おっとどっこい生きている
104
 五時限目も六時限目も、あっという間に過ぎて行く。
 ノートを取るふりをしながら私は、
(やっぱり一度、将人と話し合わなきゃだめかなぁ)
 と、思っていた。
 麻生のことだけではない。冬美のこと、わだぬきのこと――。

 そして、放課後。
 私は剣道部に向かった。
 あれ? 他にも知った顔がいる。
「よぉ、秋野」
 その人はフレンドリーに手を上げた。わるくいえば――馴れ馴れしい。
「わ……わだぬき……」
 と、私は思わず口走っていた。そこで、ゴホッゴホッ、と咳き込む。
「い、いえ綿貫先輩」
「わだぬきね……陰でそう呼ばれていることは知ってはいたが」
 わだぬきは苦々しげな顔をする。
「何でこんなところにいるんですか?」
「おう。俺達で剣道部特集やろうと思ってな」
 それは、将人に対する元祖新聞部部長としての詫びとか、けじめのつもりなんだろうか。だといいけど。
「あれー? 秋野」
 防具をつけた将人に、どきんとした。面頬はまだかぶっていない。
「ま……まさと……」
 どきどきどき。
 心臓が踊っている。
「みどりー」
 頼子もやってきた。武田に会いに訪れたんだろうか。
「頼子、武田先輩に会いに来たの?」
「やぁねぇ。決まってるでしょうが」
 頼子は堂々と言ってのける。
「アンタは桐生先輩にでしょ?」
 と言われて、顔が熱くなった。
 私はついと視線を外す。田村先生と目が合った。先生は笑った。
「将人――あのね、話があるんだけど……」
 そう告げようとした時だった。
「たのもー!」
 よく響く声がした。これは……。
「麻生先輩!」
「やぁ、みどり」
 みどりですってぇ。あまり名前で呼ばれたくはないわ。この人には。
「俺、桐生に決闘申し込みに来た」
「何ですって?!」
「どうしたんだい?」
「麻生先輩が、将人に決闘ですって!」
 微かに場内がざわついた。
「――どうして、俺と決闘する気になったんだい? 麻生」
「俺も、秋野みどりが好きだ。だから、みどりを賭けて、闘う」
「ちょっと! 勝手に決めないでよ、そんなこと」
 私は二人の間に割って入った。
「止めるな、みどり。しおりと相談して決めたことだ」
 しおりと……? もしかして、発案者はしおりなの?
「わかった」
 将人が答えた。
「田村先生、いいですか?」
「構わんよ。ただし、一本勝負だ。男の勝負に二度目はない」
 そこで、彼らは私を争うことになったらしい。ちょっとは私の意見も聞いてよ!
「俺の防具は?」
 麻生が訊く。
「そうだな……武田、貸してやれ。」
「はい!」
 麻生は、武田から剣道着や袴なども借りた。その上から防具を身につける。
「うはっ! 臭ぇな」
「黙れ!」
 武田が怒鳴った。
「失礼よ!」
 頼子も参戦する。
「ほい、これ竹刀」
 田村先生が、麻生に渡す。
「念の為訊くが、剣道の経験は?」
「ありません。これが初めてです」
 麻生が答えると、田村先生は天井を仰いだ。
「馬鹿だな……本当に馬鹿だ……」
 田村先生が馬鹿だ、と言ったのは、勝負の動機だろうか。私なんかを取り合う愚かさについてだろうか。
 それに私は、男二人が競い合うほど、魅力的な存在だろうか……。私は、ぶんぶんぶんっ!と首を横に振った。そんなことは、絶対、ない。
 多分、麻生は勘違いをしているのだ。
「えー、では。審判は不肖、この田村がさせてもらう」
 田村先生が手を上げた。竹刀を持った男二人が、畳の上で睨み合っている。
「始め!」
 麻生が大上段に竹刀を振りかざす。
 ああいうところは素人だな……と思っていると、将人がすかさずかわし、麻生の胴に竹刀を叩きつける。見事に決まった。
 ――試合は、私達の、そして大方の予想通り、将人が勝った。
「みどり、やったぞ」
「うんうん! 見てたよ!」
 私達は、手を取り合って喜んだ。あはははと、どこからか笑い声がする。
 私は、今までの経緯を将人に説明した。わだぬきのことは、本人がいるからお茶を濁すようにしか話せなかったが。冬美のことも喋った。
「そうか……そんなことがあったんだな」
「私は……将人が疑わないでいてくれたら、それでいいけど」
 麻生はどうしたかな。私はぼんやり考えた。
「俺は、どんなことがあっても、秋野を信じる」
 力強い言葉だった。この台詞があったら、どんなことがあっても将人を信頼し続けることができそうな気がした。
 ――麻生は、もう既にいなくなっていた。

「あ、こんなとこにいた」
 麻生は屋上にいた。煙草を吸いながら。私はそれを取り上げて、ぎゅっぎゅと踏み潰した。
 私は麻生を探していたのだ。将人に一言ことわっておいて。
 今頃、将人は、わだぬきのインタビューでも受けているかもしれない。
「何すんだよ」と、麻生が抗議の声を上げた。
「アンタ、こんなもんばかり吸ってるから負けたのよ!」
「ほっとけよ」
 麻生がぷい、と横を向いた。
「あのな、秋野――やっぱり桐生は強かったよ。八百長なんて、でっち上げだったの認めるよ。――嬉しいだろ?」

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