おっとどっこい生きている
108
 話は少し前後するけれど――。
 私は帰るとえみりに、こんな時間まで何してたのよぉ、言ってごらん、ほれほれ、と絡まれた。夏至の頃だがもう陽は傾きかけている。
 リョウがソファに寝っ転がって、フクと戯れている。
「お帰り、秋野」
 リョウは私に気付くと、こちらに顔を向けた。
「ご飯、作ったわよ」
「あら。残り物があったじゃない」
「足りないわよ。育ち盛りがたくさんいるんだから」
 そうか。えみり、えらい!
「えみりサンの飯、秋野の作ったのより旨かったぜー」とリョウ。
「――じゃあ、今度からリョウの好物作ってあげないからね」
「……オレが悪かった」
「兄貴と哲郎さんは?」
 私はリョウをあっさり無視してえみりに訊いた。
「二階にいると思うわよ」
 ふうん。小説見て欲しかったのにな。そう、あの『黄金のラズベリー』である。
「用があるなら、伝えとくけど」
「今でなくていい。……ねぇ、えみりさん、小説批評してくれる?」
「ああ。アタシ小説とかそういうの苦手。リョウに読んでもらったら?」
「リョウに?」
 私はさぞかし目をまん丸にしていたに違いない。
「リョウ、本読めるの?」
「意外でしょう。結構読んでるのよ。この子」
「マンガの方が好きだけどな」
 リョウが横合いから口を挟む。
「そんな小説なんかより、アタシは恋バナの方がいいしー。ねぇ、今日、みどりを巡って麻生と将人くんが決闘したんだって? そういう話の方が聞きたいな―」
「決闘だなんて、そんな大袈裟なもんじゃ……」
 それより、何でえみりがそんなこと知ってんの。
 ……リョウから聞いたな。私はリョウを睨んだ。
「怖い顔すんなよぉ、秋野」
 リョウはへらへらと笑ってフクを撫でた。フクは不服そうに鳴いた。
 あれ? でも、あの時リョウはいなかったはずじゃ……。
「俺も見たかったなぁ。桐生サンと麻生の戦い。どうして秋野がいいんだかわからないけど」
 言ってくれるじゃない。私だって疑問に思ってるのよ。どうして私なのかって。
「アンタ、あの時いなかったわよね」
「うん」
「何してたの?」
「『自慢のわんことにゃんこ十選』という記事書いてた」
「楽しそうね」
「ああ。もうすっげ楽しかった! どの猫もフクにはかなわねぇけどな!」
 リョウはフクに頬ずりした。フクは迷惑そうにうにゃん、と声を出した。
「フクも出せれば良かったなぁ」
「だって、フクはまだ私んちの猫って決まったわけじゃ……」
「フクは俺達の猫だよ、な?」
 リョウがえみりに同意を求めた。
「うーん。はっきり捨て猫ってわかってるわけじゃないんだよね。実は。そこら辺をうろうろしてただけだし、それに、野良にしては毛並みがいいでしょ」
「オレ、絶対離さないかんな。フクのこと」
 リョウにつかまったフクは可憐な声で鳴く。
 ま、首輪つけてないから、十中八九捨て猫だろうけど。
 携帯の音楽が流れた。
「バッハインベンションの一番? 何でそんな曲使うの」
「いいでしょ? 私の勝手よ」
 私が弾ける唯一の曲なんだから思い入れもあるし。それにしても、リョウがバッハインベンションを知ってるなんてねぇ……音楽には詳しいみたいね。読書家みたいだし、物知りなのかもね。
 と、私はちょっと見直しながら、鞄から携帯を取り出した。
「あ、みどりちゃん? 美和でーす」
「ん? 何?」
「今から教会来られない?」
「行けないことはないけど……何すんの?」
「みんなでお祈りするの」
 そう言えば、木曜は祈祷会というのがあるみたいだった。参加したことはないけど。
「哲郎さんも連れて来てさ」
「いいけど……アンタご飯ちゃんと食べた?」
 私だって帰ってきたばかりである。
「あ、あのね。岩野牧師の奥さんがね、パスタ作ってくれるって」
「じゃ、行ってもいいかな」
「ほんと?!」
「ただし、哲郎さんは今勉強中かもしれないけどね」
「いいよー。みどりちゃん大好き」
 こう言うことをさらっと言ってしまうのが美和なんだなぁ。
「わかった。ちょっと待ってて」
「うん」
 電話が切れた。
「あー。誰から?」
 リョウが訊いた。
「美和よ。佐伯美和」
「おー。あのべっぴんさん」
「……リョウ。べっぴんというのは古いんじゃないの?」
「そんなことねぇよな。ね、えみりサン」
「んー。アタシは何とも言えないけれどね」
「私、哲郎さん呼んでくるね」
 私は哲郎さんの部屋へと向かった。コンコン、とノックする。
「誰だい?」
 中から声がする。
「みどりだけど」
「おお。みどりくんか。入っていいよ」
 私は哲郎の部屋に入ると、教会の祈祷会に友達から誘われてるんだけど哲郎さんも行かない?と言う話をした。
「ああ、それはいいね」
 哲郎は笑顔だ。
「哲郎さんもずっと勉強では飽きるでしょ? 心をリフレッシュさせる為にもさ」
「そうだね。いいかもしれないね」
 哲郎も乗り気だ。やった!
 私達は二人で階下へ降りて来た。
「えみりくん、稜くん。僕達、教会行ってくるね」
「行ってきます」
「行ってら」
 体を起こしていたリョウはフクを膝に乗せながら手を振った。行ってら、と言うのは、行ってらっしゃいの略らしい。金髪おっ立ててるくせに、そういう気遣いはできるんだなぁ……。
「みどり、明日はアンタが夕飯作るのよ」
「わかってるって、えみり。兄貴によろしく」
 私はお気に入りの靴を履いて、哲郎と連れ立って出て行った。

おっとどっこい生きている 109
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