おっとどっこい生きている しばらくして、将人が顔を出した。 「すまないな、秋野」 「平気よ。ただ、とるものもとりあえず来たから、赤ちゃんのことが――……」 「――え?」 「何でもないわ。お邪魔します」 私は将人の弟さんの部屋に通された。 小学一、二年生くらいの男の子が、額に濡れたタオルを乗せ、赤い顔で荒い息を吐いていた。よっぽど熱がひどいのだろう。 「隼人、こちら話していた秋野」 「こんにちは。初めまして。隼人くんね」 「だれ? このひと……お兄ちゃんの彼女?」 「馬鹿ッ!」 将人が弟の顔を軽くぺちっと叩いた。 ちょっと早熟なのかな、この子。それとも、今時このくらい、当たり前なのかしら。 彼女と間違えられるのは、嫌じゃないけど。 「この人はね、おまえが病気だと知って、わざわざ見舞いに来てくれたんだぞ」 「――……ありがとう」 そう言って、隼人は、私に向かってにっこり笑った。 「隼人くん、何か買ってくる?」 「ううん。なんにもいらない」 「何にもって……なんか食べなきゃ」 「たべると、きもちわるくなる」 「一応、熱さましは飲ませておいたんだけど」 と、将人が説明する。 「お昼頃には、少しは楽になっていると思うよ。食べたいものあるか?」 「――おかゆじゃないなら、なんでもいい……」 「おかゆは美味しいわよ。特に、お姉ちゃん特製の卵粥は、うちの大人達の二日酔いもぶっ飛ばすんだから」 「ほんと?」 「ほんとほんと、楽しみにしててね。お熱、どのぐらいあるの?」 「――……えっと、九度五分」 「それじゃ、何もお腹に入れなくても、具合悪いわね。吐いても、また作り直すからね」 「うん……」 「とりあえず、水分は補給しなきゃね。吸い飲みある?」 「ああ」 将人が頷いた。 「なんか飲み物ないかしら。ただの水でもいいんだけど」 「オレンジ、ジュース、あるよ……」 と、隼人がぜいぜい言いながら。 「じゃあ、俺がやっておくから――」 「ううん。私にやらせて。こういうの、嫌いじゃないの」 「悪いな」 私は、オレンジジュースを探しに、台所へと向かった。 「秋野」 私は背中越しに将人の声を聴いた。 「サンキュ」 隼人くんはいい子だった。 時々ボールに胃の中のものを吐く。背中をさすってやる。けれど、それ以外のときは、楽しそうに、学校や家のことを話した。 吸い飲みで、ときどきオレンジジュースを飲みながら、隼人は快活だった。熱が無ければ、さぞかし元気に生活を送っていたことだろう。 「でね、先生がね、おもしろいはなししてくれたの――……」 隼人が木の年輪の話を一生懸命話していると、 「秋野、そろそろお昼の時間だけど」 と、将人が言った。 「オーケイ! すぐ作ってくるからね」 「俺が作るよ」 「ううん、私に作らせてよ!」 「お姉ちゃんのたまごがゆ、食べてみたい。ねぇ、いいでしょ? お兄ちゃん」 「……仕方ないなぁ。じゃあ、秋野、頼む。俺、手伝うから」 「桐生先輩、ゆっくりしてていいのに。ずっと看病してたんでしょ?」 将人の両親は、昨日から、父方の祖父の法事に行っているらしい。将人が、弟の面倒を見ると宣言したので、後ろ髪ひかれる思いで鹿児島に旅立ったらしい。 なんか、うちの両親とは、えらい違いだなぁ。私の親は、何も言わないうちから、押しつけそう。ま、それと同じようなことをしたわけだけど。 「そんなの、当たり前だよ。家族なんだから。でも、秋野は――……」 「他人だと言いたいの? 私達、もう友達でしょ?」 「そうか……世話になるな」 「アツアツだね、お兄ちゃん」 「馬鹿。熱いのは、おまえの額だろ」 「そうでなくてさ――……」 「さ、早く作りましょ」 私は、さっさと部屋を出た。そうしないと、紅潮した頬を見られたかもしれなかったからだ。 将人がお鍋を用意してくれた。使った後のもんだからと言って、彼は念入りに洗ってくれた。 まず、お粥を鍋で炊き、隠し味に塩を入れる。塩の在処も、彼に教えてもらった。 合間に卵を割る。 「へぇ、秋野、器用だな」 将人は感心しているようだ。 「え? 何が?」 「だって、片手で卵を割れるなんて」 「おばあちゃんがいつもそうやってたの」 内心照れながらも、私は答えた。 将人は、必要なものを取ってきたり、お茶碗などを出してくれたりした。 醤油で味を調える。 「あっという間だな。秋野、料理も上手なんだな」 「いつも作ってるから」 私は、卵粥を隼人の元へ持って行った。 「おいしい……」 隼人が、笑顔を見せた。そういう瞬間が、私にとって一番嬉しい。 いつか、おばあちゃんが言ってたっけ。 料理が上手くいかなくて、「もうやめるー!!」と駄々をこねた、子供の頃の私に向って、おばあちゃんはこう諭したのだ。 「いいかい、みどりや。美味しい料理を食べるとね、笑顔がこぼれるんだよ。笑顔がいっぱいになるとね、みんな幸せになるのさ。幸せは平和を生むんだよ。ね、料理って、素晴らしいものなの。美味しい料理を作れるまで、何度も何度も失敗しながら、挑戦していけばいいんだよ」 だから私は、諦めずに、皆が幸せになる料理を作ると誓った。 「今日は助かったよ。ありがとう。秋野。今夜、うちの親も帰って来ると思うから、秋野のことも話しておくよ」 将人が玄関まで見送りに来てくれた。 「そんな……。大したこともできなくって」 もうとっくに、哲郎達も帰宅しているに違いない。純也はどうしただろう。哲郎達が教会へ連れて行ったのか、家で留守番か。家に置いていかれたときは、少し心配だな。兄貴は、ちゃんと純也の面倒を見られるだろうか。 私は、自転車の鍵を外した。 「なぁ、秋野」 「なぁに?」 「今日のお詫びとお礼がしたいんだ。いつがいいかな」 私は、将人の目を見て、にっこり笑って(少なくとも、そのつもりで)言った。 「日曜以外なら、いつでも」 哲郎達は、純也を教会まで連れて行ったらしい。哲郎曰く、「アットホームな教会だから」ということだ。 おかげで、兄貴は子守りからも、赤ん坊の泣き声からも解放されたというわけである。しかし、おかしなもので、兄貴は、その泣き声がなくて少し寂しかったらしい。 これは、兄貴も赤ん坊アレルギーから卒業か? 雄也もえみりも、教会が気に入ったらしい。 教会の人達は、皆いい人で、外国の人も多くいた。牧師が、聖書のことをわかりやすく紹介してくれ、少々わからないところがあっても、質問したら、親切に説明してくれた。純也も可愛がってもらった。歌も、皆で歌えて、楽しかった。 えみりはそんなことを嬉しそうにひとつひとつ報告してくれた。 「また行こうね。今度はみどりも一緒に」 もちろん、私もそのつもり。 めでたいことが続く、春の日であった。 おっとどっこい生きている 15 BACK/HOME |