おっとどっこい生きている
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 純也くん……。
 私は教会に向かう道中、何故か純也のことが気になった。
 純也のことについては説明しなくてもいいと思うが、一応説明しておく。渡辺純也。渡辺雄也・えみりの間に出来た赤ん坊。生後三ヶ月。
 夜泣きがひどかったって言うけど、大丈夫かしら……。
 今日は純也の顔を見ていない気がする。リビングの揺り椅子にいたか、雄也達家族の部屋で一人寝かされていたか……それすらも覚えていない。
 それに……まだ忘れていたことがあった。
 まだおじいちゃんとおばあちゃんにただいまを言っていない!
「どうしたの? みどりくん」
 のんびりと質問する哲郎は、遠藤周作の書いた『おバカさん』という小説に出てくる主人公、ガストン・ボナパルトのようだ。あくまで私のイメージだが。
「おじいちゃん達に線香上げるの、忘れてきちゃった……」
「仏壇に手を合わすのかい?」
「うん」
「だめだめ! それはだめ!」
 哲郎が血相を変えて掴みかかる。
「それは偶像礼拝なんだよ!」
「何よそれ。おじいちゃんとおばあちゃんを拝むのがそんなにいけないこと? クリスチャンってずいぶん心が狭いのね! 人の情けがわからないんだわ」
「みどりくん。それは違う……」
 私は哲郎を振りはらった。
「何が違うの? 今日は美和達への義理を果たすけど、もう教会行くのやめようかしら」
「脅迫しないでくれよ、とほほ……」
「じゃあ、おじいちゃんおばあちゃんや御先祖様達を祀るのは認めてくれるわね?」
「ううう……」
 哲郎はしばらく困ったように口をへの字に曲げた末、
「いつか本当の救い主に築く筈だから」
 と、保留にしてくれた。私だって、むやみやたらと喧嘩をしたくはない。その辺で手をうった。
 小じんまりとした、そう大きくはないが屋根に十字架をつけているので教会とわかる建物――聖栄教会である。
 プロテスタントの一派、メソジスト派の流れを汲んでいて――と哲郎が説明したことがあるが、はっきり言ってよくわからない。
 会堂には、美和、奈々花、今日子、友子が既にいる。頼子は予想通りいなかった。
「みどりちゃーん」
「秋野部長!」
 美和が抱きつく。友子が駆け寄る。
「哲郎さんっ!」
 奈々花の目が輝いた。
「……やぁ」
 哲郎が控え目に手を出す。奈々花がその手を握る。
「会いたかったです!」
「はぁ……そりゃどうも」
 哲郎は困っているみたいだった。奈々花みたいな美人に迫られて何困ってるんだろ。この朴念仁。
 私への気持ちが本気だとしても、私には将人がいる。私にとって将人みたいな男は、もう現われないだろう。これまでも、これからも。
 麻生も……。
 第一印象よりか、だいぶましになってきたけど、冬美の方があの男には似合う。絵的にも、性質的にも。こんなこと言うと、しおりに恨まれそうだなぁ……やめとこ。もちろん、溝口先輩でもいい。
 でも、溝口先輩は今はライバルだからなぁ……しおりもだけど。
 そう言えば、麻生牧師の家の神光教会は祈祷会なんてやっているのかしら。
 私は哲郎や奈々花から離れて座った。今日子の隣だ。
 私が来たのはちょうど祈りが始まる時間だったらしい。二人で交代にお祈りする。いろいろなことについて祈った。
 癒しについて、信仰の五ポイントについて、祈りのネットワークについて、海外派遣について……。
 初心者の私は、祈りの言葉がなかなかすらすら出てこない。耳をそばだてていると、哲郎がスムーズに語を継いでいっているのが聴こえる。
 うーん。さすが、ベテランは違うなぁ。少し見直した。
 私もあんな風に祈りたいけど、まだ無理だなぁ。
「愛するイエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」
 この言葉で、一区切りつくのだった。
 献金の時が来た。リクエストをきいてくれるようなので、私はインマヌエル賛美歌から、『主我を愛す』を選んで手を挙げた。
『主我を愛す』は、三浦綾子原作『塩狩峠』の映画にも使われた歌である。子供達が声を揃えて歌っていた。
『あらのの果てに』の方がメジャーだろうし、私もそちらの方が好きなのだが、どうも歌の時期が違う。今は六月だ。この歌はキリストの生誕祭にふさわしい。
 一番で、献金係は会堂をあらかた回ったようだった。小さな教会である。
 みんな喜んで献金している。無論、私もそれに従う。
 祈りの時間の後は、ティータイムらしい。
 岩野牧師の奥さんが美和の言った通り、美味しそうなペペロンチーノをたくさん出してくれた。
 うむむ……お、美味しい……。
 にんにくととうがらしの味が麺の味を引き立てている。オリーブ油の香りが食欲をそそる。レストランで出してくるものとは比較にならないくらい美味しい。
 私より数倍料理上手いんじゃないか? この奥さん。上には上がいるもんだ。
 私が素直に感心してるというのに、あっちでは。
「ねぇ、このパスタ美味しいね」と奈々花。
「みどりくんの作ってくれたものの方が旨いよ」
 哲郎。恥ずかしいから意地の張り合いしないでくれる?
 子供じゃあるまいし、ヤケになるんじゃないわよねぇ。それも私のことで。
 奥さんの方を見ると、彼女はゆったりと微笑んだ。どうやら私達の関係がわかったらしい。恥ずかしいなぁ、もう。
 哲郎見てると、「お母さんの方が上だよ!」と自慢したい子供のようだ。
 まぁねぇ、私もねぇ、料理の腕には自信あるんだけどねぇ。これじゃ、この年から本当にお母さんみたい。
 ……お母さん。
 ちょっと待って。私、本当にあの人達のお母さんなんではないだろうか。
 趣味がおさんどん。幼い時からおばあちゃんを手伝って一通りの家事仕事はやれる。
 今は少し情勢が変わってきたが、ほんの少し前まで、料理は全て自分で行ってきた。
 ……私、所帯じみてるんじゃないかしら。
 まぁ、女はそういう方がいいって言う人も多いし、私は将人といる時はそんなことはほんとに何にも考えていないので、特に問題はないかもしれない。
 岩野牧師は、今日子と話をしている。今日子が相談しているらしい。あの子でも、悩むことあるんだ……というと失礼に当たるかしら。
 彼女もしっかりしているので、つい頼りがちになるのであるが。
 それにしても、頼子がいないのは惜しい。彼女にも、このペペロンチーノ、食べて欲しかった……。
 ううん。自分を偽ってもだめ。
 この料理を食べて欲しいのは本当。でも、一番の目的は……。
 頼子を教会に連れてくること。
 今はだめでも、いつかシャッポ脱いで一緒に行けるようになれないかしら。この仲間達と共に。
 そして、祈って、いろんなこと手伝って、海外にまで飛べるようになれるといい。事実、頼子のメル友に、オーストラリアまで行った子がいるらしいから。
 そういう楽しいことを、一緒にしたいなぁ……。
 私はその時、教会に行く途中で「今度から教会行くのやめようかな」みたいなこと言って哲郎を脅したことなど忘れていた。
 パスタはあっという間に平らげられた。岩野牧師と今日子の話も終わったみたい。牧師は会堂を出て行く。
 やがて、牧師はフィービーをこの室に連れて来た。
 カットされたのか、綺麗な毛並み。ちぎれんばかりに振っている尻尾。
「フィービー!」
 会いたかったわ!
「ワンちゃん!」
 フィービーは美和の方に行った。ふん、どうせ私は動物には人気ないですよ……。
 少しして、岩野牧師は、目の回りが茶色になっている小さなうさぎも抱いてきた。
「この子はアクラくんていうんですよ」
 アクラ、アクラ……私の記憶の中にはない名前だ。でも、きっと聖書関連であろう。
「かーわいいよねー。美和胸キュン」
 美和、それってちょっと古いわよ……。でも、彼女が言うと何故か様になる。
「抱かせて抱かせて」
 美和が渡されたアクラを両手で持ち上げる。アクラはほんのちょっと暴れたが、すぐに落ち着いた。美和は動物を扱うのが上手だわぁ……。
 岩野牧師がにこにこしていた。きっと私も同じような表情をしているだろう。

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