おっとどっこい生きている
132
 私は居間の壁にかかった時計を見る。まだ時間あるわね。
 麻生牧師達を迫害とやらから守らなきゃ。
 それにしてもまずは――
「えみり。今日のパーティー大丈夫?」
「うん……ピザ頼むから。のりりんがどのぐらい食べるか心配だけど」
 のりりん……これからしょっちゅう来るのか……いいんだけど、エンゲル係数が心配。
「あ、みどり達には迷惑かけないから」
「迷惑なんて思っちゃいないわよ」
 数か月前だったら出て来なかった台詞。
 えみりの目が途端に輝いた。
「ありがとう! そしてありがとう!」
 えみりが抱きついた。かなり暑苦しい。
「で? 純也くんは大丈夫?」
「うん。熱かなり下がってたから。さっきアタシの方見て、嬉しそうに笑ったの」
 よかった。
 私はあまり純也のこと構ってあげられなかったから。
 でも、えみりは純也の母親だからなぁ。やっぱり、こういう時、母親なんだなぁって思うの。えみりも母親業が板についてきたみたい。家事もするし、立派な母親よ。
 ――少なくとも、私のお母さんよりは母親らしいわ。
「純也のこと、心配してくれてありがとう」
 だって――友人の息子だもん。同居人だし。
 哲郎はまだ部屋かな。
「純也、見てっていい?」
「どうぞ」
 私は襖をそろそろと開ける。
 純也くんが私を見て――にこっと笑ったのだ!
 この感激はちょっと言葉に表せない。
 確かに純也はよく笑うようにはなったものの、病気になってからは辛そうだったもの。泣いてるか、眠っているか。眠っている時間の方が多かったみたいだけど。
「じゅんやー。みどりおねえちゃんでちゅよー」
「あー」
 純也が手を差し出す。可愛い、小さな手。私は思わず握った。
「おててにぎにぎされて、よかったでちゅねー」
「えみり……」
 あんまり赤ちゃん言葉使われると、聞いている方はむず痒くなる。
「みどりくーん」
 あ。哲郎が呼んでる。
「行かなくていいの? みどり」
 うーん。ここにいたいのは山々なんだけど、今夜の打ち合わせもしなきゃなんないしねぇ……。
「わかった。純也くん。またね」
「あー」
 純也にはえみりがいる。だから、純也を安心して任せられる。
 まぁ、えみりは純也の母親なんだから、当然と言えば当然なんだろうけど……。
「あ、いたいた」
 哲郎はほっとしたようだった。
「用でしょ? 今夜の」
「ああ、そうなんだ。僕達、神の戦士として思いっきり戦おうね」
 神の戦士――そう言われると、RPGのゲームかファンタジーみたいな感じがするんだけど……。
 まぁ、聖書自体ファンタジーみたいなものだし。それを言うと哲郎怒るかな。
「さぁ、いざゆかん」
 駄目だ。完全に自分の世界に入っちゃってるよ、この人。
 その代わりと言ってはなんだが、結構集中力はあるみたいなんだけどね。
「ところで、今日川島道場に行ったんだろ?」
 あれ? 途中で話が変わった。
「うん。将人に会いに」
「そう……いいんだけどね」
 ちっともいい訳じゃない、という響きを混ぜて哲郎は呟いた。
「麻生くんのしたこと、それは確かに罪かもしれない。けれど、彼は変わったのだから。反省――したのだから」
「ええ。その代わり、茨の道を行かなくてはならないかもしれないけど」
「クリスチャンとしての宿命さ。彼は洗礼を受けてるのかい?」
「さぁ……」
 まず、洗礼という考え方がわからない。
「キリスト教はね、昔はヤソと言われて迫害を受けてたんだよ。知ってるよね」
「知ってるわ」
「けど信教の自由が保証されて、キリスト教も市民権を得たんだ」
「だから?」
「だけど――僕らはまだ迫害を受け続けている」
 へぇ……そんな考え方もあるんだ。
 私は単純に神光教会の危機なのかな、と思ってた。
 麻生があんなことしてたんじゃねぇ……記事捏造とか、情報操作とか。そりゃ、誰も来なくなるわね。まさかモンスターペアレンツによる襲撃事件があるとは思わなかったけど。
「神光教会だって――麻生牧師が牧師でなかったら、あんなに大騒ぎにはならなかったに違いないよ」
 まぁ、そりゃね……。
 普通の一市民なら神に対する責任とか、考えなくて済むもの。
 それとも、今だったら、そんな普通の小市民でも襲撃の対象になるかな。
 麻生牧師は、教会をやめなきゃならなくなるかしら……。
 それは、断固として神光教会を守らなきゃ!
 麻生牧師は、立派な牧師だもの! 麻生だって、改心したもの!
 私が証人になったっていい。この二人は、立派だ。ちゃんと自分の罪を背負おうと覚悟してるんだもの。
「私……自分は普通だ、と思っている人の方が怖いわ」
「だろう? 自分の正義を振りかざす人の方が怖いんだよ」
 あなたも含めてね――私は密かに哲郎に毒づく。
 けれど、哲郎はわかっているはず。自らもまた、罪を負って生まれてきた者だということを。
 だから――多少困ったところには目をつぶる。
 そうしないとやっていけないから。欠点があるのが人間だから。
 神様も万能だとは思わない。けれど――神は私達人間の関係性から生まれてきたのだはないだろうか。
 愛、芸術、神秘、哲学――そんなものから、自然に生まれて来たのではないだろうか。あるはずのない生命から。
 人間は神と共にいて、神は人間と共にいる。
 聖書の神様はかなり人格化されているけれども。
 私は八百万の神の方が好きだけれど、キリスト教のヤーウェの神がそれらと共存する余地だって、きっとあるはず。
 それともヤーウェの神は他の神を認めないのだろうか。哲郎も、聖書の神以外認めないところがあるけれど。
 宗教は難しいわね。ふっと私は溜息を吐いた。
「どうしたんだい? みどりくん」
「別に」
「――麻生牧師の家族は、この町を追い出されるかもしれない」
「何よ。やぶから棒に」
「だって、そうだろ? 牧師は清いイメージがある。その息子が不祥事を犯したんだ。ただで済むはずがないよ。――もしかしたら、神光教会は怪しげな教会だと言って壊されるかもしれない」
「…………」
 それは妄想だと笑い飛ばす気は私にはなかった。以前だったらどうだかしらないけど。
「これは、信仰の危機なんだ」
 哲郎は真顔で言った。
「牧師はきっと信仰を捨てない。信仰を捨てない者にどんな迫害が待ち受けているか、イエス様やパウロの話を見るまでもないだろう?」
 哲郎の言う通りかもしれない。けれど――と、私は思う。イエス・キリストは、死んで三日後に甦ったではないか、と。

2012.9.4


おっとどっこい生きている 133
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