おっとどっこい生きている 大丈夫かなぁ、溝口先輩。 兄貴が見境ないとは思わないけど、溝口先輩美人だからな……ふらふらっとなんないかしら。 あ、えぐい想像してしまった……。 とにかく帰って早く寝よ。 「お帰りー。みどり」 えみりが迎えてくれた。 「ただいま。純也くんは?」 「今寝たとこ。熱ちょっと下がったみたい。雄也も帰って来たから、安心ね」 それは良かった。 「あ、そうだ。リョウの部屋に行く時はノックを……」 「ノックを……何?」 「――……ま、いっか。アタシだけいろいろ言われるのは不公平だもんね」 「何よ、もう」 「何でもない。おやすみ。みどり」 そう言ってえみりは和室の襖を閉めた。 ノックが……何だろ。野球のノックじゃないよね。 うーん。この家は変人ばかりだからなぁ。私を除いて。 リョウの部屋の前まで来た。 トントン。 ノックを二回した。すると中から、 「ノックは三回」 と言う気だるい声がした。 は? 何言ってんのかしら。頓狂な。 でも、三回しなきゃだめって言うんなら。 トントントン。 今度は三回戸を叩いてやった。 「入っていいよー」 と、また間延びした声。 「入るわよー」 「……何だ。秋野か」 同居人のくせに、リョウは未だに私のことを苗字で呼ぶ。 「いい加減その秋野っての、やめてよ」 「やだ。慣れてるもん」 「あっそ。……ねぇ、さっきの『ノックは三回』っていうの、どういう意味?」 「正式なノックは三回なの。二回だけのは『トイレノック』って言って、かなり失敬なことなんだぞ〜」 ふぇ〜。初めて知った。 そういえば、私のノックって、二回だけのが多かったような気が……。 「えみりサンにも注意したんだぞ」 あ、それでえみりってばノックがどうとか……。 「んで? こんな遅くに何の用?」 リョウがふわぁとあくびをした。 「ごめん……寝てたとこ?」 「いんや。そうでもないけど。オレ、夜遅いから」 そういえば、もう十二時を回っているのよね。トイレノックよりそっちの方が失礼だったんじゃないかしら。 「原稿返してもらいに来たんだけど――」 「おー、全部読んだぞー。かなりおもしれぇじゃん」 「ほんと? ほんとにそう思う?」 「秋野相手に嘘ついてどうすんだよー。駿サンは怖いけど」 そう。兄貴は怒ると怖い。さすが怒りんぼのおじいちゃんの孫! 「出せば何かの賞は取れそうよ〜」 リョウがひらひらと手を振った。 「ありがとう」 私は胸がじーんと熱くなった。 今のとこ、好評で嬉しい! 頼子なんてコピーまで取ってくれてるもんね。 「最後の方、圧巻だね。エレンが車の窓から飛び出そうとしたとこ」 へぇ〜。私はあそこ、迫力不足かな、と思ってたんだけど。 「でも、危ないよね〜。良い子は真似しないように、と注意書きでも書いとけば?」 「考えとくわ。ありがとう」 私はまた礼を言った。 でも私にはまだ気になることがあった。 「あのさ……『トイレノック』ってどこで覚えたの?」 「本からだよー」 「ふぅん。ま、勉強になったわ」 「どういたしまして」 う……話の接ぎ穂がなくなった。 「そういえば……ギター弾かないの?」 「今?」 「まさか」 「弾けと言われれば弾くけど?」 「ん……リョウのギター、嫌いじゃないから」 教会の子供達も夢中だもんなぁ……。 「にゃお」 わっ! びっくりした! フクなのね。 それにしても、部屋にまで連れて行かなくてもいいじゃない。それとも、純也くんに対する気遣いかしら。 リョウ、これで結構優しいところあるからなぁ……。 「ありがとう。純也くんのこと考えてくれて」 「純也? 何で純也が出て来るの?」 リョウが訊いた。 私の中では辻褄の合っていることだけど、時々私は突飛なことを言ったりするらしい。頼子にもよく言われてるんだよなぁ……。 「純也くんから猫を遠ざけようとしている配慮でしょ?」 「うんにゃ。オレが構いたいだけ。なぁ、フク」 「にゃー」 何だ。そうだったのか。 でも、結構こざっぱりとしてるなぁ、リョウの部屋。 他人の家だから綺麗に使ってくれてるのかしら。立派立派。 「何考えてんの?」 「別に? ただ、思ったよりこの部屋傷んでないって思って。丁寧に使ってくれてるのね」 「当たり前だろー。オレ、居候なんだぜ」 「そりゃ、そうなんだけど」 何故かリョウの方が威張ってる。家主は私――いや、今は兄貴なんだけど。 ここの部屋は布団と、それから、小さな机しか置いてない。傷めようがないと言われればそれまでなんだけど。 「部屋に戻った方がいいぜ。秋野」 「うん。そのつもりだけど、何で?」 「オレが将人に殺される」 「将人は殺さないわよ」 「んじゃ、駿サンにだ」 「いい加減にしてよ、もう」 「ほんとだぜー。オレの命のことを考えてくれるんだったら、原稿持って出て行きな。そんじゃ、おやすみ」 おっとどっこい生きている 130 BACK/HOME |