おっとどっこい生きている
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「ひゅー、ドラマチックー!」
「渡辺さんは秋野さんの家に住んでるんだよね」
「秋野も桐生と結婚するのか?」
 私は恥ずかしくて、いたたまれなくて、将人と一緒に退散しようかとも考えた。――あの娘が来なかったら。
「兄貴!」
 また教室の戸が開いた。
 ――しおりちゃん!
 いつぞや会った霧谷信夫も一緒だった。
「よぉ、ノブ!」
 麻生先輩が気安く霧谷を呼んだ。
「麻生……いや、キヨ。僕のこと、まだ『ノブ』と呼んでくれるんだな」
「あったり前だろー。俺達友達じゃねぇか!」
「兄貴! 霧谷は兄貴を裏切ったんだよ!」
「それがどうした!」
 麻生先輩は妹を叱りつけた。
「俺は……もうノブを許してる。俺もいろいろ悪いことやったしな」
「キヨ……僕はずっと謝りたいって思ってた」
「いいってことよ」
 麻生先輩は鷹揚に頷いた。
 ああ、麻生先輩。あなたは本当は友達思いの優しい人だったのね。
「麻生先輩やっさしー!」
 冬美が言った。
「冬美さん……霧谷が兄貴に何をしたかわかってんの?」
「ううん。でも、きっと大したことじゃないと思うわ」
 冬美も強い。
「あのね、霧谷は……」
「ストップ! それはもういいんだ、しおり」
 麻生先輩はしおりに待ったをかけて、それから続けた。
「もう、いいんだ……」
「キヨ……」
「何をやったんだね。この坊主は」
 八百政さんが割って入った。
「ああ、霧谷はね、ちょっと昔ケチがついた。そんだけ」
「僕はキヨ――麻生清彦がカンニングしたとデマを流したんだ」
「ええっ?! ひどい!」
 冬美が叫んだ。
「けれど、俺も人のこと言えねぇから……秋野のことについて思わせぶりな記事書いたり、そこにいる桐生を中傷したり、裏サイトにもいろんなこと書き込んだり――」
 と、清彦。
「ほうほう。目の寄るところへは玉も寄る、とはよく言ったものだな」
 八百政さんはにやにやした。
「これもヤソが悪いんじゃ、ヤソが……」
 お婆さんはぶつぶつ呟いていた。
「けれど、清彦くんは悔い改めたのです。きっと天国へ行けますよ」
「ふん、ヤソの天国かい」
 お婆さんは吐き捨てるように言った。
「兄貴が許してるんじゃ、あたしも霧谷のこと許さざるを得ないじゃない」
 しおりが仕方なさそうに言った。
「霧谷くん……この学校に戻る気はないかね?」
 池上校長が霧谷に近付いた。
「いえ……校長先生には悪いけど、もう白岡に戻る気はありません。向こうにも友達いっぱいいますし――」
「俺のことだったら、気にしなくてもいいぞ。また昔みたいに一緒に勉強しようぜ」
「キヨ……ありがとう」
 霧谷が差し出した手を麻生先輩は両手でぎゅっと握った。

「うん……いいものを見せてもらったよ。男の友情だね」
 哲郎が感極まった声で頷いた。
「清彦……よく赦したな。友達を」
 麻生牧師が息子の肩を叩いた。二人は手を離した。
「これからも仲良くしようぜ。ノブ」
「キヨがいいんなら……」
「そうだ。おまえも俺の家来い。聖書の他には何もない家だけどよ」
「何か……すっかり持ってかれたな。あいつらに」
 わだぬきが眼鏡を外して目をこする。泣いたんだろうか。まさかね。こんなことでわだぬきが泣くわけないよね。
「おい。哲郎、桐生。秋野のことについてはまた今度話し合おう」
「そうだね」
「みどりは俺の彼女なんだが……」
 将人の何気ない一言が嬉しい。
「ところで、溝口先輩は?」
 と、私は訊いた。
「溝口先輩は受験勉強に決まってるでしょうが。先輩、三年生なんだよ」
 頼子の言う通りだ。私達も来年は受験生だし。
「僕も勉強しなきゃだめなんだよなぁ……」
 哲郎はひとり言のように呟いた。
「どうだい。八百政さん。ヤソも捨てたもんじゃねぇだろ?」
 リョウの台詞からは得意満面という感情が溢れていた。
「まぁ……麻生清彦は根っからの悪ではなかったということはわかったが、俺は仏教の方が好きだね」と、八百政さん。
「いや、好き嫌いの問題ではなく……」
「哲郎サン。アンタが出て来ると問題がややこしくなるから、少し黙っててくれないか」
 リョウが哲郎を窘める。
「わかった。まぁ、これも神様の導きなんだけどな……」
 哲郎は渋々といった態で引き下がった。けど、私もリョウと同じ意見。哲郎は何でもかんでもイエス様だもの。過ぎたるは及ばざるが如しよね。
「本当は、みんないい子達なんですね。それが、喧嘩したり争ったり――私はそんなのは見たくありません。うちの息子と霧谷くんのように、仲良くする人がたくさん出てくればいいと思います。だから、万福寺さん――」
「はい?」
「我々も争わず、仲良くしようじゃありませんか」――麻生牧師が上手くまとめてくれた。
「は、はぁ……」
「まぁ、私はキリスト教一筋ですがね」
 と、岩野牧師が口を開いた。
「争いを避けるというのには賛成です。どうせ残るのは本物だけですからね」
「では、ヤソは残らんな」
 八百政のお婆さんの台詞に私は不謹慎にも吹き出してしまった。八百政さんもだ。
「どうした? みどり」
 将人は不審がる。
「い、いや……」
 キリスト教と仏教の静かな争いを知らない者にとっては、この真剣さ故のジョークは(お婆さんは本気だったのかもしれないが)ちっとも伝わらないし、面白くもないだろうと思った。
「ところで将人、忙しいところありがとう」
「いやいや。何の力にもならない……それどころか邪魔してしまって悪かったね」
 でも、将人が『みどり』って呼んでくれたことは嬉しかったし、力にもなった。まぁ。私は何の戦力にもならなかったけど。
「行こうか。みどりくん」
 哲郎が私の肩に手をかけた。将人に対するデモンストレーションかもしれないが、私は将人の彼女なので、他の男に靡くわけにはいかない。失礼にならないようにそっと哲郎の手を外した。
「秋野さん達は、今から帰られるのですか?」
「ええ。後は任せました――麻生牧師。一応の結論は出たみたいですので」と、哲郎が言った。

2013.4.15


おっとどっこい生きている 140
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