おっとどっこい生きている
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「みどり、加奈ちゃん、今日はもう遅いから君達も家に送って行くよ」
 兄貴が言った。なぁにが『君達』よ。加奈がいるからって――そんなこと言っている場合ではないわね。
「私も行くわ!」
「私も!」
「どうして――加奈ちゃんは友達だから付き添いたいのはわかるけど、みどりまで――」
 兄貴が訊く。う……そりゃ、由香里は苦手な部類に入るし、できることなら関わり合いたくなかったけど――仕様がないじゃない。
 ああ、燃えるようなこの気持ち、この気持ちは――。
「放っておけないでしょ!」
 それを聞いた雄也がくっくっと髪を揺らして笑った。
「それ、さっきの駿のセリフ」
 あ、そか。
 知らぬ間に影響されてるのね。ああ、恐ろしい……。
「そりゃ、クラスメートが妊娠してるって言ったら心配だろうけど」
「心配じゃないわ。はっきり言って――」
 なんて言ったらいいのかしら。はっきり言ってそう――。
「はっきり言って、好奇心よ!」
 みんながコントみたいにコケた。そんなに変だったかしら。
「まぁ、そういうことにしておこう。本当はもっと別の理由からだろうけど」
 兄貴がまとめた。
「雄也、行くか?」
「いんや。俺、もう疲れた。コンビニ寄って帰る」
「だったらえみりには連絡しておけ」
「わぁったよ。ケータイにかけてみる」
 雄也が携帯を取り出してかけた。――あれ? 雄也って確か携帯止められてたんじゃなかったっけ? 料金はバイト代でもかき集めて支払ったのかな? 親が払ったのかな? まぁ、今はそんなこと気にしてる場合じゃないけどさ。
「…………」
 しばらく待っていても誰も出ないようだ。
「あっちでも何かあったのかな。例えば――」
「例えば?」
「のりりんが秋野家の財産食いつぶしたので言い訳考えてるのかも」
 きゃー! 我が家のエンゲル係数がぁっ!
 ――て、ついのってしまったけど。
「雄也さん。のりりん――則子さんは帰ったのよ」
「……わかってるって」
 えみりが出ないのは、誰かと話しているか、それともお風呂かトイレか熟睡してるか――。
「出ねぇなぁ……」
「えみり、もしかして浮気の電話してるとか……」
「駿ー……下手なジョークはやめてくれよ〜。えみりがいないと俺、生きていけねぇ……」
「なぁによ! しゃんとしなさい! アンタがえみりを裏切ることがあっても、えみりはアンタを裏切らないわ!」
「みどり……それって俺に対してひどいだろ……」
「だから、安心しなさい。本当は純也の面倒見てるのかもしれないし」
 私は雄也さんの背中を叩いた。
「みどり……アンタ、ほんとはいいヤツなんだよな」
「当たり前じゃない」
「――うん、アンタ、やっぱり駿に似てるよ」
 兄貴にか……それは少し複雑な気分だ。
「そうね」
 由香里まで……。
 けど、今の一件で、兄貴が怖くなったと同時にちょっと見直した。そりゃ、暴力はいけないことだけど――。
「哲郎には伝えとかないのかよ」
「あいつ、携帯持ってないだろ」
「あのなぁ、駿。家にあるあの黒電話、何の為にあるか知ってるか?」
 あ、そうよね。家族やみんなと離れたところで通話する為に決まってる! 私達、ちょっと混乱してるみたい。哲郎とはいつもあの電話で話してるのに。
 でも――えみりが純也の世話の疲れとかで寝てたら、起こすことになったりして……。純也だって薬が効いてたらもう夢の中だろうし。
 それか、さっきは言えなかったことだけど、純也に何かあって電話どころではなかったとか……。
 ひ〜っ! もうこれ以上災難は勘弁して!
 兄貴が我が家の立派な黒電話に向けて携帯をかけた。兄貴も携帯持ってたの。
「――話し中だわ」
 兄貴が呟いた。
 家の黒電話でえみりが誰かと話してるってことかしら。それとも哲郎さん?
 いずれにせよ、電話代はきっちり払ってもらいますからね!
「みどり。おまえもやっぱり帰れ。おまえは俺が送ってってやるから」
「でも……」
「いいから帰るんだ」
 由香里の顔が緊張で強張っていた。私達は車に乗る。雄也とは駐車場で一旦別れた。

「由香里ちゃん。もうすぐだからね」
 由香里は黙っている。加奈の呼びかけにも応じない。
 私も……こんな由香里を見るのは初めてでしのびなかった。
「元気出しなさいよ。由香里。ふてぶてしさがアンタの取り柄じゃない」
 我ながら酷いこと言ってる……けど、本気じゃないからね。
 ほら、由香里。みんなついてるからね。
「いつもみたいに悪態ついてみなさいよ! こらぁ……」
 私の目から涙がぽろっと――本当に意識しないうちにぽろっと流れ出た。
「由香里ちゃん……」
「加奈、みどり……悪いけど静かにして」
 由香里の声は硬かった。
 由香里……。
 今、何を考えているのかしら。あの最低男のこと? お腹の赤ちゃんのこと?
「――みどり、家のこと頼む」
 兄貴がぶっきらぼうに告げた。兄貴も……何だか変。
「――わかった」
 由香里のことは兄貴と加奈に任せよう。えみりのことも気になるし……。
 普段は何とも思わないことだけど、いろんなことが重なって、みんな少しナーバスになっているから――リョウもじき帰ってくるかもしれない。
 リョウのことを思い出したら、心が少し軽くなった。あいつも大切な――私の友達。
 私は不意に書きあげた原稿のことを思い出した。でも、今はそれどころじゃない。なんたって、クラスメートの危機だもの。
 家に着いた。
「兄貴、由香里送り届けたら連絡よろしく」
「ラジャ」
 私は由香里と加奈にもさよならを告げて車から降りた。兄貴の車が走り去って行く。
 玄関を開けた時だった。
「きゃはははは! なぁんだ! 駿ちゃんにもそういうとこあったんだぁ」
 な、何よ、この底抜けに明るい声――シリアスしてたのががらがらに崩れてしまうわ。
「あ、みどり。お帰り。お父さんからよ」
 お父さん……何て空気読まない人なの?! ――と言っても始まらない。なんせテキはトンガにいるんですからね。
 えみりは私のお父さんと話していたから携帯に出なかったのね。
「あ、みどり帰って来たから代わりますね」
 私はすーはーと深呼吸した。よし! 落ち着きを取り戻して――。
「お父さん……」
「おう、みどり――」
「もう電話切るからね! こっちはいろいろ大変だったんだから! 月曜に会うからいいでしょ?! それじゃ」
 私はがちゃん!と黒電話の受話器を置いた。ちっとも落ち着いてなかった……。

2013.12.27


おっとどっこい生きている 145
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