おっとどっこい生きている
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「ん……」
 気がつくと朝だった。毛布がある。誰かかけてくれたのかな。ありがとう。
 ああ、そうそう。ゆうべ兄貴からメールがあったんだっけ……。
『由香里が妊娠したこと親に話した。大騒ぎだ。結局、加奈ちゃんには帰ってもらった』
 それから……詳細を待っているうちに寝てしまったんだっけ。
 そういや、今、何時? ――ぎゃっ! 六時?!
 寝坊だわ! いくら今日が休みだからって!
 こんな無理な体勢でずっと寝てたわけ? 私。体のあちこちが痛いはずだわ。
「秋野さん。おはよう」
 ひぇっ! 由香里の幻覚が見える。……わけないか。
「由香里……アンタどうして」
「私、家出したの」
「い……家出?」
「今日からお世話になるからよろしく」
 よろしくって言われても……。
「大体、アンタ私のこと嫌いじゃなかったっけ?」
「一時休戦よ。秋野さん」
 それは構わないし、別に由香里と喧嘩したいわけじゃないけど……。
「南さんは? 無事帰ることできたのかしら?」
「大丈夫よぉ。やっぱりアンタって少しずれてるわね」
 由香里はけたたましく笑う。何か言ってやりたいところだが……笑い声が頭に響く……。それにずれてるのは由香里も一緒じゃない。由香里自身の親友の加奈にまで心配かけて。
「やぁ。おはようみどりくん」
 哲郎だ。
「おはよう……」
「ねぇ、佐藤さん」
 由香里が口にした名前を誰だっけ?と寝ぼけた状態で思い出そうとしたら――
 ああ、そうか。哲郎の本名って佐藤哲郎だったっけ。ずっと下の名前で呼んでたから、すっかり忘れてたわ。
「何でしょうか」
 哲郎は馬面に人の良い笑みを浮かべた。
「佐藤さん、教会行ってるんでしょう? 私も連れてってくれない?」
「え? いいけど……」
 兄貴がやってきた。
「おはよう」
「ねぇ、ちょっと兄貴……これ、どういうこと?」
「由香里を一時預かることにした」
「預かることにしたって……簡単に言わないでよぉ」
 でも、考えてみれば哲郎のことも渡辺一家のことも、リョウのことも、それからフクのことも――。
 みんなこんな風に預かっているわけだからねぇ……。
 でもさぁ……昨日はハイテンションだったから思いつかなかったものの……。
「ねぇ、由香里。後ででいいから市役所とか相談所とか然るべきところに相談した方がいいんじゃ……」
「秋野さんは黙ってて」
 ……わお。全然変わってないわね。由香里。氷の女。怖い。
「私も行った方がいいとは思ってるけど、まずは教会からね。その後産婦人科にも行かなきゃ」
「ねぇ……親御さんとはどうなったの? 由香里」
「ついに我慢も限界らしくて勘当されちゃったわ。あっはっはー」
「笑い事じゃないでしょ!」
「秋野さんとこはいいわね。自由で。ご両親トンガでしょ?」
「それって皮肉?」
「まさか。本心よ」
 余計いかんのと違う?
「明日から数日間一時帰国するけどね」
「そう? 駿さんのご両親に会うの、楽しみにしてるわ♪」
 駿さん?
 おいおい、まさか由香里まで兄貴のファンになったとかいうんじゃないでしょうね。
 それに、私の両親でもあるんだけどな……。
「由香里の両親て、どんな人達なの?」
「んー……何と言ったらいいか……」
 兄貴は歯に物が挟まったような言い方をする。 
「いいわよ。あんな人達に遠慮しなくても。あの人達、私に堕胎しろ堕胎しろって命じるの。娘が妊娠なんて世間体が悪いけど――って。とっくに崩壊した世間体を守るのに必死なのよね」
「そう……」
 由香里が可哀想になってきた。
「しかも駿さんのこと私の彼氏と間違えて散々嫌味いう始末。違うとわかると、『それでも君も娘に手を出したからこんなに娘の為に一生懸命になってるんだろう』って。私、あんな親の元に生まれてこなければよかった!」
「由香里くん!」
「……佐藤さん……」
「哲郎でいい。君は誤解を解く努力はしたのかい?」
「…………?」
 由香里の目元に――涙の珠が浮かんでる。
「昔、いろいろいいと思ったことやったわよ。率先してお手伝いしたり、怒られても素直にいうこと聞いたり。どうせ――幸せに生きてきたアンタにはわからないわよ!」
 つまり、由香里は反抗期ってやつ?
でも、その反抗期は重大な意味を孕んでいた。何せ、由香里のお腹には赤ちゃんがいるのだ。
 ただの反抗期が、『ただの』反抗期でなくなってしまった。
 由香里が何週目かわからないけど、後数か月もすれば、新しい命がこの世に、生まれる。
 そして、何らかの形で世界が、変わる。
「わかった。済まなかったね」
「哲郎さん……」
「僕の手には負えない問題だから……岩野牧師にも相談したいな」
「いや、それより、やっぱり……」
「秋野さん。あなたのいう然るべきところについては後日行ってみるわ」
「俺も教会に行くよ」
 ……え?
 今、兄貴、なんつった?
「俺も教会に行く」
 兄貴はきっぱりと宣言した。哲郎が溜息を吐いた。
「はぁ……僕の悲願がこんな形で成就するとはねぇ……なんか複雑だな……」
 兄貴は、哲郎が救われたら教会に行くって言ってなかったっけ。
 でも、由香里に付き合って教会に向かうなら、かなりのお人よしと言わねばなるまい。それは私以上だ。
 私は大きく欠伸をした。何だか寝た気がしない。
「みどりくん。少し休んだら?」
 えーっ?! 何はなくとも教会に誘う哲郎さんが、「少し休んだら?」ですって?!
「勿論教会で寝てもいいけど……だらしないと眉を顰める聖徒さんもいるからね……それに……昨日はいろいろあったし」
「わかった……」
「あ、でも行きたいなら一緒に行こうよ」
「ううん、少し休む……」
 私はベッドに入るとそのまま寝てしまった。
 熟睡した。夢も見なかった。
 目を覚ますと三時半。英語礼拝にも間に合わなかったな……。
 まぁいいや。ちょっと顔出しして来よう。着替えた私は自転車を駆って教会に着いた。

 教会では常連さん達が集まっていた。私の友人達も(頼子を除いては)。兄貴もまだいる。
 それよりも……。私は目を瞠った。由香里が笑ってる! しかも、無理していない心からの笑いだ。
 岩野牧師の奥さんが話を聞いているようだった。

2014.3.17


おっとどっこい生きている 147
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