おっとどっこい生きている
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 キーンコーンカーンコーン――
 予鈴が鳴った。
「ほら、リョウ。行くわよ」
 私はリョウを教室に引っ張って行こうとした。だが、リョウは抵抗した。
「オレ、フクと一緒にいたい!」
「気持ちはわかるがね」
 河野先生が口を出した。
「またいらっしゃい」
「さぁ、君達も散った散った」
 先生方に促されたが、みんなは、まだ時間あるじゃーんと、抗議の声を上げた。気持ちはわかるが。
「それよりさ、秋野。体は大丈夫なのか?」
 リョウが心配してくれた。それは――素直に嬉しい。
「ありがとう。でも、もう大丈夫よ」
「勿体ない。オレだったらもっと休んでいるのにな」
「保健室ではフクに会えないわよ」
「それは困る。オレ、フクも教室に連れて行きたいぐらいだもん」
「フクが人間になれればね」
 女生徒がくすくす笑った。何がおかしいんだろう。確かにリョウは少しずれているが。
「秋野さんとリョウって、おかしいよね」
 何ッ?! 私もこみなのか?!
 もう――リョウのせいで私まで色モノ扱いされちゃったじゃない。心外だわ。
「とにかく行くわよ」
「フクー。また来るからなー」
 私は無理矢理リョウを引っ立てていった。フクはそれを見て、
「ニャー」
 と鳴いた。
 あれ? もしかして、フクってば、リョウのことうるさがってない? 私にはそう見えるんだけど。
 そう話したら、リョウは、
「そんなことない!」
 と断言した。
「オレ達はふかーくふかく愛し合っているんだもんね」
 はいはい、言ってなさい。
 ああ。それにしても、我が家の居候は、どうして次から次へと問題を起こすのかしら。
 えみりは大学辞めるっていうし、リョウはフクを学校に連れて行くし。
 純也の突発性発疹症は不可抗力だとしても。
 うーん。私って、疲れているのかなぁ。もともとがんばり屋だって、頼子に保証されているぐらいだし。
(今の生活、重荷になっていない?)
 荒井先生の言葉がよみがえる。
 そうかもしれない。でも、えみり達がいない生活なんて、もはや考えられない。
 リョウがフクとの別れを考えていないように(多分考えていないわよね)。
 いろいろ心配で、勉強が手につかなかった。
「こら、秋野。何ぼけーっとしてる」
 先生に言われたが、ぼーっとしてるぐらい、勝手じゃない、とも思うのだ。私、反抗期かもしれない。でなければ、神経すり減らしてて気になることが多くなったとか。
 いや、私はこのぐらいでめげたりしない。だから、反抗期なのだ。
 哲郎にも反抗するし、学校でも反抗する。
 フク……。
 猫にも反抗期があるなら、今のフクは正にそれのように思える。これは、フクを愛しているリョウにだってどうしようもない。
 フクは、リョウに頬ずりされている時、確かに迷惑そうだった。
 まぁ、文字通り猫っ可愛がりをしているリョウも悪いんだけど。
 
 あっという間に、昼休みの時間になった。
 リョウは、職員室にすっとんで行った――というか、行く先はそこしかない、と思えるぐらい明白である。
 そして――
 私は、屋上で弁当を食べながら、頼子達にえみりの話をした。えみりが大学を辞めたいと言っていた話を。
 えーっ! 勿体なーい!の大合唱だった。
「せっかく今まで勉強してきたのにね」
「友達はどう思うかなぁ」
「哲郎さんは一生懸命浪人してるのに」
「私だったらやめませんわ」
「だって――専業主婦の方が楽しいって言ってたのよ」
 と、私。
「私、えみりが決めたことなら口を挟めないわよ。純也君だっていることだし」
「あら、みどり」
 頼子の目が光った――ような気がした。
「私は教頭の娘だから、勉強を教える辛さも知ってるわ。先生方に申し訳ないと思わないの?」
「私に言われても――」
 決めるのはえみりだし。
「あと一年でしょう? 大学、出ておいた方が絶対いいわよ」
 そうかなぁ……。
「今の日本はまだまだ学歴社会よ。大学、中退するのと卒業するのとでは全然違うのよ」
 なるほどねぇ……頼子の言う通りのような気がしてきたわ。
 頼子の台詞には、昔から妙な説得力がある。それを悪用すれば、詐欺師にだってなれそうなほど。
 え? 友達に詐欺師は失礼だって?
 そんなやわな関係じゃないわ。私達。腐れ縁といっていいぐらいの仲だもの。
 それに私、頼子には何でも言える。
 そういう友人関係って、貴重じゃない?
 私は、頼子――いや、頼子だけでなく、奈々花、今日子、美和――それに、友子も加わって、私を支えてくれている。
 そして、家では、居候――いや、同居人達も。
 確かに胃が痛くなるのは本当だけど、私はこの生活を手放すつもりはない。どんなことがあっても。
 その関係性が、今の私を形作っているのだから。
 それに――ああ、将人。私の初恋の人!
 教会の人々も優しい。これからもっともっと仲良くしたいと思っていた。哲郎さえつまらないことを言わなければ。洗礼だって? 冗談じゃないわよ――話が逸れた。
 えみりは、大学を辞めたい。私も今までそれでいいと思っていた。
 でも、友人達に諭されて、ぐらぐらになっている――私が辞めるわけではないけど。
 やっぱり、ここはえみりの友人として、止めるべきなのかなぁ。
 哲郎は何て言ってたっけ。思い出せない。
 まぁ、生涯学習って言葉があるし、今、大学を辞めても、えみりには勉強するチャンスがいくらでもある。あのえみりが勉強するとは思えないけど。
 でも、大学生活と子育てって、両立させるのは難しいよね。子持ちではない私にだってわかる。
 えみりがどんな道を選ぼうと、私が言える台詞はこれしかない。
(えみり――がんばって)
 もう既にがんばってるけど。えみりは、その外見には似もつかないほど、努力家で優しいけれど。
 何か、リョウに似てる。だから、えみりはリョウを拾ってきたのかな。
 えみりはフクも拾ってきた。いろんなものを拾ってしまう質であるらしい。自分と重ね合わせているのかな。これは私の想像だけど。
 えみりと小林の実家って、仲が悪いみたい。純也の病気のことも秘密にするぐらいだもの。私はそう感じたな。
「あら、お邪魔だったかしら?」
 高部由香里が来た。南加奈も一緒にいる。
「な……何よ、あんた達」
 私が言うと、由香里は、
「教頭先生が呼んでたわよ、頼子のことも」
 と言った。私達は何だろうと思いつつ、とにかく職員室に向かった。

おっとどっこい生きている 118
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