おっとどっこい生きている 「みどり。遅かったじゃない」 頼子が言った。 このちゃっかり屋さんめ。 そうからかおうと思ったが、先生がいたのでやめた。 今日子や奈々花、友子もいる。 一年生の部員も二人。確か倉持さんと谷さんと言った。 三年生がいないのは、受験勉強の為と思われる。まだ受験までは間があるのに。 「さぁさ、仕事を始めましょ」 ぱんぱんと、村沢先生が手を叩いた。 我が文芸部では、不定期に会誌を出している。部員の小説や短歌などを載せるのだ。 要領はわかっている。 表紙のイラストは頼子が描く。一時期漫研に入ろうとしていただけあって、絵はなかなかのものだ。ほとんどプロと言っていい。 「漫研には負けられないわよ。松下さん、がんばって」 そう言って、村沢先生は頼子の肩に手を置いた。 何でだろう。村沢先生は漫研にも負けたくないようだ。 そりゃ、負けず嫌いなのはわかるけどねぇ……少し度が過ぎているんじゃないだろうか。 村沢先生にとっては、同僚が全てライバルみたいだった。 私にもそんな時期はあったけど。今は……どうでもいい。私は自分のやることをやるだけ。 だから、村沢先生がちょっと大人げなく見えることがあるんだけど。それもどうでもいい。 集中してやったが、いつもより時間がかかった。 本のレイアウトができた時には、みんなぐったりしていた。後は印刷するだけだ。 「みなさん。ご苦労様」 村沢先生が労ってくれた。 「どういたしまして」 私が答えると、 「秋野さん、声が疲れてるわよ」 と先生に指摘された。みんなどっと笑った。 今、何時かしら。……六時五十分? あ。そういえば。将人は七時くらいに帰るって言ってたような。だとしたら、まだ間に合う。 「先生。もう帰っていいですか?」 「いいわよ。なぁに? 急に元気になって」 「桐生先輩と待ち合わせしてるの?」 頼子がにやにやと笑って言った。 「そんなんじゃないってば」 私は一応否定した。本当はそんな下心がなくもないんだけど。 「じゃあね。さようなら」 「ばいばーい」 「また明日」 みんなが口々に別れの挨拶を告げる。 「将人ー!」 剣道の練習場に私は現われる。 「秋野!」 将人は驚いたようだった。 「なんだ。まだ帰ってなかったのか」 「文芸部の用事でね。将人はまだ?」 「ん。もう帰るところだよ」 そう言えば、将人は制服に着替えている。 「彼女の登場だー」 「大事にしてやんなよ!」 「うるさい!」 将人が怒鳴ると、みんながわっと歓声を上げた。 「ごめんな。あいつらすぐからかうんだ。嫌じゃない?」 私は、こくんと縦に頷いた。ちっとも嫌じゃない。将人とだったら。 「嫌だったら言っていいんだぞ」 「い……嫌じゃないわ」 それでも私は、将人の顔をまともに見ることができなかった。 「ほんとは気のいい奴らだからさ。許してやってくれよ、な?」 将人が気を使ってくれているのがわかる。 「……一緒に帰らない?」 私は勇気を出して口を開いた。 「うん。いいよ。俺も帰るところだったんだから」 ――そして、私達は、剣道部員の好意ある祝福の言葉に包まれて、一緒に練習場を後にした。 「今日の将人、かっこよかったわよ」 自転車を押しながら、私は褒めた。 日も長くなっていた。夏至はもう過ぎただろうか。 「そ……そうか?」 将人は照れたように笑った。 「ちょっと本気だったんだ。麻生が素人なのはわかってたけど。みどりを取られるわけにはいかないからな」 将人がこつんと私の頭に触れた。またみどりって呼んでくれた。 将人が私を『みどり』と呼ぶ度、嬉しくなる。そして、「何回言ってくれたかな」と心の中で数えてしまう。 「――みどり」 将人が立ち止まった。そして、私の顔を覗き込む。 ひょっとしてこれは。 私の自転車のハンドルを持つ手に力が入った。 胸がどきどきする。 将人の顔が近付く。私は目を閉じる。 と、そこへ――。 「お兄ちゃーん」 魔法は解けた。私達はお互い、顔を背けた。 隼人くんだ。 「何だよ。隼人」 「お兄ちゃんを迎えに行こうと思って。迷惑だった? 今、キスしようとしてたとこ?」 「おまえなぁ、なんてませてるんだ」 「ごめん。邪魔しちゃって」 「いいから。子供はそんなことまで気を回すな」 「うん。わかった」 隼人は案外素直に頷いた。 「じゃ、俺、もう行くから」 ちょうど分かれ道だったのだ。私にとっても、――将人にとっても。 「うん。さよなら。将人、隼人くん」 「送ってかないの? お兄ちゃん」 「そうだな……送ってくか? 秋野」 「大丈夫よ。私一人で帰れるから」 「そうか……じゃ、またな」 心残りのまま、私は将人達と別れて違う道を行った。 そして今日、将人やしおりからもメールが来た。 将人のメールには、『今日は残念だったな』と書いてあった。 将人も残念がってくれたんだ。何となく嬉しい。 しおりからのメールには、『兄貴が迷惑かけてごめんね。でも、あの女狐は許せない。しおり、まだあの人のこと嫌いだから』そんな内容が、絵文字いっぱいに書かれてあった。 女狐って……冬美のことだろうか。私は思わず吹き出してしまった。 おっとどっこい生きている 108 BACK/HOME |