おっとどっこい生きている
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「みどりさん、帰っちゃうの?」
「秋野さん……」
 しおりと冬美が心細そうにこっちを見ている。
 うっうっ、視線が痛い……。
「みどりくんはね、純也くんのベビーシッターとなる人達とパーティーをする予定だったんだ」
「そうなんですか……それなのに、こっちに来てくれてありがとう」
 麻生牧師が頭を下げる。
「いえいえ。何も大したことはしてないですから」
 私は焦る。牧師はいい人なんだろうが、どうも気まずさを感じさせる。
「オレらはまだここにいるから」
 リョウが携帯片手に言った。
「リョウ……いい加減携帯返せ」
 と、道脇。
「ね、ねぇ、秋野さん家ってお子さんいるのよね?」
 知らない女の子が訊いて来た。
「そうだけど。あなた誰?」
「神谷純子と言います。私、子供大好きなの。でさ――いつか、遊びに行ってもいいかな?」
「大歓迎よ!」
 子供が好きな人に悪い人はいないもの。
 それに、また賑やかになって――今でも充分賑やかだけど――お祖父ちゃん達が生きていた頃の秋野家に戻るかもしれない。
「あ、あたしも行きたい!」
「俺も俺も」
「君達……あまりうるさくしないでくれたまえよ」
 哲郎が注意する。ま、あまりうるさくはして欲しくないというのは同じ意見だけどね。
「はーい」
「ちゃんとわかってるのかな……」
「大丈夫よ。みんな小学生じゃないんだもの。高校生と言ったら立派な大人よ」
 私は、
(――多分)
 と、心の中で密かに付け加えた。小学生以下の人ってのもいるもんね。はっきり言って。失礼だけど。
 今時の高校生はしっかりしている人とそうでない人の差が激しいもんな……。
「じゃ、今度こそ帰ります。お疲れ様でした」
 哲郎がぺこりとお辞儀をする。
「さようなら」
「ばいばーい」
「また俺の家にも遊びに来てくれよー」
 麻生先輩が言う。うーん、哲郎がごてたら困るかな……。でも、哲郎はいつものように穏やかな顔をしていた。
「僕ならいいよ。染まらなければ。君の母教会はあくまで聖栄教会だってことをわかってさえいれば」
「またおいで」
 麻生牧師の瞳が優しかった。
「明日、また会いましょう。礼拝、来るでしょ?」
 と、岩野牧師。
「はい!」
「必ず行きます!」
 私と哲郎は答えた。
 それにしても――霧谷信夫と麻生先輩が仲直りして良かったなぁ……。
「ノブ、明日来るか――?」
 背を向けた私の耳に麻生先輩の声が聴こえた。しかし、周りの喧騒にたちまち消えてしまった。
「みどりちゃーん!」
「秋野部長!」
「また月曜にね―」
 奈々花や友子達の声も耳に届く。頼子は松下先生や村沢先生と話していた。 
「みどりさん」
 しおりちゃんが呼び止めた。何だろ。
「どうしたの? しおりちゃん」
「えーとね……いろいろごめん。兄貴が迷惑かけて」
「あら。迷惑ってほどじゃないわよ」
「それから、霧谷のことはまだ赦せていないけど……」
「あら。キリスト教は人を赦す宗教ではなかったの?」
「人は人を赦すことはできないわ。人を赦すのは神様だけだもの。あたし達は神を信じることで初めて人を赦せるのよ」
「そうなんだよ!」
 哲郎は叫んだ。
「君、麻生牧師の娘なだけあってわかってるじゃないか! イエス様は自分を十字架に架けた人だって愛したし、泥棒だって愛したんだよ!」
「ミッション・バラバってあるよね」
「ああ。有名だね。ああいうヤクザから立ち直った人達が今後も増えるといいね」
 しおりちゃんと哲郎はキリスト教の話ではうまが合うらしい。この二人、この間は反目し合ってたのになぁ……。
 自然に任せておけば、必ず良くなるようになる。失敗だと思ったことも時間が解決してくれる。
 今日はそれがよくわかった。人生って不思議なもんだよね……。
「ねぇ、哲郎さん。私、先に帰ろっか」
「いや、僕ももう帰るから。またね。しおりくん」
「うん、また」
 しおりちゃんは笑顔で私達に手を振った。
 外は流石にもう暗い。
 私達は黙って歩いた。何となく変な感じだった。
「みどりくん」
 哲郎がぽつんと言った。
「何?」
「僕は君のことまだ諦めないからね」
 またその話か――私は少しうんざりした。
 哲郎は奈々花とクリスチャンホームを築けばいいのよ。奈々花はいいお母さんになると思うのにな……。
「奈々花は……」
「僕は、彼女のことは得難い友達だと思っているよ。でも、それとこれとは別なんだ」
 ん、まぁね……。
 私が困惑していると――。どんっ!と誰かにぶつかった。
「きゃっ」
 自転車を持って来なくて良かった。哲郎達が一緒に行くからということで。それに、自転車にぶつかったことで相手に怪我させたら可哀想だしね(可哀想どころじゃないか……)。
「何よ、もう。あら、秋野さん」
 電灯に照らされた相手の顔を見た。あ――高部由香里。
「もう、もっと気をつけて歩きなさいよね!」
 そう言い残して彼女は走り去った。変だな――いつもなら絶対他にも何か言ってくるのに。

「誰だい?」
 馬面の哲郎がのんびりと訊く。
「高部由香里。クラスメートよ」
「ふぅん。仲はいいのかい?」
「すっごく悪いわよ!」
「ははっ、とても嫌そうな声だね」
「笑わないでよ!」
 それにしても――やっぱり変だ。何か、急いでいる感じ。私は由香里の消えた方向を眺めた。
 由香里も麻生牧師と八百政さんとの対決――もとい話し合いに参加しようとしているのかしら。でも――学校とは方向が違う。由香里が向かって行った先は繁華街の方だった。
 哲郎が「行こうよ」と言葉をかけたので私は我に返った。

2013.6.2


おっとどっこい生きている 141
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