーあ。私、惚れた相手が将人で本当に良かった。哲郎には奈々花がいるし。
 でも、リョウは本当に可哀想。フク以外には誰もいないんだもん。えみりでさえ大して心配してはくれてないし、私だって人のことは言えないし。
 私もそのうち帰ってくるとは思うけど――リョウには心配してくれる人がいないのね。
「リョウがどうしたって?」
 由香里が訊いた。
「ああ。別に、何でもないわ」
 えみりがあっさり片付けた。――リョウがフクにご執心な訳がわかるような気がした。
 ――上原真紀ちゃんもフクのこと好きだったわね。また来るといいいなぁ。
 リョウって何が好きだったかしら。何でも美味しそうに食べるからなぁ。好き嫌いなどないのかもしれない。哲郎もだけど。
 ――哲郎は、特にほうれん草が好きらしい。ほうれん草が食卓に上ると、
「わぁ、ほうれん草だ」
 と、子供のように喜び、神に感謝して食べる。
 その様子を見てると、私もつい、またほうれん草にしてあげようという気になるのである。
 リョウの様子が気になったが、岩野牧師もいるし結局まぁいいかという気持ちになった。私もえみりのことは責められない。それより、病気の純也の方が心配かもしれない。すぐに治るかもと思うけど。
 えみりは母親だから、純也に対する心配は私の比ではないかもしれない。
 それでも、私を手伝ってくれて感謝だ。私の話を聞いてくれて嬉しい。
 リョウにはちょっと冷淡かもしれないけど、えみりはいい人だ。リョウにだって、教会の人がいるし。
 ジリリリリ――また電話が鳴った。
「もしもし――?」
「あ。秋野さんのお宅ですか?」
 この舌っ足らずな口ぶりは――
「真紀ちゃん!」
「はい、まきです。あの――リョウさんいますか?」
 これはこれは。真紀から電話がかかってくるなんて。真紀のことはちょこっと考えてただけだったのに。
「リョウは今、教会にいますけど」
 私は時計を見た。そろそろ地域集会も終わるかな。
「そっか……」
 真紀はしょんぼりとした声で言った。リョウは男っぷりもいいし、もしかして真紀――リョウに惚れたかな?
「リョウお兄ちゃんやフクと一緒に遊びたかったなぁ……でも、今日はパパと一緒に出かける約束してたから、この時間になっちゃった」
「そっか。パパとの約束は大事だもんね」
「うん……でも、本当はフクやリョウお兄ちゃんと遊びたかった」
「あらあら。そんなこと聞いたら、パパ泣いちゃうぞ」
「ん。でも、パパより、フクの方が好き。リョウお兄ちゃんも好き」
 ――良かったね。リョウ。アンタを好いてくれる女の子がいて。まぁ、ちょっと年は若いけど。
「秋野さんちに遊びに行きたいってゆったらね、今日はおそいからダメだって。でも、まきがどうしてもいきたいってゆったら、リョウお兄ちゃんがいたら行ってもいいってパパゆってたの」
「今日はね、リョウ、いつ帰ってくるかわからないの。ごめんね。フクも教会なの」
 ――もしかしたら、哲郎と一緒に第二礼拝まで出るかもしれない。
「……ねぇ、真紀ちゃん。リョウには真紀ちゃんがいて、本当によかったと思うわ」
「ほんと? リョウお兄ちゃんがそう言ったの?」
「え……あの……私がそんな気がしただけだけど」
「なぁんだ」
「リョウが都合のいい時に電話させるね。いつになるかはわからないけど。電話番号教えてくれる?」
「ありがとう、お姉ちゃん。えっとね――」

 ――真紀が電話番号を教えてくれた。電話が切れる。そういえば、連絡先ポスターに書いておいたっけな。真紀の突然の電話を受けて、そう思った。
 リョウに真紀からの伝言を伝えておこうと思ったら、タイミングよくリョウからも電話が来たので、上原真紀ちゃんから電話があったから、暇な時にでもいいから連絡しておきなさい、と告げておいた。上原家の電話番号と一緒に。それにしても、本当にタイミングがいい。
 台所から美味しそうな匂いがする。私は思わず生唾を飲んだ。
 私が行くと、由香里がえみりの手伝いをしていた。じゃがいもとにんじんの煮物の良い香りが漂っている。――ごぼうも入ってるな。
「あ、みどり。ほうれん草のごまよごしはアンタが作りなさいよ。ごまは由香里が擦っておいてくれたから」
 と、えみりが言った。
「わかってるけど――これ全部二人で作ったの?」
「味噌汁がまだよ」
「わかった。それ作る」
「それから、ご飯は具を入れて炊飯器にかけておいたから」
「今日は随分手際がいいのねぇ」
「由香里がいるからよ」
「私ね、お母さんにいやいや手伝わされてたんだけど、それがこんなところで役に立つとは思わなかったわ」
「由香里ね、みどりと同じくらい器用なのよ」
「やーだー、えみりさんたらっ」
 由香里がえみりの肩を叩く。
「じゃ、味噌汁とほうれん草の用意したら、糠漬けも出してみる?」
「私、糠漬け食べたことない」
 そっか、もう糠漬け作る家庭なんて珍しいものになってしまったか。由香里の話を聞いてそう思った。
「この家のは美味しいわよ」――上機嫌のえみりが言う。
「ありがとう。美味しいと言ってくれて。それから、由香里も手伝ってくれて助かったわ」
「そんな……どういたしまして」
 由香里が照れるなんて珍しい。その後、私は菜っ葉と油揚げの味噌汁をできるだけ手早く作った。ダシはやっぱり煮干しでなくっちゃね。ゆがいたほうれん草には、由香里が擦ってくれたごま。それに調味料も和えて味付けをする。糠漬けはきゅうりの漬物。
 午後七時半――私達は食卓に着いた。リョウと哲郎はいない。哲郎は第二礼拝だ。リョウもフクと一緒にそれに出席すると先程の電話で言っていた。

2014.11.7


おっとどっこい生きている 152
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