おっとどっこい生きている
105
「はぁ?」
 私は間の抜けた声を上げてしまった。
 八百長なんて――でっち上げですって?
 今更当然のこと言わないでよ。
「何だ? 嬉しくないのか?」
「あんまり当たり前のこと言われたので、呆れたのよ」
「そうか……」
 麻生は遠くを見遣った。
「そうそう。私、アンタのこと見直したわ」
「え?」
 麻生の顔が私の方を向いた。
「全くの素人のくせに、将人に挑みかかるなんて、えらいじゃん」
「……あれはしおりの提案なんだよ。『男なら、勝負して彼女を取り返せばいい』って」
 なるほど。
「でも、どうして剣道なの? 他にもいっぱいあるじゃない」
「何となく、剣道の試合で挑戦した方が、正々堂々って感じがしてな」
「せいせいどうどう〜?」
 私が疑問をいっぱいにして言った。
「……不服そうだな」
「アンタ達が私達にやってきたことを思うとね」
「――今更謝らんぞ」
「謝らなくていいわよ。アンタ、今回は確かに小細工なしだったしね」
「秋野……どうもおまえは俺のこと、色眼鏡で見ているようだな」
「まぁね」
「この」
 麻生が拳を振り上げた。私は動かずに、ただにやにやしていた。
 麻生はそのまま数秒。――そして、手を下ろした。
「おまえ、いい性格してるよ」
「どうも。皆にそう言われるわ」
「褒めてんじゃないからな」
「わかってる」
 麻生が、ごくんと生唾を飲んだようだった。
「――キスしていいか?」
「だめ」
 私は即答した。
「将人ともまだだもの」
「ふぅん。ファーストキスはとっておく主義か」
「主義じゃないけどね。当たり前のことでしょ?」
「俺は好きでもない奴と何回もやったぞ。――冬美ともな」
「冬美、あの子結構怖い子よ」
「知ってる」
「彼女とキスしたなんて言ったら、しおりちゃん怒るわよ」
「ああ。――チクんなよ」
「それは、今後のアンタの態度次第ね」
「――将人のところに、帰らなくていいのか」
「ああそうね。もう行くわ」
 その時、屋上のドアが開いた。冬美だった。
(げっ、冬美……)
「麻生……先輩……」
 冬美は青ざめているようだった。
「おう。何だ? 元気ねぇじゃねぇか」
 麻生は手を上げた。
 馬鹿ねこいつ。私らの関係が誤解されたかもしれないのよ。
 だが――今回馬鹿だったのは、私の方かもしれなかった。
 だって冬美は――麻生に泣きながら抱きついた後、こう言ったのだ。
「よかった……よかった、先輩!」
「ああ? ……んだよ」
 麻生は冬美を持て余しているようだった。
「もう一度麻生先輩と話そうとして、あちこち探してたら、桐生先輩と決闘したっていうじゃない。で、もう勝負はついてたでしょ? 麻生先輩が負けたって」
「ああ」
「私、麻生先輩が怪我したんじゃないかって、いてもたってもいられなくなって」
「それで、心配して来てくれたのか?」
「そうよ」
「そりゃどうも」
 麻生の返事は、声も冷淡極まりない。
「でもな、冬美。ほんとは俺が気になって来たわけじゃないんだろ?」
「え?」
「おまえは自己中心でわがままで自惚れの強い女だ。俺に振られたところで、どうってことあるまい」
「そ……そんな……」
「でも、まぁ、そういうとこ俺、嫌いじゃないよ」
「私、私……」
 冬美はまたわーっと泣き出した。
「な……何だよ」
 麻生は驚いたようだった。
「私……こんな気持ち初めてよ。何をしてても、麻生先輩のことしか思い浮かばないの」
「俺が初めてアンタを振った相手だから、だろ?」
「失礼ね、でも、その通りよ」
 レースのハンカチを取り出して、冬美は涙を拭いた。
「私……おかげで麻生先輩がどんなに私の中で重要な位置を占めていたかわかったわ」
「そうかいそうかい」
「真面目に聞いてないのね」
「俺はいつだって真面目だよ」
「みどりとつき合うの?」
「いや。桐生にはもう完敗だ。秋野のことはすっぱり諦めるよ」
「じゃあ、その後釜に私でもいいから」
「えーっ!」
「……何よ、その『えーっ』って言うのは」
「いや。おまえらしくないと思ってな」
「麻生先輩……今まで私を何だと思ってたの?」
「色気だけが取り柄の、仕様もないアマ」
「ひどい、ひどいわ、ひどいわ」
 冬美はハンカチを握りしめ、麻生に殴りかかった。もちろん、本気ではない。麻生も、「おやおや」と言うだけでやり返しはしなかった。
「あの嫌な妹さん……しおりのことも我慢するから、もう一度、私とつき合ってくれる?」
「俺は、いつ心変わりするかもわからんぞ」
「いいわ。それで」
 冬美がくすんと鼻を鳴らした。
「それでいいなら、またよりを戻してやってもいいぞ」
「麻生先輩!」
 冬美は今度は嬉しそうな声を出して、麻生の首に両腕を回した。
 やれやれ。破れ鍋に綴じ蓋か。どちらも一筋縄ではいかないと思うけど、幸せになってよね。冬美が本当に麻生先輩を好きかどうかは私にはわからないけれど。――私は屋上を後にした。

おっとどっこい生きている 106
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