おっとどっこい生きている
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「あー楽しかったー」
 美和が満足そうに笑いながら私の前を歩いて行く。
「また皆で行こうね」
 みんな、「そうだねー」とか、「そうしよっかー」とか言っている。つまり、実のない話はあまりしていない。
 哲郎は奈々花と一緒に手を繋いで歩いている。良かったね、奈々花。哲郎。上手くいくことを祈っているよ。
 祈ると言ったって、私はクリスチャンじゃないけどさ。洗礼を受ける気もないし。
「ねぇ、これから奈々花ん家行く?」
 美和が訊いた。
 奈々花の家って、この近くなんだよね。
「僕は勉強があるから」
 ごめんね、と哲郎は謝る。
「私も英語の予習やんないと」
 リーダーはいつも私に回ってくるのだ。
「えー? みどりちゃん来ないのつまんないー」
 美和が駄々をこねる。
「あの先生って、みどりばかり指名するよね」
 今日子の言う通りかもしれない。
「でも、何でなのかなぁ?」
 彼女は頭をひねる。
「大塚先生、外人が苦手なのよ」
 友子が割って入った。
「秋野部長が教会の英語礼拝に出ていること知ってるから。あの先生。だからコンプレックス刺激されたのかもしれないわ」
「友子、私達だって行ってるじゃない。何でみどりばっかり?」
「みどりは桐生先輩の恋愛騒動とかあったじゃない。それで大塚先生に目をつけられたんだと思うよ」
 わっ、びっくりした。
 やだ。奈々花、聞いてたのね。今まで哲郎とばかり話してたと思ったのに。
「大塚センセイって超インケンー」
「そんなこと言うもんじゃないわよ。美和。敵を赦すことはその敵の頭に炭火を積むようなものだって、岩野牧師が言ってたでしょ」
 大塚先生は勝手に敵にされてしまった。
 それにしても、今日子って時々大胆だよなぁ。言うこともなにげにきついし。
 私は英語はできる方ではない。いや、それは他の教科と比べての話だけど。平均点は上回っていると思う。
 期末や中間では上位十位以内には入ってるもんね。
「じゃ、私達はこれで」
「今日は楽しかったよ」
 私と哲郎は分かれ道でさよならを言い合う。
「おやすみなさーい」
「またねー」
 奈々花が名残惜しそうな顔をしていた。それはそうであろう。私も将人と別れる時は惜しいもの。
 私達はぽくぽくと歩いている。哲郎がふと言った。
「今日はありがとうね。みどりくん」
「ふぇ? え、いや……」
 突然礼を言われても反応に困る。
「みどりくんが祈祷会に誘ってくれた時、本当に嬉しかった。君もやっと信仰に目覚めたのかと思って」
「はぁ……」
 私は力なく返事する。
「ところでさぁ、みどりくん」
「何?」
「洗礼受けてみない?」
 せ……洗礼?
 たった今、洗礼を受ける気ないと思ったばかりなのだ。
「悪いけど私……」
「君もクリスチャンになるべきだよ! 僕は思ったね。君は教会にふさわしいと」
 勝手に決めないでくれるかなぁ。そんなこと。
「それより奈々花誘ったら? 哲郎さんが言えば喜んで受けるわよ」
「奈々花くんにもそのうち言うよ。けれど、僕は君に洗礼を受けて欲しいんだ」
 哲郎が真顔で言う。真顔、と言っても、馬面だから緊迫感がないが。
 うう、どうしよう。哲郎はキリスト教に入れ込んでいるのよね。
 けど、いくら思い入れがあるからって、私まで巻き込まないで欲しいなぁ。
 まぁ、今回教会に行こうと誘ったのは私なんだけどね……。
 決して岩野牧師の奥さん、聖子先生のパスタにつられただけじゃないのよ。本当よ。断じて。パスタの力も大きかったけど。
 あー。レシピ聞いておくんだった。そしたら、もっと美味しいペペロンチーノが作れるのに。
 えみりも雄也も料理するようになったとはいえ、ね。これは私の趣味みたいなものだから。
「で? 洗礼受けてくれるかい?」
「待って! もうちょっと待って! 私も考えたいから」
 クリスチャンが迫害されたのは昔のこと。
 でも、日本にはクリスチャンは少ない。
 マイノリティになるのはごめんだなぁ……。
 神様に祈る習慣もないし。今日は祈祷会だから、適当に祈ってたけど……半分は真剣だったから、神様も赦してくれるよね。
 あれ? いま私、神を人格化してた。でも、誰でも時々はやることよね。苦しい時の神頼みっていうか。
 それに私、キリスト教には不満がある。
 おじいちゃんとおばあちゃんを拝むなって言うんだもの。
 クリスチャンとなった娘さんが、お祖母さんのくれたお守りをずたずたにして返したって話を聞いたけど……やっぱりそういう話を嬉々として語るのは残酷よねぇ。お祖母ちゃんにしてみれば可愛い孫の為にお守り買ってくれたんだろうし。
 何でも、お守りはキリスト教的に良くないそうな。
 クリスチャンは神社にお参りにもいかないのよ。罰あたりでない?
 私は行くもんね。哲郎がどんなに反対しても。
「いつまででも待ってるよ」
 そう言って、哲郎は引きつった顔をした。ウィンクでもしたつもりらしい。
 外はもうすっかり暗くなっていたが、灯りのおかげで表情がわかるのだ。
 確かにねぇ……クリスチャンは立派な人多いわよ。聖栄教会だって、いい人多いわよ。
 けれどね……私だって選ぶ権利がある!
 神学校には通っているけど。友達も誘ったけど。麻生を聖栄教会に連れて行ったことあるけど。
 キリスト教を信じたい気持と反感が、心の中でせめぎ合う。
 哲郎がいい人だったから、私も教会に足を運ぶ気になったのかしら。私は、本当は神じゃなくて人を信じているんじゃないだろうか。
 あ、もしかして。
 麻生もそうなだったのかしら。
 父親が牧師って、どんな気分なんだろう。
 それからしおりも。
 しおりはともかく、麻生は明確にキリスト教に反発を覚えているようだった。
 だから、ああなったのかなぁ……。
 だけど神光教会には溝口先輩も行くようになったし。えーと……多分、行くようになるわよね。そしたらまた変わるかもしれないわよね。未来に期待しよう。
 冬美もいるから溝口先輩は麻生の恋人にはならないだろうけど。
 私、賛美歌は好き。キリスト教式の葬式も嫌いではない。
 今はキリスト教の不満を散々並べ立てたけど……私はやはりそれと縁があるんだろうな、と思う。
 もっと緩やかならば……私ももっと好きになれるんだけどな。
「君のおかげで、教会に行く人が一気に増えたんだよ。ありがとう」
 哲郎はまた礼を言った。私はこそばゆくなった。
 私達が家に帰ると――えみりが玄関にまろび出て来た。
 何かちょっと……訳がありそうだ。
「どうしたの? 血相変えて」
「純也が――純也が高熱出して大変なの!」

おっとどっこい生きている 111
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