おっとどっこい生きている
12
「これこれ、これだよ。オレが食べたかったのは」
 雄也が歓声を上げた。
 雄也にしてみれば、このきんぴらごぼうがお袋の味だったのであろう。
「えみりさんに言われて、牛肉のそぼろもかけてみたんだけど、どうかしら」
 エプロンをたたみながら、つねさんが言う。
「うん。料理の味がぐっと引き立つね。サンキュー、えみり。愛してる」
「アタシも」
「こらこら、なんです、人前で」
 つねさんは、こほんと咳払いをした。
 つねさんが昭和生まれかどうか謎だけど、私も同意見だ。
「ちぇっ。夫婦なんだからいいだろうが」
「夫婦……ね」
 つねさんは、少し困ったような顔をした。
 無理もない。今日まで反対していたのに、今は、嫁のいいところもそれなりに見えてきたので、表だっていびることもできなくなってしまったのだろう。つねさんは、一旦相手を認めると、性のいいお姑さんになるタイプの人のようだ。
 それにしても、唐辛子入りきんぴらごぼうは、ぴりっとしたところがあって、美味しい。
 このメニュー、秋野家でも取り入れようかしらん。
「あっ。駿。もう取るなよ」
「男がケチケチしたこと言うな」
 わぁ、兄貴ったら、おじいちゃんの口癖が移ってるよ。
「もう、仕方がないわね」
「もっと作れば良かったかしら」
 つねさんは、えみりに向かってにっこりと笑った。
 息子の選んだ人だもの。任せてみるわ。
 つねさんは、そう思ったに違いない。
 表面上は、あまりそういうところは表していないが、えみりに対する見方は変わったに違いない。
「お義母さんが、こんなに話せる人だとは思わなかったわ」
 えみりのこの一言が、全てを物語っている。
「ねぇ、お義母さん、純也見ていかない? 今、寝てると思うけど」
「孫は、寝てても起きてても可愛いものよ」
 今は、すっかり純也達の部屋になってしまった和室に、えみりが案内しようとする。
 あそこ、お仏壇があるけど、いいのかしら。
 えみりに訊いてみると、
「ああ、平気でしょ。駿ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんに見守られて、純也もぐっすり眠ってるよ」
 私も、「そういうもんかな」と言う気にさせられた。
 哲郎が、また渋面になった。
 私も純也くんの寝顔を見たいな、と思ったが、今は、姑と嫁との一応の和解を密かに祝して、そっとしておこう。

 和室から戻ったつねさんは、台所に立って食器を洗っている。私はいいって言ったんだけど、
「私は働くのが趣味だからね。みどりさんは、のんびりしていてくださいね」
と、どっちがお客だかわからないような返答をされてしまって、結局、私は、哲郎達と一緒に、居間でテレビを観ることになった。
「みどり。うちのお袋、アンタのおかげで、態度が変わってきたよ。哲郎から聞いた。アンタ、お袋相手に一席ぶったんだって?」
 雄也が話しかけてきた。
「いや、まぁ……一席ぶったと云うか、私の考えていることをそのまま言っただけで」
「それが良かったんだよ」
 少しは機嫌が直ったのか、哲郎が微笑みながら言う。
「これからはオレ、もうちょっとお袋と話し合いしてみるわ」
 雄也はもう、母親をババァ呼ばわりはしなくなった。
 考えてみれば、雄也も、つねさんにとっては可愛い息子なのだ。
 つねさんはあの性格だ。喧嘩も絶えないだろうけど、家族なんだから、ゆっくり歩み寄って行けばいい。
 えみりさんも、まずは誤解を取り払ってもらえたようだし。それに、私も、あのお姑さんの気持ち、わからないでもないのよね。最初はどこの水商売の女かと思ったもん。

 テレビをぼーっと観覧していると――電話が鳴った。
「もしもし。秋野ですが」
「もしもし。元気か? みどり」
 相手はお父さんだった。
「元気も何もないよ。兄貴が友達を連れてくるんで、もう大変」
「それにしちゃ、声が弾んでるぞ」
「ん、まぁ、悪いことばかりでもないんでね。――そう言えば、トンガでは今何時?」
「夜の十二時。日本より四時間早いからなぁ、こっちは」
「駄目でしょ。そんな時間に国際電話かけちゃ」
「久しぶりにみどり達の声が聞きたかったんだけどな。ちゃんと時差のことも考えたぞ」
「はいはい。それはわかったから、ゆっくり寝てね」
「ちょうど、引っ越しも一段落終えたところだ」
 聞いてないし。
「みどりは寂しくないかい?」
「全然。兄貴の友達が我が家を下宿と勝手に決めたせいで、お父さん達がいたときより賑やかよ」
「え? ――その友達には、男はいないだろうな」
「いるよ」
「どんな奴だ」
「夫婦者に赤ちゃん。あ、彼らは家族でこの家に来たのよ。それから、クリスチャンの男性もいるわ」
「なぁんだ。びっくりした。もう既に結婚している男なら……ちょっと待て。その夫婦、仲はいいのか?」
「いい方よ」
「じゃあ、みどりと浮気をするってことはないな」
「なに変なこと言ってるの! あんな男好みじゃない!」
「……まぁ、会ったことないから、お父さんは何とも言えないが。駿の友達なら、信用してもいいだろう」
 え? そんなに簡単に信じちゃっていいの?
「クリスチャンの男には、恋人はいるかね」
 考えてみれば、そんな話はしたことなかったな。
「さぁ……神様が恋人なんじゃない?」
「あまり油断しない方がいいぞ。みどりはかわいいからな」
 そう言えば、初対面のときの哲郎も、私のことかわいいって言ってたっけ。お世辞だと思うけど。お父さんは親ばか。
「駿と変わってくれないか? ちょっと話がしたい」
「はあい。兄貴ー。お父さんから電話」
「はいはい」
 こころもち大きな声で呼ぶと、兄貴が暖簾を上げて顔を出した。
 お父さんと兄貴が何を話したのか、私は知らない。自分の部屋へと戻っていたからだ。
 しばらくして、お兄ちゃんが部屋に来た。ガチャリとノブを回して。
「お兄ちゃん! ノックぐらいしてよ! この家には、プライバシーってもんがないの?」
「悪い悪い」
「……お父さんとの電話は終わったの?」
「ああ」
 私もそれ以上は訊かなかった。
「それから、また電話が来たぞ。おまえに」
「誰?」
「男の声だったぞ。彼氏からかな?」
「そんなのいないって。何て言う人?」
「ああ。桐生って名乗ってたけど」
 何故それを早く言わない!
 すぐさま電話に飛びついた私の速さは、マッハを超えていたと思う。
「も……もしもし。みどりですが」
「あ、秋野? 桐生だけど」
「な、何?」
「日曜日に、ちょっと出かけないかい? お金はないから、ただその辺ぶらぶら歩くだけだけど」
「い、行きます!」
 私の声は、少し裏返っていたに違いない。
「良かった。あ、そうだ。小物店で何か買おうか。そのぐらいは持ってるから」
「ま……任せるわ」
 昨日はあんなに自然に喋れたのに、電話だとどもってしまう。電話って怖い。
「じゃ、明日。何時がいい?」
「な、何時でも」
「じゃあ、午前十時でいいかな?」
「はいっ」
 そこで、桐生将人との電話が終わった。
 日曜日が楽しみだな……。
 と思ったところで、哲郎との約束を思い出した。
 しまった! これって、ダブル・ブッキングじゃない!
 こんな失敗しでかすなんて、みどり、アンタもヤキが回ったねぇ。
 でも、哲郎には条件出したんだっけ。渡辺夫妻にも、教会へ行くこと、承諾させること。
 ま、あの人達、宗教心薄いようだし、つねさんもいるし。
 私は安心して(正確には安心したふりをして。だって、人生何が起こるかわからないもの)、指折り数えて日曜を待つことにした。

おっとどっこい生きている 13
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