おっとどっこい生きている
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「おはよー」
 眠気交じりの声が聴こえた。雄也だった。
「雄也さん……」
 私はこれからご飯を作るところだった。エプロンも既に着ている。
「みどり、今日はオレがご飯を作るよ」
「へぇ、珍しい」
「なになに。純也の心配してくれたお礼さ」
 意外と律儀なんだぁ。それに子煩悩だし。私は軽く笑った。
「で? 何作るの?」
「チャーハン。――実はそれしかできないんだけど」
「楽しみにしてるわね」
「おう」
 雄也は力瘤を作った。
 いや、それは言葉のあやで、本当は力瘤を作るほどの逞しさもないんだけど。
「よーし、作るぞー」
 やけに張り切っている。どうぞ。
 きっと浦芝さん直伝なんだろうな。最近も食べた記憶があるし。
 まぁ、雄也が料理に目覚めたことはいいことなんだろうな。そのうち純也くんも作り始めたりして。父親の影響で。
 うーん。男の料理。楽しみ。
 雄也の手さばきにはよどみがない。私はただ見ているのもあれだからと、掃除にとりかかった。掃除機はうるさいのでかけられないけれど。
「おはよう」
 リョウだった。
「フクに起こされちった。エサやるぞ。フク」
 フクは嬉しそうに鳴き、リョウの足元に身をすり寄せた。
「おお、そうか。嬉しいか、フク」
 ほんと、すっかり仲良し。
 私はほうきで廊下を掃いていた。
「おはよう、みどり」
 えみりだった。
「おはよう。調子どう?」
「ん……純也は今のところ落ち着いてる。もう少しで治るんじゃないかしら」
「良かった。トイレノックのこと、リョウから聞いたわよ」
「もう聞いたの? 昨日の今日じゃん。あ、まさか――リョウと浮気してたとか?」
「えみり!」
「隠さない隠さない」
 えみりはあはは!と笑った。
 もうね、これはね、何度もいうように、私は将人が好きなんだからね。影が薄いだの、何だのと言われようと。
 そして、何か起こったのか――というと、実は私達の仲には何もない。
 もう! 世のストーリーテリングを無視してるわ!
 キスぐらい――キスぐらいならね……してもいいと思うんだ。高校生はキスしてはいかんのか、というキャラが出て来る小説読んで(正しくは小説内小説)、おお、おお同士よ、と思ったものだったが。
 それに『丘ミキ』だって中学生よ。相手の男の子は年上だし、時代も違うけど。でも、私達は世の風潮に逆行し過ぎだと思うの。
 私の性格が現代っ子みたいになった、という意見をもらったことあるけど、今時の高校生、こんなものじゃないわ。
 それに、現代っ子みたいになったのは、えみりの影響もあるのよ。
「おはよう。朝から大変だね」
 あっ。哲郎さん。
「おはよう」
 取り敢えず、この人は安全圏よね。紳士だし、クリスチャンだし――哲郎が来た日、クリスチャンてだけで、安心できるかって、兄貴に食ってかかったけど。
 でも、今ではいい友達。二人でいても何もなかったし。
「昨日、ご両親から電話があったよ」
「そ。取っておいてくれてありがと」
「ついに明後日、日本に来るんだね」
「うん」
 私は嬉しくなって頷く。
 そういえば、いろいろ予定がだんごになっているから忘れていたけど、お父さんとお母さんが帰ってくるのよね。それまでに純也が治っていればいいけど。
 楽しみだな。今夜はえみりの友達をよんでパーティーだし、七月の七日には奈々花の誕生日だし。あ、そうそう。川島道場の将人のところにも行かなくちゃ♪
 私は少し寝不足でハイになっていたらしい。哲郎が憂い顔をしているのにも気付かなかった。
「麻生牧師……どうしてた?」
 それでやっと、哲郎が何かを懸念していたらしいことがわかった。でも、何を心配しているのかはわからなかった。
「そうね……少し参ってたわ。でも、麻生先輩も土下座して謝ってたし。私、麻生先輩見直しちゃった」
「んな能天気な……」
 哲郎は呆れ顔だった。
「日本でクリスチャンをやるということは大変なことなんだよ。日本は今は平和だけど、いつひっくり返されるかわからないし」
「そうね。でも、杞憂というものじゃないかしら」
「杞憂で済めばいいけどね……神光教会は長い間、人の信用を得る為の努力をしていたのだと思う。それを清彦くんは台無しにしかけたんだよ」
「今夜学校で集会があると言ってたわ」
「僕も行く」
「え……でも、哲郎さん関係ないじゃない」
「僕は、麻生牧師を応援に行くんだよ。それと、人々の誤解を解く為にね」
「えー、でもそれじゃこじれるばかりじゃ……」
「みどりくん」
 哲郎は真剣な顔になった。のんびりした馬面なので、普段なら笑えてしまうところだけど。
『おバカさん』のガストン・ボナパルトに似ているな、と思ったこともあるくらいだし――閑話休題。
「この日本ではね、キリスト教はまだまだ理解されていないんだよ」
「でも、マザー・テレサとか、みんな好きじゃ……」
「だけれど、偶像礼拝は行われているし、クリスチャンの家に仏像なんて、普通のことなんだよ」
「そんなの当たり前じゃ……」
「断固として、聖書では認められていないことなんだよ!」
 哲郎の声に怒気が籠って来た。
 あ、やばい。例の発作だ。
「わかったわかった。はい、この話はおしまい」
「みどりくん!」
「私に当たらないでよ。そんなにキリスト教が好きなら、牧師になればいいじゃない」
「なりたいよ! 僕は牧師に、なりたいよ!」
 そうだった。哲郎は牧師志望だった。哲郎は男泣きに泣いた。
「できれば、今すぐイエス様のところへ行きたい」
「行っちゃ駄目!」
 兄貴の話では、哲郎はノイローゼになったことがあるんだとか。ノイローゼは自己愛が強いから本気で自殺は考えないそうだけど。
 でも、ノイローゼで自殺とか、ニュースになってるわよね……。
「わかった。麻生牧師の応援に行ってもいいわ。ただし、私と一緒にね」
「みどりくん! わかってくれたのかい?!」
「わかんないけどね。一応、お目付役として」
 だって、哲郎さん、一人勝手に暴走しかねないもの。
「ありがとう!」
 哲郎が私の手をぎゅっと握った。熱い。体温高いんだな。哲郎さん。
「おい、おまえら」
 怖い声がした。兄貴だ。
「朝っぱらから何、妹に手を出してんだ? 哲郎」
「あ、そんなつもりじゃ……」
 そうよ。そんなつもりじゃないわよ。それに、もうちょっと早く来られなかったわけ? あーあ。きっとパーティーには出られないわ……。でも、麻生牧師も困った立場に追いやられてるわけだし、パーティーどころじゃないか。

おっとどっこい生きている 131
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