おっとどっこい生きている
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 しおりちゃんが、
「良かったら紹介してね。みどりさんのご両親」
 と言った。それだけのことをする時間があるかどうかわからないが、余裕があったら会わせてあげよう。
 がちゃこん、がちゃこん、とそろそろガタが来ている自転車を運転しながら、私は家に辿り着いた。玄関の扉を開ける。
「ただいまー」
 私が口にすると、サマーセーターに着替えたえみりがひょっこり顔を出した。
「あ、みどり……悪いけど静かにしてくんない?」
「どうしたの? まさか純也くんに何か?!」
「純也もぐったりしてるけどねぇ……。雄也も疲れて寝てるの」
 そっか。雄也、毎日働いている上に、いろいろあったもんなぁ……。
「ねぇ、みどり」
「ん?」
「純也、昨日から発疹が出てきているんだけど」
「そういう病気なんだって」
「でも心配よ、私。純也は純也でむずかるしさ」
「純也くんのこと、邪魔?」
 それだったら、私が部屋に引き取ってもいいかな、と思ったんだけど――。
「そんなわけないじゃない!」
 えみりがすごい剣幕で怒った。
「どんな病気になろうとも、純也は純也よ。ああ、可哀想に。アタシが代わってあげられれば!」
 えみりは爪を噛みながら、半分泣き出しそうになっていた。

 えみりは――。
 この家に来た当初より、母親らしくなっていた。私は感動に打たれた。
 由香里もああなるのかなぁ……なるといいな。
 ――やがてえみりは、ごめんね、と言いながら半泣きで微笑った。ごしごしと目元を拭く。
「哲郎は第二礼拝までいるのかしらね」
 えみりの言葉に私はこう答えた。
「そうね。多分哲郎さんは多分第二礼拝まで出るわね」
「ケータイかけてみなよ」
「確か哲郎さんは携帯持ってなかったんじゃなかった?」
「ああ、そうだったわね。勿体ない。あんな便利なもん使わないだなんて。哲郎は考えが古いのよ。時代遅れなんだわ」
「何もそこまで言うことないじゃない」
「あら。アタシより哲郎の味方すると、将人クンに言っちゃうぞ」
 そう言って、えみりは歯並びの良い歯を見せた。――今鳴いた烏がもう笑ってる。
「おどさないでよ……」
 その時、電話が鳴った。
 兄貴かな。親かもしれない。
 だが、どちらも外れだった。今まで話題に上っていた、哲郎からだった。
「もしもし、哲郎だけど――」
「なぁに? どうしたの?」
「僕、第二礼拝まで出るから」
「うん。哲郎さんが好きなほうれん草のごまよごし作って待ってるね」
「ありがとう、頼んだよ。それじゃ」
 電話は切れた。
 えみりがにやにやしている。もうすっかり立ち直ったみたいだ。
「やっぱり哲郎さん第二礼拝出るって。――何よ、えみり」
 軽く睨んでやったが、えみりはにやにやとチェシャー猫みたいな笑いをやめない。
「なんか、新婚夫婦みたいだなと思って」
「ほうれん草のごまよごしのこと?」
「んだ」
 えみりは急に訛る。
「あのねー、えみりさん!」
「冗談よ冗談。――て、まるっきり冗談でもないんだけどね」
「何よぉ」
「ねぇ、みどり。考え直さない? 将人クンより哲郎の方がイイ男だと思わない?」
「思わない」
 私の声は我ながら冷やかだった。
「どうして? 哲郎優しいわよ」
「将人だって優しいわよ」
「それにねぇ……哲郎、アンタに本気よ。フラれたら首くくって死んじゃうかも」
「オーバーなんだから。そんなに将人と私の仲を裂きたいの?」
「うん! だって面白いんだもん!」
 あたた……。純也くん、こんな大人にはくれぐれもならないように。
「それに、哲郎さんには奈々花が……」
「はいはい。奈々花ちゃんはいい子よねー。どっかの誰かさんみたいじゃなく、男を見る目もあるし」
 ぐっ。男を見る目だったら私にだってありますよーだ。将人はいい男よ。
「えみりさん、あのねぇ……」
「じゃ、私、純也達の様子見に行きまーす」
 もう、えみりさんたら!
 私もついていこうとしたら……。
 ジリリリリーン。
 文明の利器とは程遠い黒電話が鳴った。――兄貴からだった。
「よぉ、みどり」
「兄貴!」
「今、由香里の付き添いで産婦人科に来てる。今、待合室だよ」
「そう……」
 私は、自分がほっとするのがわかった。
 つんぼ桟敷は嫌だけど――兄貴は来年社会人だ。兄貴に任せておいた方が賢明かもしれない。
「ん? どうした? みどり。お兄ちゃんいなくて寂しいか?」
「そんなわけないじゃない! 私はもういい年なんだから!」
「高校生でいい年ねぇ……おまえは俺にとってはまだまだ子供だよ」
「子供で悪かったわね」
「そういうところがさ」
「――で、兄貴。由香里のこと、どうするの?」
「どうするのって……まだ決めてないんだけどさぁ……出来る限りの力には、なってやりたいと思う」
 その時――天啓が閃いた。
「兄貴! その子、兄貴の子にしちゃいなよ!」
「え……」
 兄貴は電話の奥で声をなくしたらしかった。さぁ、どうだ! 私にだって兄貴をびっくりさせてやることができるんだ!
「それも考えたんだけど――取り敢えず由香里の意見を聞かないことにはなぁ――」
「まだ話してないの?」
「俺のやわな頭ではまだ事態についていけてないんだよ」
「私も協力するわ、ね?」
「うん。俺も由香里のこと、好きなんだけどさ」
「もう、いっそ結婚しちゃいなよ。その方が話は早いわ」
「話は早ければいいってもんじゃないよ。――あ、由香里が出てきた。また後でな。じゃ」
「うん……」
 私は受話器を置いた。
 えみり達の部屋へ行く。雄也は高鼾で寝ていた。純也くんもぐっすり眠っている。えみりが私に気付いた。
「あら、来たわね。みどり……」

2014.8.9


おっとどっこい生きている 150
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