おっとどっこい生きている まき、と言うのは、この女の子の名前だろう。 フクを引き取りに来たのだろうか。この父娘は。 さぞかしリョウが反対するだろう。 「ああ。すみません。私は上原章二。こっちは娘の真紀。よろしく」 「あ……はい。よろしく」 私は上原さんから名刺を受け取った。 「ねぇ、パパ、猫いないよ」 「ああ、そりゃ、せっついても悪いだろう? 真紀、大人しくしなさい」 上原さんが娘を窘めた。 「ここでいいんですよね。秋野さん」 「は……はい」 「娘が猫をどうしても飼いたいというもので――電話でアポイントメント取ってからの方が良かったですか?」 「ああ、それは……どちらでも」 そこで、私はあることに気がついた。 「あの……奥さんは?」 「ああ、三年前に他界してしまいましてね。……真紀にも随分寂しい思いをさせてしまいました」 そっかぁ……。悪いこと訊いてしまったな。 「でも、私には真紀がいましたから助かりました。だから、真紀の願いはできるだけ叶えてやりたいと思うのですが……」 そんな事情があるなら、うっかり、 『フクはもうリョウの猫です』 なんて言えないじゃない。 でも、リョウは駄々をこねるかもな――。 そんなことを考えていると――。 「あら、お客さん?」 えみりが顔を出した。 「フクを引き取りたいって」 「まぁ、フクを……」 えみりの顔が曇った。 「まきが欲しいのは、お洋服じゃなくて、猫なの!」 真紀ちゃんは勘違いしたようだった。私はつい吹き出した。 「ああ、『フク』っていうのは、猫の名前よ」 「ふうん……」 「ちょっと待っててね。リョウ、リョウー!」 私はリョウを呼んだ。 「んだよー」 と言いながら、フクと一緒に玄関に現われた。『黄金のラズベリー』の原稿を持っていないところを見ると、どこかに置いてきたらしい。 「あ、まきの猫!」 と、真紀ちゃんが嬉しそうに声を弾ませた。 「あーん。何だ? この子」 リョウは訝しげな表情をした。 「それ、まきの猫でしょ?」 「違うな」 リョウは一言で否定した。 「これはオレのフクだ」 「フクちゃん、まきのー!」 「それはどっか別のフクだろ? これはオレのフクなの!」 大人げないわよ、リョウ……。 「う……」 ほら、真紀ちゃん泣いちゃいそう……。 「うわーん!」 ほら、泣いた。 「リョウ……アンタのせいでこの子泣いちゃったじゃない」 えみりが怒気を孕んだ声で言う。 「ああ……ほらほら。真紀ちゃん、いい子いい子。ちょっとリョウ! あんた、相手は子供なのよ!」 私はぐずる真紀ちゃんの頭を撫でた。 「お……オレのせい?」 リョウもちょっと動揺しているようだった。 「ポスターを見てこの家に来たんだが……」 そうそう。私達、フクの面倒見てくれる人探しにポスター作ったのよね。 ポスターを見て来たんじゃ、無碍に追い出すわけにもいかないし……。 「これはお兄ちゃんの猫なの! 泣けば済むと思ったら大間違いだからな!」 「リョウ、あんた少し黙ってなさい」 私が睨むと、リョウは口を噤んだ。そして、何か考え込むように、唇を噛んだ。 私は、視線を上原親子に戻した。 「真紀……本当にこの猫がいいんだね?」 「うん……まき、この猫がいい」 「でも、この猫を既に可愛がっている人もいるんだよ。それでも欲しいかい?」 真紀ちゃんはこっくり頷いた。 「まき、フクちゃんがいい」 「――他にも、可愛い猫はたくさんいるよ」 「でも、まき、フクがいい!」 まきちゃんはフクを指さした。 フクは、人の気も知らぬげに、 「にゃあーお」 と、暢気に長い声で泣いた。 「フク……」 リョウが、悲しげな声でフクの名を呼んだ。 「ねぇ、上原さんも言ってたけど、もっと可愛い猫はいるわよ。だから、フクのことは諦めてちょうだい。ね?」 「やだ!」 「そうですねぇ――人手に渡るのが嫌なら、あんなポスター作らなければいいんですよ」 上原さんは、ちょっと苛々しているような口調だ。 そうだよねぇ……あんなポスター作っておいて、実は手放せませんじゃ、詐欺まがいよね……。 「で、いくら欲しいんですか?」 「え?」 「この猫を買うことにしました。いくら欲しいんですか?」 「そんな……オレ達金が欲しいわけじゃ……」 「そうだよ、パパ。まき、『お金で何でも解決するわけじゃありません』って、先生にゆわれたよ」 あら、まきちゃんの方が大人だわ。 「じゃあさ、こうしようか、お嬢ちゃん」 リョウは真紀ちゃんに近付いて行って、フクを目の前に差し出した。 「な……なに……?」 「オレと一緒にフクを可愛がろう」 「何言ってるんですか? 貴方は」 上原さんは不審げだ。 「いいの?!」 「ああ、いいとも。おじさん、うちこの辺でしたっけ?」 「そうですが……」 「それだったら、いつでもこの家に遊びにいらっしゃい。俺はいなくても、フクはいるからね」 ――優しいお姉さんもいるわよ、とえみりが付け足した。えみりが言うのは、にわか学生ベビーシッターのことだろうか。 おっとどっこい生きている 122 BACK/HOME |