おっとどっこい生きている
124
「おい、秋野。えみりサンに当たるんじゃねぇよ!」
 カトンボみたいなリョウがふらりと立ち上がった。
「当たってなんかいないでしょ!」
「頼子のことなんて、えみりサンに言うことねぇだろ?!」
「だって気になったから……」
「いいかぁ、えみりサンはなぁ、おまえらの為に足りなくなった味噌汁、また作って足したんだぞぉ」
「そうなの?」
 あたしはえみりサンの方に視線を戻した。
「ま、まぁね……」
 えみりはエプロンの裾を弄っている。
「俺達だって、調子に乗って味噌汁食ったじゃねぇか」
 兄貴も参戦する。
「あんまり美味しくてつい……」
 リョウが頭を掻く。リョウは兄貴には弱いみたいだ。
「まぁま、食事ぐらい楽しく食べようよ。ね?」
 私にも異存はなかった。
「私も……ちょっと言い過ぎたかも。ごめんね。えみり」
「ううん」
 えみりはにこっと笑った。意外と可愛い。
 ひと騒動にになるかと思えば不発に終わった。良かった良かっためでたしめでたし。
 私は味噌汁を平らげると、
「ちょっと純也くんの顔見てきていいかしら」
 と言った。
「湯豆腐食べないの?」
「ちょっと見て来るだけだから」
 私はいつも自分が、『食事中に席を立たないように』と言っていたことを思い出した。
 でも、今回はいいよね。純也、病気だもん。
「純也くーん……」
 渡辺一家の部屋の襖を開ける。
 純也は私が自分のお祖父ちゃん達に線香上げた時は眠ってたけど、今はどうかなぁ……。――そろりそろりと入って行く。
「失礼しまーす……」
 開け放しておいた襖から廊下の灯りが洩れる。
 純也はまだ眠っていた。ちょっとぐったりしているように見えるのは仕方ない。
 疲れたんだろうなぁ……。熱で辛くて。やっと安眠に浸ることができたんだ……。
 純也くん、好きなだけ寝てていいからね。
 起こさないようにしよう。私は部屋を後にしようとした。
「あ、あああ……」
 あ、純也、目を覚ましてしまった。
「みどり、純也……」
 えみりの声だ。
「純也起きた?」
「え、ええ……」
「みどり。灯りつけて」
 私はこの和室の電気を点けた。えみりが襖を閉ざしたようだ。
「んー。お薬の時間かな? それともお乳?」
 えみりが純也を可愛くて仕方がないといった様子で抱きあげる。純也は「あー、あー」と泣き出した。
「お乳よりお薬の方が先の方がいいかな」
「私、取って来る」
「いいって。持って来たから」
 さすがだ、えみり。やることが早い。
 それに……いいお母さんだ。さばさばしてて、でも、子供のことには気をかけていて。
 もちろん、雄也もいいお父さんだけど。
 いい両親に囲まれて幸せだよね、純也。
 私の両親もまぁまぁいいけど。
 ――そこで私は思い出した。もうすぐトンガからお父さん達が一時帰国するのよね。あの宇宙人の父親が。お母さんもいい加減謎の人だけど。
 ああ。どうしてうちの常識人のお祖父ちゃん達から、あんな宇宙人が生まれたんだろう……。
「ん? どしたの? みどり」
「うーん。ちょっとね、考えてた。うちの親のこと」
「ああ、トンガ行ってるんだったわよね」
「うん。『トンガって何?!』って感じなんだけど」
「でもさ、いいわよね。みどりのお父さんとお母さん。会ったことないけど。電話の調子だと、明るい人みたいだし」
「……明る過ぎるのが、玉に疵なんだよねぇ……」
 軽い考えで、私達をこの家に置いてっちゃうしさぁ……。
「アタシね。純也にはいいお母さんでいてあげようと思ったの。近頃その意識がますます強くなったな」
 ふーん。母は偉い! 母は強し!
「あ、ご飯中に席立ってごめんね。今から戻るから」
「みどり」
「なぁに?」
「あのね……」
 えみりが何かを言いかけた。そして、首を横に振って言った。
「やっぱりいいわ」
「何よぉ、気になるじゃない」
「ん、あのね……これからも純也のこと、宜しくね」
「あったりまえじゃない!」
「ずっとこの家にいられるといいんだけど」
「ずっといてよ! えみり! アンタらがいると退屈しないからさ」
「何よそれ。どういう意味ぃ?」
 えみりは笑っていた。
 でも……そうか。
 私はあんまり考えなかったけど、渡辺一家にとっては、ここは多分仮の住まいだ。いつかはここを出て行く日が来る。
 えみりはそれを思ったのだろう。
 彼女達、いつまでもここにいるわけじゃないんだ。
 足元が崩れ去ったような気がした。私は不安に襲われた。
 だけど、それは今ではないわよね。まだまだここにいるわよね。えみり、雄也、純也。
 お父さん達だって、トンガから帰ってここにいるのは、多分少しの間だけだし。
「私……もう行くね」
 えみりが頷いたのを見て、私は食卓に行った。
 哲郎が来ていた。
「哲郎さん」
「やぁ、みどりくん。今日は朝ご飯の時以来見なかったね」
「そうかしら」
 答えてから、私ははた、と思い至った。
 神光教会のことについて、私はまだ、哲郎に話していない。言った方がいいよね、いいよね……。
「あのね、哲郎さん。日曜日、神光教会に行っていい?」
 哲郎の箸が止まった。
「神光教会だって?」
 哲郎は途端に嫌そうな顔をした。
「あそこは異端だよ」
「異端って?」
「みどりくん。僕達の母教会は聖栄教会だよ。もう忘れたのかい?」

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