おっとどっこい生きている
107
 村沢先生と私が図書室に着くと、頼子達が既にいた。
「みどり。遅かったじゃない」
 頼子が言った。
 このちゃっかり屋さんめ。
 そうからかおうと思ったが、先生がいたのでやめた。
 今日子や奈々花、友子もいる。
 一年生の部員も二人。確か倉持さんと谷さんと言った。
 三年生がいないのは、受験勉強の為と思われる。まだ受験までは間があるのに。
「さぁさ、仕事を始めましょ」
 ぱんぱんと、村沢先生が手を叩いた。
 我が文芸部では、不定期に会誌を出している。部員の小説や短歌などを載せるのだ。
 要領はわかっている。
 表紙のイラストは頼子が描く。一時期漫研に入ろうとしていただけあって、絵はなかなかのものだ。ほとんどプロと言っていい。
「漫研には負けられないわよ。松下さん、がんばって」
 そう言って、村沢先生は頼子の肩に手を置いた。
 何でだろう。村沢先生は漫研にも負けたくないようだ。
 そりゃ、負けず嫌いなのはわかるけどねぇ……少し度が過ぎているんじゃないだろうか。
 村沢先生にとっては、同僚が全てライバルみたいだった。
 私にもそんな時期はあったけど。今は……どうでもいい。私は自分のやることをやるだけ。
 だから、村沢先生がちょっと大人げなく見えることがあるんだけど。それもどうでもいい。
 集中してやったが、いつもより時間がかかった。
 本のレイアウトができた時には、みんなぐったりしていた。後は印刷するだけだ。
「みなさん。ご苦労様」
 村沢先生が労ってくれた。
「どういたしまして」
 私が答えると、
「秋野さん、声が疲れてるわよ」
 と先生に指摘された。みんなどっと笑った。
 今、何時かしら。……六時五十分?
 あ。そういえば。将人は七時くらいに帰るって言ってたような。だとしたら、まだ間に合う。
「先生。もう帰っていいですか?」
「いいわよ。なぁに? 急に元気になって」
「桐生先輩と待ち合わせしてるの?」
 頼子がにやにやと笑って言った。
「そんなんじゃないってば」
 私は一応否定した。本当はそんな下心がなくもないんだけど。
「じゃあね。さようなら」
「ばいばーい」
「また明日」
 みんなが口々に別れの挨拶を告げる。
「将人ー!」
 剣道の練習場に私は現われる。
「秋野!」
 将人は驚いたようだった。
「なんだ。まだ帰ってなかったのか」
「文芸部の用事でね。将人はまだ?」
「ん。もう帰るところだよ」
 そう言えば、将人は制服に着替えている。
「彼女の登場だー」
「大事にしてやんなよ!」
「うるさい!」
 将人が怒鳴ると、みんながわっと歓声を上げた。
「ごめんな。あいつらすぐからかうんだ。嫌じゃない?」
 私は、こくんと縦に頷いた。ちっとも嫌じゃない。将人とだったら。
「嫌だったら言っていいんだぞ」
「い……嫌じゃないわ」
 それでも私は、将人の顔をまともに見ることができなかった。
「ほんとは気のいい奴らだからさ。許してやってくれよ、な?」
 将人が気を使ってくれているのがわかる。
「……一緒に帰らない?」
 私は勇気を出して口を開いた。
「うん。いいよ。俺も帰るところだったんだから」
 ――そして、私達は、剣道部員の好意ある祝福の言葉に包まれて、一緒に練習場を後にした。

「今日の将人、かっこよかったわよ」
 自転車を押しながら、私は褒めた。
 日も長くなっていた。夏至はもう過ぎただろうか。
「そ……そうか?」
 将人は照れたように笑った。
「ちょっと本気だったんだ。麻生が素人なのはわかってたけど。みどりを取られるわけにはいかないからな」
 将人がこつんと私の頭に触れた。またみどりって呼んでくれた。
 将人が私を『みどり』と呼ぶ度、嬉しくなる。そして、「何回言ってくれたかな」と心の中で数えてしまう。
「――みどり」
 将人が立ち止まった。そして、私の顔を覗き込む。
 ひょっとしてこれは。
 私の自転車のハンドルを持つ手に力が入った。
 胸がどきどきする。
 将人の顔が近付く。私は目を閉じる。
 と、そこへ――。
「お兄ちゃーん」
 魔法は解けた。私達はお互い、顔を背けた。
 隼人くんだ。
「何だよ。隼人」
「お兄ちゃんを迎えに行こうと思って。迷惑だった? 今、キスしようとしてたとこ?」
「おまえなぁ、なんてませてるんだ」
「ごめん。邪魔しちゃって」
「いいから。子供はそんなことまで気を回すな」
「うん。わかった」
 隼人は案外素直に頷いた。
「じゃ、俺、もう行くから」
 ちょうど分かれ道だったのだ。私にとっても、――将人にとっても。
「うん。さよなら。将人、隼人くん」
「送ってかないの? お兄ちゃん」
「そうだな……送ってくか? 秋野」
「大丈夫よ。私一人で帰れるから」
「そうか……じゃ、またな」
 心残りのまま、私は将人達と別れて違う道を行った。
 そして今日、将人やしおりからもメールが来た。
 将人のメールには、『今日は残念だったな』と書いてあった。
 将人も残念がってくれたんだ。何となく嬉しい。
 しおりからのメールには、『兄貴が迷惑かけてごめんね。でも、あの女狐は許せない。しおり、まだあの人のこと嫌いだから』そんな内容が、絵文字いっぱいに書かれてあった。
 女狐って……冬美のことだろうか。私は思わず吹き出してしまった。

おっとどっこい生きている 108
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