おっとどっこい生きている 「お帰りなさーい」 リョウとえみり、そして兄貴がリビングに集まっていた。 あれ? ……雄也は? 私が雄也の姿を探していると、炒めもののいい匂いがしてきた。 その匂いにつられるように、台所へ行くと、なんと雄也が鍋をコンロの上で踊らせていた。 「雄也さん……何してんの?」 「何って……チャーハン作ってんだよ」 「そうじゃなくて! なんで?」 「ああ。マスターから教わったんだよ」 そういえば、『輪舞』では食事も出すんだっけ。 「店でいろいろ作っているうちに料理の楽しさに目覚めちゃってさ。リョウがお腹空いたっていうから、夜食を作ってやってんのさ」 ご飯が宙を飛ぶ。確かに手際はプロそこのけだわぁ……。 えみりも料理は楽しいって言ってたけど。毎日だと、結構きついもんがあるのよ。ルーティンワークだと思ってないと、やってけない時もあるわ。 「じゃ、今度から雄也さんが料理してね」 「それでもいいんだけど、みどりの料理はまた別格さ」 「お世辞言っても何も出ないわよ」 「いや、本当さ。えみりも料理が上手になったし。アンタのおかげだよ。ありがとう」 へぇ。この男からこんな殊勝な台詞が出てくるなんてね。 なんとなく雄也は私のこと嫌ってると思ってたから。 「ほい。チャーハンいっちょあがりー。一口食べてもいいぜ」 私は一匙口に入れた。ぱらりと香ばしいご飯。卵がほどよく絡まり合っている。細かく刻んだ玉ねぎにもほどよく味がついている。 「へぇ。なかなかの味ね」 基本的な材料で、ここまで美味しくできるのね。初心者の割には、よくやったわね。 「アンタには敵わねぇけどさ」 「へぇー。今日はやけに優しいじゃない。雄也さんは、私のこと、嫌いじゃなかったの?」 「へ? なんでそんな発想が出てくるんだ? オレ、女はみんな好きだぜ。――おっと、これはえみりには内緒な」 「いいや。覚えておいて、なんかあったらチクってやる」 「オフレコ、オフレコ」 雄也はがはは、と笑った。 「まぁ、ひとつには、えみりがアンタに取られたように思ったからかな」 「ずいぶんな焼きもち焼きね」 「うん。夫たるもの、妻に焼きもちを焼くのもひとつの愛の形なんだ」 雄也は面白い。私はつい笑ってしまった。 「みどり、えみりの相手してくれて、サンキュな」 「え……? それは、えみりさんがいい人だからでしょ?」 「そうなんだけど……」 雄也は歯切れが悪い。 なんなのよ、もう。えみりに、何かあったの? 「えみりって、女子には嫌われ者だったからさ。友達と言ったら、グレまくってるヤツばっかだったし」 まぁ、そんなえみりに魅力を感じた俺は偉いけどな、と雄也は自慢する。 「男子では……いいヤツって言ったら、葉里とオレぐらいしかいなかったし」 あ、そうだ。葉里兄弟、元気かなぁ。 葉里のことで思い出したけど、しおりは今、どうしているだろう。メールとか、来てないかな? 「だからさ、本当にパンピーなアンタがえみりの友達になってくれて、嬉しいんだ」 雄也が和やかな顔をする。そんな表情もできるんだと、私は驚いた。 そして、本当にえみりのことが好きなんだなぁ、と再確認した。 よかったね、えみり。いい男と結婚できて。 あ、もちろん将人もいい男だけどさ。質や中身が違うから、比べられないわね。 「哲郎達の分も作るから」 雄也はバンダナを締め直した。 「がんばって」 私はエールを送った。 「おう!」 私はリビングに帰る。この部屋とも、長い付き合いだ。 数年前、家を一部リフォームしたのだ。だから、この部屋は洋風。 その部屋では、リョウとえみりが話をしている。 「だからさ、『輪舞』にも貼ってもらおうよ。このポスター」 「雄也が来たら相談しましょ」 兄貴と哲郎はどこ行ったんだろう……。 私が疑問を口にすると、 「なんかねぇ、二階に行ったようよ」 じゃあ、兄貴か哲郎の部屋にいるのかな。二人とも。 何故だか、あの二人は、一緒にいるような気がした。でも、邪魔しちゃ悪いわね。行ってみたいけど。 哲郎の夢のことについて話し合ってでもいるのだろう。受験と、牧師になりたいという希望と。 大変ね。哲郎も。 でも、よかった。 だって、受験ノイローゼになるまで煮詰まっていたみたいだもの。彼は。 受験は大事だけど、別な道を考えるのも大事なことよ。牧師は彼に合ってると思うし。 夢、叶うといいね。哲郎。私は心の中で祈った。 私も自室に戻る。雄也が、「アンタの分も作ってやるぞ」と言ってくれたが、「ありがとう、でも後でね」と答えておいた。 私にも勉強があるのだ。第一志望は作家だけど、心理学も捨て難い。 神学校まで行っていてなんなんだが、神学にはあまり興味がない。適性がないのだろう。 聖書は毎日読んでるけど、つまんないだけだし。 だから私、頼子の気持ちも少しはわかるんだ。頼子のは、ポリシーと言ってもいいものだろうけど。あそこまで自論を貫けたら、楽だろうな。 私は、哲郎に誘われるままに、教会行ったり、礼拝に行ったりする。 それはすごく神様に対して失礼なことではないだろうか。もし神がいたらの話だが。 頼子や、それから兄貴は、だから、或る意味誠実なのかもしれない。 奈々花達はどうなんだろう。奈々花には哲郎に会いたいという、少し不純な動機もあるようだが、私も決して褒められたわけではない。 三浦綾子は、絶対クリスチャンにならないと、若い頃は思っていたらしいが、結局クリスチャン作家として伝道している。小説によって。 私にはとても真似できない。 だけど――この先どうなるかわからない。 哲郎は、牧師になりたいという夢を持って、生き生きとしてきた。それはもう、兄貴が感動するくらい。 哲郎が牧師になったら、兄貴は教会に行くようになるのだろうか。 そこで私ははっとした。どうせ他人事ではないか。 勉強道具を出そうと鞄を漁っていたら、携帯に手が触れた。 そういえば、誰かから連絡来ただろうか。私はメールチェックをした。 お父さんにお母さんに友達――それから、将人。 『桐生将人』の文字を見て、私はどきんとした。早速開く。 『みどり、もう風邪ひくなよ。勉強もいいけど、少しは休むことも必要だぞ』 私は、じぃんとした。 自分も剣道や受験勉強で忙しいのに、私のことを考えてくれたんだ……。 私は早速返事を送った。 『ありがとう、将人。気にかけてくれて』 そうそう。しおりからのメールもあったんだ。こう書かれていた。 『兄貴のことは、気にしなくていいからね。しおりがなんとかするから。電話、嬉しかった。取り乱してごめんね。追伸。兄貴がみどりさんの番号聞きに来たけど、教えなかったよ』 麻生のことは気にしなくていいって……しおりは何をするつもりなんだろう。 気にするな、と言われると、気になるわね。 とりあえず、麻生に番号が渡ってなくて助かった。私は急いで英語のテキストを取り出した。 おっとどっこい生きている 102 BACK/HOME |