おっとどっこい生きている
142
「ああ、南さん。初めまして。みどりの兄の駿です」
 兄貴が加奈に頭を下げた。
「あ……あの……知ってます。秋野さんのお兄さん――駿さんは有名人ですから」
 ええっ?! 兄貴が有名人?!
「ちょっと兄貴。私がいないところでなに悪さしてんのよ」
「別にしてないって」
「あ、秋野さんのお兄さんって、結構素敵な人だから……」
「みどり、わかる人にはわかるんだぜ。この駿さんの魅力が」
「お黙り」
 私は兄貴を一瞥した。加奈がくすっと笑う。兄貴が咳払いをした。
「んで? 加奈ちゃんは急ぐんだろ?」
「……ええ。まぁ」
「俺も急いだ方がいいと思う。車に乗れ。取り敢えず加奈ちゃんが話していた『ダンケ』に行ってみよう。あの店なら俺も知ってるし。――ああ、みどり。携帯から電話で哲郎やえみりに伝えとけ」
「わかった」
 ――と言っても、いま携帯持ってないんだわ。どうせリョウが自分の持ってくるし、と思ってたし、何かあったらリョウに訊くつもりだったし。
 私ってこれでリョウのことあてにしてるんだろうな。あいつ猫馬鹿で成績も悪いけど。
 私が逡巡していると……。
「あの……貸しましょうか?」
 そう言って加奈が差し出したのは可愛いストラップのついたピンクの携帯。ストラップはビーズのやつだ。
「あ、これ、加奈が作ったの?」
 するっと加奈って呼んでしまった。相手は恥ずかしそうにこくんと頷いた。
「素敵じゃない! 今度作り方教えてよ!」
「あ、だって、秋野さんもそのアクセサリ……」
「ああ、これ? これは将人にもらったの」
「おい、いい加減にしないか。行くぞ」
 兄貴がいらいらしている。変なの。
 お父さん達がいる時はあんなにいつもにこにこしていて鷹揚に構えていたのに――いつも『気にしない気にしない』がモットーだったはずなのに。
 私達の存在が兄貴にプレッシャーかけているのかなぁ。それとももともとこんな性格だったんだろうか。
 私には兄貴が別人のように変わった気がする。尤も、私も兄貴のことそんなに知っていたわけじゃないけど。
 兄貴のことについて日々新たに私の知らなかった面が浮かび上がってくる。兄貴が何か犯罪を犯していたと知っても、今の私だったらそんなに驚かないだろう。
「待って」
 兄貴の車は赤いボディのやつ。車種? 私はそんなもの知らないもの。
 兄貴も普段はバイクを使ってるけどね。
 後部座席に加奈と私は乗り込んだ。
「急ぐぞ」
 私は早速加奈の携帯でうちの黒電話にかけた。
「――もしもし」
「ああ。哲郎さん? もしもし、私、みどりだけど」
「あれ? どうしたんだい? みどりくん」
「えみりにも伝えといて。私、今から『ダンケ』というお店に行くから!」
「――え? なんで?」
「頼まれちゃったのよ。一緒に来てくれって」
「わかった。えみりくんには僕から伝えとく」
「みどり。雄也にも連絡しておけと伝えろ」
「――うん。あ、兄貴がね、雄也さんにも連絡してって」
「雄也にも『ダンケ』という店にいることも伝えるように忘れずに言っておけ」
「あ、兄貴がね、『ダンケ』って店にいることを雄也さんに伝えてって――」
「『ダンケ』……聞いたことあるなぁ」
 哲郎さんは間延びした声で言った。
「必ず言えって言って」
「必ず言えって」
「わかったよ、みどりくん。雄也くんには僕から必ず伝える。まだ店の方にいると思うから」
 あ、そうか。店に連絡すればよかったんだ。でも私、携帯置いてきたままだしな……。自分の携帯にはちゃんと『輪舞』の電話番号も登録してあるんだけど。
「お願いね」
 私は電話を切った。
「上出来」
 バックミラーに映る兄貴の顔は笑っていた。
「ねぇ……『ダンケ』ってそんなにがらの悪いところなの?」
 気になって私は質問した。
「うーん。ちょっとみどりには聞かせられないなぁ……」
 悪いってことね。
「がらが悪いなんてもんじゃないです!」
 加奈が兄貴の気遣いを台無しにした。そんな彼女を責める気にはなれないけど。
「由香里ちゃんにも何度も注意しました。でも、全然ききませんでした」
 ――加奈も加奈で苦労してんだな。
 繁華街の駐車場に着いた。
「少し歩くからな」
 兄貴はすたすたと大股で歩く。兄貴ってあんなに足早かったっけ。
 ――と、そんな場合じゃないや。気は進まないけど由香里を説得しないと。
『ダンケ』は街の外れの地下にあるらしい。兄貴の後ろから私と加奈がついていく。

 店に入った途端、がんがんと騒音が耳をつんざく。
 なるほど。こりゃあんまり良くない店だわ。詳しくない私にもわかる。私達、はっきり言って場違いだわ。
「お、可愛いコ。かーのじょっ、一緒に飲まない?」
「悪いけど他に用がありますので」
 ナンパしてきた男は軽く舌打ちするとグラスを持ったまま消えてった。
 それよりも由香里、由香里、――と。いた。
「何それ、どういうこと?」
「だーかーらー。堕ろせって言ってんだろ」
「私とのことは遊びだったと言うの?」
「ああ」
 私は――というか私と兄貴ははっきり言って耳がいい。音楽の鳴る中でも由香里と相手の男とおぼしき人の声がしっかり聴こえる。
「由香里!」
「あ――秋野さん?」
 由香里は驚いて目を見開いた。
「由香里ちゃん!」
「加奈まで――どうしたの?」
「誰だい? そいつら」
「クラスメートよ!」
「へぇ、どっちも可愛いじゃん。紹介しろよ」
「お断りよ。彼女達には手を出さないで」
「んだと?! おまえいつから俺に口答えできる立場になったんだ!」
 酔った相手はグラスを勢いよくテーブルに置く。大きな音がして何滴か酒がこぼれた。
 この人は――危ない。でも、由香里を助けなくては!
 私はいつもの『硬派の秋野』の正義感を取り戻していた。由香里は私達を守ろうとしてくれたのだ。由香里を見放そうとしていた自分が恥ずかしい。
「由香里、あんた妊娠してるんだって」
「そうだけど……アンタどっから聞いたのよ」
「私が言ったのよ」
 と、加奈。
 相手の男は唇を湿しながらとんでもないことを言った。
「そいつ、本当に俺のガキか――?」

2013.8.30


おっとどっこい生きている 143
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