おっとどっこい生きている この時期が過ぎれば、本格的な夏がやってくる。でも、暑さは少し遅れてくるもので、私達は夏の残像としての季節を楽しんでいるのかもしれない。 そんなことどうだっていいや。私達は麻生先輩のクラスに入った。ここで話し合うことになっていたのだ。 あまり狭過ぎず広過ぎず――というか、教室と言うのはみんなそんな感じだけど――話し合いにはちょうど良さそうな感じがした。 いや――話し合いと言うより、果たし合いのつもりで私達は来たのであるが。 「頼子!」 頼子の姿を見た時、私は安堵の気持ちでいっぱいになり――そしてつい駆け寄って抱き締めた。 「暑いわね。離れなさいよ、みどり」 私は言われた通り、頼子から体を離した。 「よく来てくれたわね。どうして?」 「だってさぁ……お父さんもいるのに、私一人知らん顔してるわけにいかないじゃない。麻生先輩はいけすかないけど、アンタの友達みたいだからね」 「う……うん」 「でも、恋人は桐生先輩でしょ?」 もう、何当たり前のこと言ってんだろ。頼子ったら。 でも、この高校の騒動に顔を出すなんて、やっぱりこの学校のこと、考えているのね。 私がそう口に出すと、 「だって、なんだかんだ言ってもここ私の母校だもん。麻生牧師はいい人みたいだし。この高校の分からず屋な奴らのせいで酷い目に合っているんなら可哀想だしね」 頼子が答える。ああ、頼子、愛してるっ! 「よぉ」 誰かが肩を叩いた。 「あ、わだぬき――いえ、綿貫部長」 「わだぬきね……陰でそう呼ばれたのは知っていたが」 綿貫部長は苦い顔をした。こんな分厚い眼鏡かけた、無精ひげ生やした一見冴えない男だけど、独特のふてぶてしいオーラを発散させている。 「あ……す、すみません」 「いいんだ。秋野。おまえには何と呼ばれても構わない」 ああ、この新聞部長も優しくなったなぁ……。 「慣れ合ってる場合かよ」 リョウが私の頭をこつんと小突いた。 「何で部長がここにいんだよ」 リョウは些か不機嫌な声で綿貫部長に訊いた。 「取材に来たのさ。麻生牧師の教会が大変だそうじゃないか。俺も協力する。麻生とは長い付き合いだしな」 「ふぅん……」 リョウは微かに訝しげな声を出して首を傾げた。 「ま、邪魔しないならいいけど」 「よぉ、アンタ、確か哲郎さんだったな」 綿貫部長がリョウを無視して哲郎に話しかける。 「そのせつはどうも」 哲郎さんは顔を強張らせた。 「んな怖い顔しなくていいって――俺はおまえさんの味方だ」 「そうですか」 「日本におけるキリスト教の迫害は知ってんだろ?」 「そうなんですよ!」 哲郎がドンッ!と机を叩いた。 「今だって迫害されてますよ! 宗教に関わってるってだけで、変な目で見られるし! キリスト教は宗教じゃありません! 真理へのただひとつの道なんです!」 「……こういう輩がいるから、キリスト教が変な目で見られるんだろうな」 綿貫部長が苦笑しながらこちらを見た。私も思わず釣られて笑ってしまった。 私も信仰持っているわけじゃないけど、神光教会には潰れて欲しくない。ところが、その可能性があると哲郎は指摘するのだ。 そうか……日本は仏教と神道の国だもんな。神仏混交の神社もあるくらいだ。もっと驚いたことに、マリア観音があると言うのだ。 マリア様と仏教は相容れないんじゃないかと思うけど……でも、それが日本と言う国なのかもしれない。 私は何も考えずに今まで神社に初詣に行ったり縁日に行ったり、お寺で仏様を拝んだりしていた。 それが、哲郎にとってみれば不信仰ということになるのだそうだ。 私はそんな日本人の節操のなさが嫌いではないのだけれど――また哲郎に怒られるかな。こういうこと言うと。 「あ、お父さん、遅かったじゃない」 「やぁ。頼子。もう来てたのか」 「だめじゃない。教頭が遅れちゃ」 「ははは。ごめんなさい」 頼子の父、松下教頭は「ごめんなさい」をわざと区切って言った。 「あ、そうだ。みどり。みんながアンタに宜しくってさ」 「そう――」 奈々花、美和、今日子、友子――みんなありがとう。私達の応援してくれて。 「私は――そうね。神光教会はあってもいいわ。その代わり行かないけど」 頼子の台詞に私は頷いた。何とも頼子らしい答えだ。 頼子は聖霊も霊魂もオカルトも信じてはいない。さすが物理屋の娘――松下先生は元は理数系の畑の人間だったのだ。 それが、先輩に嫌がらせされていられなくなって大学をやめたと言う。松下先生なら、今頃大学教授になってもおかしくなかったのに。 ――と、頼子がそんなことを溜息混じりに話してくれた。だから、私達って似た者親子なのだ、とも。 城陽高校――頼子はどうしてもそこに行きたかった。本来いるべき場所にいるわけではないということで、松下先生と頼子は同じなのだ。 けれど頼子は白岡高校にも馴染んで来たし、この高校のことも、麻生牧師のこともちゃんと考えている。私の自慢の親友だ。 子供の頃から一緒だったもんね。――ま、それもどうでもいいんだけど。 「遅くなりました」 がらら、と戸が空いて、麻生牧師が入ってきた。続いて――。 「岩野牧師!」 私が思わず声を上げた。 「どうして? どうして岩野牧師が……」 「あ、僕から声をかけたんです。今日……迷ったけど、僕達だけじゃ自信なくて」 何よ、哲郎。その頼りにならなさそうな言い方。確かに岩野牧師はアンタの恩人かもしれないけど――。 「なんで岩野牧師呼んだんだよ」 「電話で」 「そう言う意味じゃねぇよ」 リョウが頭を抱えた。哲郎が「?」という顔でこちらを見ている。 「いつ電話したの?」 「さぁ……昼頃かな」 もしかしてその時間、あたし川島道場に行ってたんじゃなかったっけ……? まぁ、仕方ないわね。哲郎も岩野牧師も自分の自由意思があるんだし。それとも、自分の意思すらも神様のものだと信じているのかしら――? 有り得ないことでないだけに、ちょっと怖い。ノンクリスチャン――彼らはクリスチャンでない人をこう呼ぶ――だったらもっと怖いであろう。 いるかどうかもわからない神様拝んで、信じて、果ては殉教を押し付けて来るんじゃないかって。 今はともかく、昔は殉教者はいっぱいいたのだ。学校で習った。 しかし、キリスト教の荘厳な雰囲気に惹かれるという人もいるから、世の中捨てたもんじゃないわよ。ね、哲郎。 「こんばんは。みどりさん、稜くん、哲郎くん」 こんばんは、と私と哲郎は同時に言った。 「こんばんはっす〜」 「わざわざ来てくれたのかい? ありがとう」 麻生牧師はハンカチで目元を押さえた。 「年のせいかつい涙もろくなっちゃってね……清彦は昔の清彦に戻ってくれたよ。――今、来るとさ」 足音が聞こえた。麻生先輩だった。 「こんばんはー。あれ? 思ったより少ねぇな」 「俺はもう来とるぞ」 八百政のおじさんが声を張り上げた。――八百政のおじさん、忘れていたわけじゃないんだけどね。ほんとよ。他にも何人か知ってる顔がいる。そして、校長も既にいる。 「まぁいい。――うちのばっちゃんも連れて来たぞ」 八百政さんのところの干し柿色の肌をしたお婆さんが数珠を持って手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と唱えていた。 さあ、臨時懇談会を始めましょう、と教壇に上がった校長が言った。臨時懇談会――物は言いようね。『麻生親子つるしあげ大会』の方がなんぼか事実に近いんでないの? 2012.10.21 おっとどっこい生きている 135 BACK/HOME |