おっとどっこい生きている 雄也が歓声を上げた。 雄也にしてみれば、このきんぴらごぼうがお袋の味だったのであろう。 「えみりさんに言われて、牛肉のそぼろもかけてみたんだけど、どうかしら」 エプロンをたたみながら、つねさんが言う。 「うん。料理の味がぐっと引き立つね。サンキュー、えみり。愛してる」 「アタシも」 「こらこら、なんです、人前で」 つねさんは、こほんと咳払いをした。 つねさんが昭和生まれかどうか謎だけど、私も同意見だ。 「ちぇっ。夫婦なんだからいいだろうが」 「夫婦……ね」 つねさんは、少し困ったような顔をした。 無理もない。今日まで反対していたのに、今は、嫁のいいところもそれなりに見えてきたので、表だっていびることもできなくなってしまったのだろう。つねさんは、一旦相手を認めると、性のいいお姑さんになるタイプの人のようだ。 それにしても、唐辛子入りきんぴらごぼうは、ぴりっとしたところがあって、美味しい。 このメニュー、秋野家でも取り入れようかしらん。 「あっ。駿。もう取るなよ」 「男がケチケチしたこと言うな」 わぁ、兄貴ったら、おじいちゃんの口癖が移ってるよ。 「もう、仕方がないわね」 「もっと作れば良かったかしら」 つねさんは、えみりに向かってにっこりと笑った。 息子の選んだ人だもの。任せてみるわ。 つねさんは、そう思ったに違いない。 表面上は、あまりそういうところは表していないが、えみりに対する見方は変わったに違いない。 「お義母さんが、こんなに話せる人だとは思わなかったわ」 えみりのこの一言が、全てを物語っている。 「ねぇ、お義母さん、純也見ていかない? 今、寝てると思うけど」 「孫は、寝てても起きてても可愛いものよ」 今は、すっかり純也達の部屋になってしまった和室に、えみりが案内しようとする。 あそこ、お仏壇があるけど、いいのかしら。 えみりに訊いてみると、 「ああ、平気でしょ。駿ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんに見守られて、純也もぐっすり眠ってるよ」 私も、「そういうもんかな」と言う気にさせられた。 哲郎が、また渋面になった。 私も純也くんの寝顔を見たいな、と思ったが、今は、姑と嫁との一応の和解を密かに祝して、そっとしておこう。 和室から戻ったつねさんは、台所に立って食器を洗っている。私はいいって言ったんだけど、 「私は働くのが趣味だからね。みどりさんは、のんびりしていてくださいね」 と、どっちがお客だかわからないような返答をされてしまって、結局、私は、哲郎達と一緒に、居間でテレビを観ることになった。 「みどり。うちのお袋、アンタのおかげで、態度が変わってきたよ。哲郎から聞いた。アンタ、お袋相手に一席ぶったんだって?」 雄也が話しかけてきた。 「いや、まぁ……一席ぶったと云うか、私の考えていることをそのまま言っただけで」 「それが良かったんだよ」 少しは機嫌が直ったのか、哲郎が微笑みながら言う。 「これからはオレ、もうちょっとお袋と話し合いしてみるわ」 雄也はもう、母親をババァ呼ばわりはしなくなった。 考えてみれば、雄也も、つねさんにとっては可愛い息子なのだ。 つねさんはあの性格だ。喧嘩も絶えないだろうけど、家族なんだから、ゆっくり歩み寄って行けばいい。 えみりさんも、まずは誤解を取り払ってもらえたようだし。それに、私も、あのお姑さんの気持ち、わからないでもないのよね。最初はどこの水商売の女かと思ったもん。 テレビをぼーっと観覧していると――電話が鳴った。 「もしもし。秋野ですが」 「もしもし。元気か? みどり」 相手はお父さんだった。 「元気も何もないよ。兄貴が友達を連れてくるんで、もう大変」 「それにしちゃ、声が弾んでるぞ」 「ん、まぁ、悪いことばかりでもないんでね。――そう言えば、トンガでは今何時?」 「夜の十二時。日本より四時間早いからなぁ、こっちは」 「駄目でしょ。そんな時間に国際電話かけちゃ」 「久しぶりにみどり達の声が聞きたかったんだけどな。ちゃんと時差のことも考えたぞ」 「はいはい。それはわかったから、ゆっくり寝てね」 「ちょうど、引っ越しも一段落終えたところだ」 聞いてないし。 「みどりは寂しくないかい?」 「全然。兄貴の友達が我が家を下宿と勝手に決めたせいで、お父さん達がいたときより賑やかよ」 「え? ――その友達には、男はいないだろうな」 「いるよ」 「どんな奴だ」 「夫婦者に赤ちゃん。あ、彼らは家族でこの家に来たのよ。それから、クリスチャンの男性もいるわ」 「なぁんだ。びっくりした。もう既に結婚している男なら……ちょっと待て。その夫婦、仲はいいのか?」 「いい方よ」 「じゃあ、みどりと浮気をするってことはないな」 「なに変なこと言ってるの! あんな男好みじゃない!」 「……まぁ、会ったことないから、お父さんは何とも言えないが。駿の友達なら、信用してもいいだろう」 え? そんなに簡単に信じちゃっていいの? 「クリスチャンの男には、恋人はいるかね」 考えてみれば、そんな話はしたことなかったな。 「さぁ……神様が恋人なんじゃない?」 「あまり油断しない方がいいぞ。みどりはかわいいからな」 そう言えば、初対面のときの哲郎も、私のことかわいいって言ってたっけ。お世辞だと思うけど。お父さんは親ばか。 「駿と変わってくれないか? ちょっと話がしたい」 「はあい。兄貴ー。お父さんから電話」 「はいはい」 こころもち大きな声で呼ぶと、兄貴が暖簾を上げて顔を出した。 お父さんと兄貴が何を話したのか、私は知らない。自分の部屋へと戻っていたからだ。 しばらくして、お兄ちゃんが部屋に来た。ガチャリとノブを回して。 「お兄ちゃん! ノックぐらいしてよ! この家には、プライバシーってもんがないの?」 「悪い悪い」 「……お父さんとの電話は終わったの?」 「ああ」 私もそれ以上は訊かなかった。 「それから、また電話が来たぞ。おまえに」 「誰?」 「男の声だったぞ。彼氏からかな?」 「そんなのいないって。何て言う人?」 「ああ。桐生って名乗ってたけど」 何故それを早く言わない! すぐさま電話に飛びついた私の速さは、マッハを超えていたと思う。 「も……もしもし。みどりですが」 「あ、秋野? 桐生だけど」 「な、何?」 「日曜日に、ちょっと出かけないかい? お金はないから、ただその辺ぶらぶら歩くだけだけど」 「い、行きます!」 私の声は、少し裏返っていたに違いない。 「良かった。あ、そうだ。小物店で何か買おうか。そのぐらいは持ってるから」 「ま……任せるわ」 昨日はあんなに自然に喋れたのに、電話だとどもってしまう。電話って怖い。 「じゃ、明日。何時がいい?」 「な、何時でも」 「じゃあ、午前十時でいいかな?」 「はいっ」 そこで、桐生将人との電話が終わった。 日曜日が楽しみだな……。 と思ったところで、哲郎との約束を思い出した。 しまった! これって、ダブル・ブッキングじゃない! こんな失敗しでかすなんて、みどり、アンタもヤキが回ったねぇ。 でも、哲郎には条件出したんだっけ。渡辺夫妻にも、教会へ行くこと、承諾させること。 ま、あの人達、宗教心薄いようだし、つねさんもいるし。 私は安心して(正確には安心したふりをして。だって、人生何が起こるかわからないもの)、指折り数えて日曜を待つことにした。 おっとどっこい生きている 13 BACK/HOME |