おっとどっこい生きている
150
「兄貴から電話があった」
 私はえみりに簡潔に述べた。
「あらそう。何だって?」
「できる限り力になりたいって」
「由香里ちゃんの?」
「他に誰がいるのよ」
「みどり!」
 えみりは突然喚いた。
「駿ちゃん、情が移ったりしないでしょうね! 駿ちゃん、ああ見えてアンタに似て情が深いから。由香里ちゃんに愛情がないのに親切にするのは由香里ちゃんにとって残酷というものよ!」
「う……まぁ……」
「本人達同士が納得してればいいんだけどさ。みどり、駿ちゃんと由香里ちゃん、上手く行って欲しいなんて思わなかった? 結婚すればいいって思わなかった?」
「それは思った。勧めもしたし」
「駿ちゃん、モテんのよ。ファンクラブあるのは知ってるよね! そりゃ、蘭子達はいい子だから由香里に嫌がらせとかしないけどさ」
 えみりが私の襟首を掴んで揺さぶる。私の頭はくらくらになった。
「う……」
 思わず呻いた。
「あ、ごめん。みどり」
「いいけど――えみりさんこそもう少し静かにしてよね」
「ごめーん」
 えみりは舌を出した。
「うぉーい。どうしたぁ? えみり」
 雄也が起きた。
「あ、みどりが帰ってきたの」
「ふぅん……」
「ごめんなさい。雄也さん。起こしてしまって」
 私が謝ると、雄也はふわ〜ぁ、と欠伸をしながら、
「まぁいいや」
 と返事をした。

「夕飯、何作る?」
「そうだな――何がいいかな。何でもいいや」
「みどり、私も手伝う」
「そう? お願いするわ。えみり」
 結局、かやく御飯とお味噌汁をメインにした食事にすることにした。――ほうれん草のごまよごしも忘れずに。
 雄也は和室に戻って行った。私とえみりは台所に立った。
 それにしても、由香里が妊娠なんてねぇ……。私と同い年なのに。
 私もいつか――子供を作る時が来るのだろうか。
 かっと頬が紅潮したような気がした。
(子供……)
 私なんか、まだまだ自分が子供のような気がするし、もっと大人になってからのことだと思ってたけど――えみりとはそんなに年は離れていない。
 私が母親……ということは、もし、もしだよ。将人と結婚したら、将人が父親?
 考えたこともなかった。そんなこと。足元ががくがくと震える。
「みどり?」
 えみりが心配そうに覗き込む。この人は思っていたより優しいのかもしれない。今では立派な母親だし。
 私はえみりに抱き着いた。
「私、怖くなってきちゃった。大人になるのが」
 年よりもしっかりしていると言われてても、大人びていると評判でも、本当は大人なんかじゃない。一番子供なのは私かもしれない。
「みどり……」
 えみりは私をそっと抱き締め返した。
「何考えてたんだか知らないけど、アタシ達のこと、もうちょっと頼っていいのよ。みどり。初めて会った時から、アンタはどこか突っ張っているような気がして心配だったの」
「うん……うん……」
 私、泣いてもいいんだ。無理な時は無理って言ってもいいんだ。
「ありがとう、えみり。ありがとう」
 それよりも、ちゃっちゃと御飯作らなきゃ。私はえみりから離れて自分の仕事に戻った。
 洗い物も食器拭きも嫌いじゃない。私はきゅっきゅとふきんで自分の洗った食器を拭いた。
「今日はじゃがいもとにんじんの煮物も作ろうかしら」
「ああ、えみり、お願いしていい?」
「任せてよ!」
 えみりが豊かな胸元をどん!と叩いた。
「ねぇ」
「なぁに?」
 えみりはじゃがいもの面取りしながら訊いた。
「お母さんになるって――どんな気持ち?」
「どんな気持ちって言われても、日常のことだからなぁ……よく考えてないって感じ?」
 あ……。えみりに訊いた私が馬鹿でした。
「でも……一番初めに『ママ』と言われた時は嬉しかったな。片言だけどね。そういう日々の成長が嬉しいというか幸せというか、何というか……」
 ――えみりは立派なママだ。
 まぁ、多少、会ったばかりの頃は偏見持ってたけど。
「えみりさんの友達って、どんな人?」
「蘭子達のこと?」
「うん」
「蘭子はテンションが高いわね。ゆきちゃんはひたすら優しい。のりりんは大食らいでしょ?」
「うん。知ってる」
 だから、エンゲル係数にひびが入らないかどうか心配なのよね。
「それから、エリカは……まぁ、そのうちわかるわね」
 えみりが珍しくお茶を濁した。
 エリカ……首須エリカ。一体どんな人なんだろう。えみりが浮かない顔をしている。何でなの? 友達なんでしょ?
「ねぇ、えみり。エリカさんて……」
「ああ、よそよそ。こんな話」
 えみりは追及して欲しくない話題が出ると話の腰を折る。えみりの実家について話が出た時もそうだった。
 えみり……アンタ、オープンなようでいて水臭いわね。
 まぁ、いずれ聞く機会もあるだろう。
「ただいまー」
 由香里の声だ。明るい声。
「ただいま」
 続いて兄貴の声。
「お帰りなさい」
 皿を拭き終わった私は玄関まで迎えに行った。
 由香里は……。
 これが前と同じ人とは思えないくらい、穏やかな顔をしていた。
 兄貴の……おかげかな。それとも、聖栄教会の人達のおかげ?
「付き添ってくれてありがとう。駿さん。――ただいま、みどりさん」
「もうすぐご飯よ。すぐ作るから待ってて」
「みどり。私の義理の妹になる気はない?」
 と、由香里の台詞。
 え――?
 それってやっぱり……由香里が兄貴と結婚するってこと?
「由香里。俺は――」
「わかってるわよ。みどりに似たタイプが好みなんでしょ? わかってるんだから。私」
 何でわかるんだろ。――というか、周りはそう言うけど。
「駿さんのみどりを見る時の目つき、まるで恋してるみたい」

2014.9.10


おっとどっこい生きている 151
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