おっとどっこい生きている
122
「約束だよ! お兄ちゃん!」
 真紀ちゃんは猫を床に下ろしたリョウと指きりげんまんをした。
 良かったね。リョウ。
 収まるべきところに収まったんだ。
 ここで哲郎がいたら、
「神様が問題を解決してくださったんだよ」
 というところだろうか。問題を解決したのは、神様でも仏様でもなく、リョウと真紀ちゃんなのに。
「ほら、フク。お友達だぞ」
「ナ―オ」
「よろしくね、フクちゃん」
「にゃー」
 真紀ちゃんがフクを撫でる。フクは嬉しそうに頭を上げる。猫の撫で方は上手よね。さすが猫好きなだけのことはあるわ。
「ほら、フクも真紀ちゃんのことが好きだってよ」
「ええっ? ほんと?」
 真紀ちゃんは目を輝かせた。
「真紀。そろそろ帰らないと」
「えー、まき、もっとフクと遊びたい」
「また来いよ」
 リョウがぽんぽんと真紀ちゃんの頭を撫でた。
「うん……」
 微笑んでいるリョウを見て、真紀ちゃんの頬がちょっと赤くなっているような気がするのは――気のせいだろうか。
「お兄ちゃんのお名前はリョウって言うの?」
「そう。鷺坂稜。宜しくね」
「うん。あのね、お話があるの」
「何だい?」
「まき、お兄ちゃんのこと好き!」
「そうかそうか。ありがとな」
「一緒にフクをかわいがろうね」
「そうだな」
「では、私達はこの辺で。まき、行くよ」
「はーい、パパ」
 真紀ちゃんは上原さんについて行った。
「それでは皆さんご機嫌よう」
「さようならー。またね、お兄ちゃん」
 真紀ちゃんが手を振った。
 扉が閉まると、リョウが私に言った。
「秋野。『黄金のラズベリー』の原稿、ちょっと貸して。今日中には読み終わるから」
「いいわよ」
 けど、リョウが読書家だなんて初耳。意外だなぁ。
 一緒に住んでるのに、何も家族のことわかってないのね。私。まぁ、居候だからと馬鹿にしてたところもあるけど。
 けど――この家の人達はみないい人だ。
 雄也だっていい父親やってるし、えみりだって一生懸命だし、哲郎は――まぁ、伝道に燃えてるのはわかるけどねぇ。
 純也くんだって可愛いし。私、今の環境に何の不満もないわ。
 これもみんな兄貴のおかげね。最初は、とんだ荷物を背負わされたと思ったけど。
 お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに報告して来よう。
 お祖父ちゃん、お祖母ちゃん。今日、ちょっとトラブルになりかけたことがありましたが、無事解決しました。
 いつも見守っててくれてありがとう。
 お線香をあげて、ちーんと鐘を鳴らした。
 じゃ、遅くなったけど夕飯の用意をしなきゃ。今日は湯豆腐ね。みんな好きだから。それに、ちょっと贅沢だし。
 台所に行くと、既にえみりの姿があった。
「お味噌汁作ったわよ。作り方見ながらだけど」
「ありがとう」
 味見して、と言うので、一口飲んだ。美味しい。私の作るのとはちょっと違うけど。えみりの料理の腕はめきめきと上がりつつあるようだ。
「えみり、いつも世話になってるわね」
「やーだ。みどりったら、どうしたの?」
「別に……」
 嬉しさが込み上げて、涙に変わろうとしていた。
 知らなかった。嬉し泣きって本当にあるのね。
 あまり経験のないことだから、わからなかったわ。
「みどり、今日の夕飯、何?」
「湯豆腐のつもりだけど」
「それだったらアタシでもできるわ。みどりは休んでて」
「ほんと? じゃあお願いするわ。――ほんとにありがとう」
 あたしはえみりの言葉に甘えることにした。
 宿題でもやろうかな。
 その時、携帯が鳴った。将人からかしら。
 残念ながら、将人からではなかった。しおりからだ。何だろ。
『ハロー、しおりでっす。みどりさんに話があるんだけど』
 文面を追っていた私は、途端に血の気が引いた。
 簡単に言ってしまうと、日曜日に神光教会に来て、というものだった。
 どうしよう。
 そんなこと言ったら哲郎とぶつかるのは確実。
 それに、私、聖栄教会も大好きだし。
 うー、えみり達や隼人くんやマーシャもがっかりするだろうな。私が神光教会行ったら。それから、フィリップさんも。
 フィリップさんは優しいから私の事情も汲んでくれると思うけど。
 ――哲郎に何と説明しよう。
 あ、そうだ。
 神光教会には夕方行けばいいんだ。
 なぁんでこんなことに気付かなかったんだろ。
 しおりにも、麻生牧師にも、それから溝口先輩にも会いたいし。
 麻生先輩にも――まぁ、会ってやってもいいわ。
 問題が片付いたところで、私は宿題を始めた。数学からだ。
 数学って、やなのよねぇ、本当は。まぁ、それでも平均点以上は取ってるけど。美和にはいっつも羨ましがられてる。
「その点数で数学嫌いだなんて、よく言えるねぇ」
 って。私も我ながらそう思う。
 悪くない頭を授けてくださったお父さん、お母さん、それに、お祖父ちゃん達に感謝だわ。
 でも、数学は一度迷ったら抜け出せない森のようなところだ。
 計算違いはよくやる。前提が間違っていると、もう数学の森の虜囚だ。
 けれど、今回は早く終わった。今度は……英語だ……。
 神様はサドですかぁ? 英語も苦手なのに。もちろん平均点は……以下略。
 がんばれ、みどり。これが終わったら湯豆腐が待ってるゾ。
 私は必死で訳した。
 これは難しかった。大体、私は基本的に勉強に関しては努力の人ではないのだ。努力している人達を馬鹿にはしてない。むしろ尊敬してるけど。
 テストなんて授業を受けていれば大概の答えはわかるし。他人には偉そうなこと言ってるけど……反省……。って。反省だけなら猿でもできるわね。
 しっかし、久々に骨が折れたなぁ。
 へろへろになって下に行くと、お味噌汁のいい匂いが漂ってきた。本当にえみりは上達したなぁ。
 えみりだってがんばってるんだ。私ががんばらないでどうする!
「あ、みどりー。ご飯だって呼びに行こうとしたところなのー」
「ありがと。それにしても、本当に随分美味しそうな匂いじゃない」
 えみりは三角巾を外して、えへへ、と照れ笑いをした。

おっとどっこい生きている 123
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