おっとどっこい生きている 兄貴がわざとらしく驚く。 「わかるわよ。駿さんてシスコンなのね」 「まぁ、否定はしないけど」 「駿さんみたいな兄がいるみどりさんは幸せね」 「由香里!」 私は駆け寄って由香里の額に手を当てた。 「……何よ。熱なんかないわよ」 「――よね。ああ、びっくりした」 私もわざとらしく息を吐く。 それにしても、『みどり』と呼んだり、『みどりさん』と呼んだり、一定しないなぁ。由香里も。 「さ、由香里。入ろうよ」 兄貴がエスコートする。 「う……うん……」 由香里が俯きながら兄貴の手を取る。まるで新婚夫婦みたい。 「お帰りなさい。由香里」 えみりが出迎えに出てきた。 「ただいま、えみりさん。純也くん大丈夫?」 「うーん。今のところ大丈夫みたいだけど。ねぇ、みどり」 えみりが心細そうな表情になった。 「あ……ごめんなさい。出過ぎたこと言って」 由香里が神妙な顔をして謝った。えみりには素直なのね。 「いいのよ。別に。――ねぇ、みどり。リョウはどうするって? まだ帰ってきてないようだけど。帰ってきたならわかるはずだもの」 えみりの台詞で、私はリョウのことを思い出した。確か地域集会には出るって言ってたわよね。第二礼拝まで出るかもしれない。フクと一緒に。 前世が牧師だった猫、フクと一緒に。私は言った。 「リョウは地域集会だって。第二礼拝まで出るんじゃない?」 「ほんと? 哲郎が言ったの? それともリョウ自身が?」 「あ、いやぁ、その辺どうだったかな……誘ったのは哲郎さんだった気がするけど」 「ま、そのうち帰ってくるわね。フクもいることだし」 えみりはリョウの心配はあまりしていないようだった。フクがいるから……確かにその通りなんだけど。 (可哀想に――リョウ) リョウはえみりさんに想いを寄せている。でも、雄也さんがいるから普段はその気持ちを表せない。 リョウったら、フクに対するみたいに、えみりにも好意を表せたらいいのに。――雄也が妬くか。 あーあ。私、惚れた相手が将人で本当に良かった。哲郎には奈々花がいるし。 でも、リョウは本当に可哀想。フク以外には誰もいないんだもん。えみりでさえ大して心配してはくれてないし、私だって人のことは言えないし。 私もそのうち帰ってくるとは思うけど――リョウには心配してくれる人がいないのね。 「リョウがどうしたって?」 由香里が訊いた。 「ああ。別に、何でもないわ」 えみりがあっさり片付けた。――リョウがフクにご執心な訳がわかるような気がした。 ――上原真紀ちゃんもフクのこと好きだったわね。また来るといいいなぁ。 リョウって何が好きだったかしら。何でも美味しそうに食べるからなぁ。好き嫌いなどないのかもしれない。哲郎もだけど。 ――哲郎は、特にほうれん草が好きらしい。ほうれん草が食卓に上ると、 「わぁ、ほうれん草だ」 と、子供のように喜び、神に感謝して食べる。 その様子を見てると、私もつい、またほうれん草にしてあげようという気になるのである。 リョウの様子が気になったが、岩野牧師もいるし結局まぁいいかという気持ちになった。私もえみりのことは責められない。それより、病気の純也の方が心配かもしれない。すぐに治るかもと思うけど。 えみりは母親だから、純也に対する心配は私の比ではないかもしれない。 それでも、私を手伝ってくれて感謝だ。私の話を聞いてくれて嬉しい。 リョウにはちょっと冷淡かもしれないけど、えみりはいい人だ。リョウにだって、教会の人がいるし。 ジリリリリ――また電話が鳴った。 「もしもし――?」 「あ。秋野さんのお宅ですか?」 この舌っ足らずな口ぶりは―― 「真紀ちゃん!」 「はい、まきです。あの――リョウさんいますか?」 これはこれは。真紀から電話がかかってくるなんて。真紀のことはちょこっと考えてただけだったのに。 「リョウは今、教会にいますけど」 私は時計を見た。そろそろ地域集会も終わるかな。 「そっか……」 真紀はしょんぼりとした声で言った。リョウは男っぷりもいいし、もしかして真紀――リョウに惚れたかな? 「リョウお兄ちゃんやフクと一緒に遊びたかったなぁ……でも、今日はパパと一緒に出かける約束してたから、この時間になっちゃった」 「そっか。パパとの約束は大事だもんね」 「うん……でも、本当はフクやリョウお兄ちゃんと遊びたかった」 「あらあら。そんなこと聞いたら、パパ泣いちゃうぞ」 「ん。でも、パパより、フクの方が好き。リョウお兄ちゃんも好き」 ――良かったね。リョウ。アンタを好いてくれる女の子がいて。まぁ、ちょっと年は若いけど。 「秋野さんちに遊びに行きたいってゆったらね、今日はおそいからダメだって。でも、まきがどうしてもいきたいってゆったら、リョウお兄ちゃんがいたら行ってもいいってパパゆってたの」 「今日はね、リョウ、いつ帰ってくるかわからないの。ごめんね。フクも教会なの」 ――もしかしたら、哲郎と一緒に第二礼拝まで出るかもしれない。 「……ねぇ、真紀ちゃん。リョウには真紀ちゃんがいて、本当によかったと思うわ」 「ほんと? リョウお兄ちゃんがそう言ったの?」 「え……あの……私がそんな気がしただけだけど」 「なぁんだ」 「リョウが都合のいい時に電話させるね。いつになるかはわからないけど。電話番号教えてくれる?」 「ありがとう、お姉ちゃん。えっとね――」 ![]() ――真紀が電話番号を教えてくれた。電話が切れる。そういえば、連絡先ポスターに書いておいたっけな。真紀の突然の電話を受けて、そう思った。 リョウに真紀からの伝言を伝えておこうと思ったら、タイミングよくリョウからも電話が来たので、上原真紀ちゃんから電話があったから、暇な時にでもいいから連絡しておきなさい、と告げておいた。上原家の電話番号と一緒に。それにしても、本当にタイミングがいい。 台所から美味しそうな匂いがする。私は思わず生唾を飲んだ。 私が行くと、由香里がえみりの手伝いをしていた。じゃがいもとにんじんの煮物の良い香りが漂っている。――ごぼうも入ってるな。 「あ、みどり。ほうれん草のごまよごしはアンタが作りなさいよ。ごまは由香里が擦っておいてくれたから」 と、えみりが言った。 「わかってるけど――これ全部二人で作ったの?」 「味噌汁がまだよ」 「わかった。それ作る」 「それから、ご飯は具を入れて炊飯器にかけておいたから」 「今日は随分手際がいいのねぇ」 「由香里がいるからよ」 「私ね、お母さんにいやいや手伝わされてたんだけど、それがこんなところで役に立つとは思わなかったわ」 「由香里ね、みどりと同じくらい器用なのよ」 「やーだー、えみりさんたらっ」 由香里がえみりの肩を叩く。 「じゃ、味噌汁とほうれん草の用意したら、糠漬けも出してみる?」 「私、糠漬け食べたことない」 そっか、もう糠漬け作る家庭なんて珍しいものになってしまったか。由香里の話を聞いてそう思った。 「この家のは美味しいわよ」――上機嫌のえみりが言う。 「ありがとう。美味しいと言ってくれて。それから、由香里も手伝ってくれて助かったわ」 「そんな……どういたしまして」 由香里が照れるなんて珍しい。その後、私は菜っ葉と油揚げの味噌汁をできるだけ手早く作った。ダシはやっぱり煮干しでなくっちゃね。ゆがいたほうれん草には、由香里が擦ってくれたごま。それに調味料も和えて味付けをする。糠漬けはきゅうりの漬物。 午後七時半――私達は食卓に着いた。リョウと哲郎はいない。哲郎は第二礼拝だ。リョウもフクと一緒にそれに出席すると先程の電話で言っていた。 2014.11.7 おっとどっこい生きている 152 BACK/HOME |