おっとどっこい生きている
125
 哲郎の言うことは少しはわかるけど……。
 異端って何よ! それは失礼じゃない! ううん、失礼なんてもんじゃないわ!
「どうしてしおりちゃん達の教会を異端なんて言うのよ!」
「しおりくん達は構わないさ。しかし、僕達の教会はあくまで聖栄教会だからね!」
「だから! 聖栄教会の後で行くって言いたいのよ!」
「君もわからない子だね、だいたい――!」
「にゃーん」
 フクが間延びした声で鳴いた。
 昔のアニメで長い声のねこ、というのがいたけど、鳴き方は正にそんな感じ。
「やっぱり食いたいのかな、湯豆腐。熱くて旨いけど」
「あら、リョウ。アンタいたの」
「さっきからずっとここにいただろ」
「リョウくん。猫に湯豆腐は止めた方がいいよ。薬味のネギは猫にとっては命取りだからさ」
 哲郎が警告した。
「そうなの? 残念だったな。フク」
 フクは「にゃおん」とリョウに答えた。
「あ、そうだ、兄貴は?」
「駿サンなら秋野がここを出てからすぐにどっか行った。部屋だと思う」
「そう……」
 兄貴のことはどうでもよかった。 
「哲郎さん、神光教会が異端なんて、麻生牧師の前で言える?」
「言えるわけないじゃないか。常識で考えてみてよ」
「じゃあ、私が神光教会に行ってもいいわね」
「う……それは……」
「でないと私、哲郎さんをここから追い出すわよ」
「どうしてそうやって脅すんだい。僕が行くとこないのは知っているくせに」
「聖栄教会に行けばいいじゃない」
「何度も岩野牧師に世話になるわけにはいかないよ。それに……」
 哲郎の頬に血が上った。彼は私から視線を外した。
「ここにはみどりくんがいるから……」
「――はあ?」
「いい加減鈍いやっちゃな、秋野」
 リョウが脇から口を出す。
「少しでも好きな人といたいのは、自然じゃねぇか」
「アンタもそうなの? リョウ」
「決まってるじゃん」
「誰なのよ、その人」
「――えみりサン」
 リョウがぼそっと呟いた。
 えみりねぇ……まぁ、彼女が惚れられるのはわかる。だって、えみりいい女だもの。
 でも、えみりは既に結婚している。雄也というれっきとした夫と、二人の愛の結晶の純也くんがいる。
 その純也くんは今、体調を崩しているけれども――。
「ねぇ、リョウ。アンタ、えみりが既婚者だってこと、わかってるわよね」
「もちろん」
 リョウは頷いた。
「でもいいんだ。オレ、雄也サンのことも好きだし」
 リョウはフクの頭を撫でながら、
「それに、今は相棒もいるし」
 と言った。
 猫が相棒か。でもまぁ、なかなかいいんじゃない?
「あ、そういえば。――リョウ、この頃ストリートライブしなくなったわよね」
「そうだっけ?」
「うん……いいんだけどさ。私、リョウのギター好きだな」
「オレも、アンタの小説嫌いじゃないぜ」
「ありがと」
「でも、今はフクがいるから。こいつに夢中」
 リョウはフクの頭をぐりぐりと撫でた。それから、湯豆腐をぱくっ。――衛生的によくないんじゃないかしら……。
「じゃ、僕はこれで。ご馳走様」
 哲郎が立ち上がった。
「あれ? まだ少ししか食べてないじゃない」
「後は夜食に取っておくよ」
「わかった。ちゃんと温めるわね」
「みどりくん。僕は君に神光教会には行ってもらいたくないけど、今回は君の意見を尊重するよ」
 哲郎! 偉いじゃない! 自分の主張を押さえて私に選択権を渡すなんて!
「ありがとう! 哲郎さん!」
 私は哲郎に叫んだ。哲郎はひらひらと手を振った。リョウと私はしばらく黙っていた。
「なぁ、秋野。哲郎サンの気持ち、わかってる?」
「哲郎の気持ちって?」
 やっと喋ったかと思ったら、リョウってば妙なこと言うのねぇ。私はリョウに訊き返した。
「哲郎サン、あれ、本気だよ」
「本気? 何が?」
「ああ、もう! こんなヤツのどこがいいんだろうなぁ、哲郎サンも」
「哲郎さんは奈々花の恋人よ」
「哲郎サンはそうは思ってないみたいだぜ」
「でも、奈々花は可愛いし、哲郎さんにぴったりだと思うわよ」
「あのなぁ……哲郎サンは未だにアンタのことが好きなんだよ!」
「――ええっ?!」
 この驚きよう、我ながらわざとらしかったかな。
 まぁ、確かに心の底ではわかっていたことではあった。そんな急に人の心は変わらない。
「だから、哲郎サン、何かにつけて、秋野のことになると嫉妬心が湧いてくるって。『僕はクリスチャン失格だね』と言ってたよ」
「クリスチャンだからって、嫉妬していけないっていう法はないんじゃない?」
「――俺もそう思う。けど、哲郎サン、真面目だからなぁ」
 リョウはフクのビロードのような毛皮の心地良さを楽しんでいるようだった。
「でも、いつかは奈々花の良さに気付くわよ」
「……秋野。おまえ、本当に自分のことしか考えてないんだな」
「そ、そうかしら」
「そうだよ。奈々花と哲郎サンのことだってさ、哲郎サンの気持ち無視じゃん」
「奈々花は哲郎さんが好きだわよ」
「だからさ。奈々花を応援してるのだってさ、結局は自分の為じゃん」
 それは……そうかもしれない。私は将人に首ったけだから。奈々花と哲郎がくっつけば確かに都合はいい。
 奈々花が哲郎と上手くいけば、私は奈々花に密かに持っている負い目を消すことができる。奈々花は以前は将人が好きだったのだから。でも、世の中そう甘くない。
「何話してんの? アンタら」
 えみりがすだれから顔を覗かせた。
「あ、えみり。純也大丈夫?」
「うん……もう寝ちゃった」
「純也、早く治るといいな」
「サンキュ、リョウ」
 メイクが自然になってきたえみりは、多分誰からも好感を持たれるはず。リョウもその一人だ。
「あ、そうだ。秋野の小説、最後まで読まなきゃな。その代わり、宿題写させてくれよ」
 私は、「ダメ!」と言ってやった。教えるだけならやぶさかでもないんだけどね……。それよりもまずは食器を片付けてからだ。リョウもそろそろ食べ終わるみたいだし。

おっとどっこい生きている 126
BACK/HOME