おっとどっこい生きている
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「麻生先輩!」
 長塚冬美が入ってきた。
「冬美! 何しに来たんだよ!」
 麻生先輩が叫ぶ。
「先輩の弁護に来たのよ」
「帰れ」
 けんもほろろに麻生先輩が言った。
「ひどい! 私も先輩の為に何か手伝うことがあればいいな、と思ってきたのに……」
 冬美が涙ぐんでいる。
「おまえが来ると話がややこしくなる」
「まぁまぁ、いいじゃないか、清彦。おまえもいい友達を持って幸せだな」
「冬美は友達じゃない。彼女だ」
「麻生先輩……」
 冬美の表情が一気に嬉しそうになる。その表情の変化を私は見ていた。
「あのな……冬美。おまえを邪険にするわけじゃねぇが、これは俺達の問題なんだよ。それにあんたは、はっきり言って役に立たない。――少なくとも今回はな」
「でも、麻生先輩の弁護はできるはずよ」
 冬美は引かない。麻生先輩は、負けた、というように仕方なさそうに溜息を吐いた。
「わかった。でも邪魔すんなよ」
 麻生先輩は冬美に釘を刺す。
 私も少し心配だった。冬美がどこまで戦力になるか……。
 それにしても、どこでこの話し合いのことを聞いたんだろう。
 あっ、そうか。ネットか。多分そうだ。
「リョウ、携帯で裏サイト見れる?」
 私が小声で囁いた。
「いいけど。どうしたんだよ」
「いいから見せて。私達の話し合いのことが洩れているかも」
「よし、そういうことなら」
 リョウが携帯を操作する。画面が変わった。
「おっ、やっぱり祭りになってる」
 ――詳細はここでは書かない。けれど、賛否両論、意見がわかれていた。そして、やっぱり吊るし上げ――いや、懇談会のことも書かれていた。
「ネットってやっぱりこえぇよな」
 リョウが慨歎する。つまりは彼にそんなことを言わせる内容だったというわけだ。私はそれを確認すると、もういい、と言ってリョウに携帯を閉じさせた。
「校長、まだ他の人々が来ていませんけど」
 八百政のおじさんが手を上げて言った。彼の本名は政岡精二。八百政の二代目だ。私も何度かおまけしてもらったことがある。気のいいおじさんなのだ。
 なのに、どうして麻生牧師にはあんなに厳しいんだろう……。
「これから何が始まるのかねぇ、精二や」
 もぐもぐと八百政さんのところのお婆さんが言う。発音が不明瞭なので、「これからにゃにがはじまるにょかにぇ」としか聴こえない。
「これからね、話し合いが始まるんですよ、お婆ちゃん」
「あー?」
「だからね、これから話し合いをだねぇ……」
 八百政さんはお婆さんに大声で尚も言い継ぐ。お婆さんは耳が遠いらしい。
 あのお婆さん、何しに来たんだろ。この集会の趣旨もよくわかっていないみたいだし。ちょっとボケ入って――いやいや、恍惚の人みたいだし。
「これからね、キリスト教の牧師の息子の不祥事について話し合うんだよ!」
 八百政さんが絶叫した。
「キリスト教……?」
 お婆さんの表情が心持ち動いた――ような気がした。そして。
「ヤソーーーーーー!!!!!」

 突然叫び出した。さっきまでこんな声量隠してたのかと思うくらい。
 な……何……?!
 私は思わず椅子からずり落ちた。
「ヤソー! ヤソはいかんー! 人はみな『南無阿弥陀仏』と唱えれば極楽浄土へ行けるのじゃー!」
 ああ、もうっ! 何でこんな人達ばかりなのよ!
「すみませんがお婆様」
 哲郎が割り込む。――どうなっても知らないから!
「神の子イエス様は死をもって私達の罪を償ってくださったのです。イエス様の通った道こそ、僕達の通る道なのです」
「ふん、そっちが神なら、こっちは仏じゃ」
 八百政のお婆さんは、途端に元気になって、様子まで若返っている。
「仏教は偶像礼拝の宗教です」
「ヤソなんて毛唐の宗教じゃ。日本人なら仏を拝め」
「だから、それが偶像礼拝なんですよ。だいたい、仏教は日本古来の宗教じゃないでしょうが。大乗仏教として百済から伝わってきたのです」
 うん。それは小学校の時、学校で習った……じゃなくって!
 熱心な仏教徒とキリスト教おたく。どっちが強いかしら。――いやいや、それどころじゃないわ。
「哲郎さん、哲郎さん」
 私は哲郎の袖を引っ張った。しかし、哲郎は全く聞いてないらしく、私の手を少々うるさそうにのけるとお婆さんに詰め寄った。
「ちなみにあなたはどこの宗派を信じているのですか?」
「宗派……?」
 お婆さんは首を傾げた。
「宗派を知らないのに信じていたのですか?」
 哲郎が少し怖い声で言う。
「な……南無阿弥陀仏を唱えると極楽へ行けると聞いたから、いつも唱えてるんじゃ」
 お婆さんは少しうろたえている。リョウの方を見ると、彼も、「まずいな」と言う顔をしていた。これでは哲郎がお婆さんをいじめてるような図になってしまう。
「おい、こら、ばっちゃんを責めるな」
 案の定、八百政さんがお婆さんと哲郎の間に割って入った。
「大体、アンタはキリスト教信者らしいが、どこの宗派だか言えるのか? エホバの証人か?」
「いいえ。僕の通っている教会はメソジスト派の流れを汲む教会です。メソジストとは『几帳面屋』という意味であり、この派の始祖はジョン・ウェスレ―と言って……」
「わかったわかった。もういい」
 八百政さんは手を振って哲郎を止めた。
「しかし、日本には信教の自由があるはずだ」
「じゃあ、麻生牧師達にもイエス様を信じる権利がありますよね」
「む……それとこれとは話が別だ。麻生牧師は息子を育て損なったんだ……」
 不意に。平手打ちの音がした。八百政さんがよろめいた。
「哲郎さん!」
 私は思わず叫んでいた。
「清彦くんは本当はいい子です! 何も知らないくせにそんなこと言わないでください!」
「哲郎くん……」
 今まで何も言わなかった麻生牧師が呟いた。
「すみませんでした。八百政さん」
「――何でアンタが謝る? 手を出したのはこの坊主の方だろうが」
「いえ……私が清彦を育て損なった。確かにその通りです。哲郎くんは悪くありません」
 その様を見て麻生先輩は、
「親父……」
 と、半ば呆然としたように呟いた。
「お……俺、俺は……」
 麻生先輩は何か言いたそうだった。
「がんばれ、麻生」
 わだぬき――じゃなかった、綿貫部長が祈るような声で囁いたのを私は聞いた。
「俺は……上手く言えないけど、小さい頃から親父が祈っているのを見て……家族よりもイエス・キリストを大事にしているようで……それが嫌で……高校に入る前もちょこちょこ悪いことしてて……もちろん、その頃は家族に見つからないようにだったけど……ホント、昔はイイ子を演じてたから……家では……」
 なんだ。麻生先輩がグレたのは霧谷さんのせいばかりではなかったんだ。ちゃんと下地があったんだ。しおりは霧谷さんが全部悪いようなこと言ってたけど。
「ちょっと待ってください、麻生くん。――八百政さん、大丈夫ですか? 痛みませんか?」
 池上校長がそう言ったので、麻生先輩は取り敢えず喋るのをやめた。

2012.11.30


おっとどっこい生きている 136
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