おっとどっこい生きている
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 毛むくじゃらなお腹が視界を遮った。

「よぉ、秋野」
 リョウとフクだった。
「リョウ! 教会にフク連れてきていいの?!」
「ああ……だって、フィービーやアクラだっているし」
 フィービーはリョウの足元でキャンキャン鳴いている。フクはリョウに抱かれながら、泰然自若としていた。
 兄貴と由香里と聖子先生が何かを話しているようだ。父親……だの、赤ちゃん……だのという単語が聞こえてくる。
 由香里が立ち上がった。
「じゃあ、私はこれで」
「ああ。俺も行くよ」
 兄貴が由香里について行こうとする。
「兄貴、どこ行くのよ」
「産婦人科。由香里と一緒に」
 ああ、なるほどそうか。本当は第一礼拝後に行くはずが、由香里が英語礼拝にも参加したいと言ったんだと。まぁ、英語は好きみたいだからね。彼女は。
「後で聖子先生の紹介してくれた相談所に行きますね」
 と、由香里はにっこり。
「ええ、ええ。そうしてくださいな」
 岩野牧師の奥さん――聖子先生が柔和な笑顔を見せた。
「あ……産婦人科、私もついてく?」
「いや、俺が行くから大丈夫だって」
「私、つんぼ桟敷はごめんよ」
 それにしても、こんなに由香里に親身になってるなんて――。
「兄貴、由香里に気があんの?」
「アホ」
 兄貴はこつんと私の頭を叩いた。
「じゃ、後でどうだったか教えてちょうだい」
「わかった」
 兄貴は私に向かって親指を立てた。
 由香里と兄貴は出て行った。
「やぁ、みどりさん」
 岩野牧師がにこにこしながらやってきた。
「あ、岩野牧師。こんにちは」
「大変だったようだねぇ、あの子――由香里ちゃんて言ったっけ」
「ええ……でも……」
 まだ自業自得と言う感は拭えない。あんなつまらない男に引っかかるなんて。隙があるからそういうことになるのよ。
 ああ、やっぱり私まだ、由香里のこと苦手みたい。同情には値するかもしれないけどね。
「妻はね、困った人達が相談する場所に詳しいから」
 世話焼きおばさんてわけね。だから、私は聖子先生が好きなのだな。
「秋野。トイレ行くからフク預かって」
「うん」
 私はリョウからフクを渡された。フクはゴロゴロと喉を鳴らしている。
 いいなぁ、猫は。何にも悩みがなさそうで。
 それにしても……猫ってぐにゃぐにゃしてる。そこがいいんだろうけど、何となく頼りない。
 その後、トイレから帰ってきたリョウはまたフクを抱いて行った。
「雄也さんとえみりさんはまだ息子さんの看病ですか?」
 岩野牧師の言葉に私はあることに気が付いた。
 そういえば、純也に行ってきますを言うのを忘れてた!
 雄也はどうか知らないけど、えみりはまだ純也の看病してるのかなぁ……。
「あ、あの……純也くん、まだ治らなくて……」
「お兄さんから聞きましたよ。では、お祈りしましょうね」
「はい!」
 私達は一緒に祈った。
 早く純也くんが良くなりますように……。ついでに由香里の悩みが軽減しますように。由香里の赤ちゃんが祝福されて生まれてきますように。
「みどりお姉ちゃん」
 隼人がやってきた。マーシャも一緒だ。マーシャが訊いた。
「純也、病気?」
「うん。大したことはないんだけどね」
 ――多分。
「早く治るといいね」
 と、隼人。
「そうね。ありがとう」
 私は二人に笑いかけた。二人とも優しいから。そばにいたフィリップも祈ってくれた。フィリップには由香里のことは話さなかったが。少なくとも私からは。
「マーシャも純也と一緒に遊びたい」
「そうだよねー。純也くん、可愛いもんね」――私も微笑みかける。
「うん。でも、今日はフクが来たから嬉しい」
「え? なになに? フクが可愛いって?」
 やだ。リョウったら。聞き耳を立てていたのかしら。私が軽く睨めつける。リョウはそんなことはお構いなしに、
「純也くんの代わりに、フクと遊んでやってよ」
 と言う。
「うん。マーシャ、猫大好き!」
「ぼくもだよ。大好き!」
 おやおや、すっかり人気者ねー。フクくんは。――私は紅茶を啜った。
 さてと。神光教会の方にも行ってくるかな。
「ご馳走様でした。神光教会に行ってきます」
「オレは帰るよ」
「リョウくん。まだ地域集会があるんだけどね。第二礼拝もあるし」
「そうだなぁ。フクも行くか?」
「ナーオ」
「――行くってさ」
 メロメロな顔でリョウが言った。やれやれ。すっかり骨抜きじゃない。
 それにしても、キリスト教が好きな猫なんて珍しいんじゃない? 前世はやっぱり神父か牧師だったりして。
「秋野さん。麻生牧師に宜しく伝えておいてください」
 笑顔の岩野牧師に、私は「はい」と答えた。
「みどりちゃん行っちゃうのね。寂しい」
 嬉しいこと言ってくれるじゃないの。奈々花。
「哲郎さんがいるじゃないの」
「ん……そだね」
 奈々花の顔が赤くなったような気がした。哲郎はまだこの教会にいる。
 美和、今日子、友子も別れを惜しんでくれた。なんなら一緒に来ればいいのに。でも、みんなそれぞれ予定があるかな。
 私は自転車で神光教会に向かった。
 しおりちゃんや麻生が快く出迎えてくれた。牧師夫妻も。
 麻生牧師の奥さんにお茶で歓待してもらった。聖栄教会でも紅茶をふるまってもらったけど……別腹よね。
「この間はありがとうございます」
 牧師が深々とお辞儀をした。
「あ、いえいえ……。岩野牧師が麻生牧師に宜しくと言っていました」
「あれは俺の問題だったのに――親父や秋野や岩野牧師まで巻き込んで済まないと思ってるよ」
 なんか……随分成長したみたいね。麻生。
 みんなのおかげで兄貴も大人になったみたい――これはしおりちゃんの感想。
 溝口先輩や冬美も加わってすっかり話し込んでしまった。

2014.5.20


おっとどっこい生きている 148
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