おっとどっこい生きている
101
 私は友人達と別れると、哲郎と一緒に家に帰った。
「お帰りなさーい」
 リョウとえみり、そして兄貴がリビングに集まっていた。
 あれ? ……雄也は?
 私が雄也の姿を探していると、炒めもののいい匂いがしてきた。
 その匂いにつられるように、台所へ行くと、なんと雄也が鍋をコンロの上で踊らせていた。
「雄也さん……何してんの?」
「何って……チャーハン作ってんだよ」
「そうじゃなくて! なんで?」
「ああ。マスターから教わったんだよ」
 そういえば、『輪舞』では食事も出すんだっけ。
「店でいろいろ作っているうちに料理の楽しさに目覚めちゃってさ。リョウがお腹空いたっていうから、夜食を作ってやってんのさ」
 ご飯が宙を飛ぶ。確かに手際はプロそこのけだわぁ……。
 えみりも料理は楽しいって言ってたけど。毎日だと、結構きついもんがあるのよ。ルーティンワークだと思ってないと、やってけない時もあるわ。
「じゃ、今度から雄也さんが料理してね」
「それでもいいんだけど、みどりの料理はまた別格さ」
「お世辞言っても何も出ないわよ」
「いや、本当さ。えみりも料理が上手になったし。アンタのおかげだよ。ありがとう」
 へぇ。この男からこんな殊勝な台詞が出てくるなんてね。
 なんとなく雄也は私のこと嫌ってると思ってたから。
「ほい。チャーハンいっちょあがりー。一口食べてもいいぜ」
 私は一匙口に入れた。ぱらりと香ばしいご飯。卵がほどよく絡まり合っている。細かく刻んだ玉ねぎにもほどよく味がついている。
「へぇ。なかなかの味ね」
 基本的な材料で、ここまで美味しくできるのね。初心者の割には、よくやったわね。
「アンタには敵わねぇけどさ」
「へぇー。今日はやけに優しいじゃない。雄也さんは、私のこと、嫌いじゃなかったの?」
「へ? なんでそんな発想が出てくるんだ? オレ、女はみんな好きだぜ。――おっと、これはえみりには内緒な」
「いいや。覚えておいて、なんかあったらチクってやる」
「オフレコ、オフレコ」
 雄也はがはは、と笑った。
「まぁ、ひとつには、えみりがアンタに取られたように思ったからかな」
「ずいぶんな焼きもち焼きね」
「うん。夫たるもの、妻に焼きもちを焼くのもひとつの愛の形なんだ」
 雄也は面白い。私はつい笑ってしまった。
「みどり、えみりの相手してくれて、サンキュな」
「え……? それは、えみりさんがいい人だからでしょ?」
「そうなんだけど……」
 雄也は歯切れが悪い。
 なんなのよ、もう。えみりに、何かあったの?
「えみりって、女子には嫌われ者だったからさ。友達と言ったら、グレまくってるヤツばっかだったし」
 まぁ、そんなえみりに魅力を感じた俺は偉いけどな、と雄也は自慢する。
「男子では……いいヤツって言ったら、葉里とオレぐらいしかいなかったし」
 あ、そうだ。葉里兄弟、元気かなぁ。
 葉里のことで思い出したけど、しおりは今、どうしているだろう。メールとか、来てないかな?
「だからさ、本当にパンピーなアンタがえみりの友達になってくれて、嬉しいんだ」
 雄也が和やかな顔をする。そんな表情もできるんだと、私は驚いた。
 そして、本当にえみりのことが好きなんだなぁ、と再確認した。
 よかったね、えみり。いい男と結婚できて。
 あ、もちろん将人もいい男だけどさ。質や中身が違うから、比べられないわね。
「哲郎達の分も作るから」
 雄也はバンダナを締め直した。
「がんばって」
 私はエールを送った。
「おう!」
 私はリビングに帰る。この部屋とも、長い付き合いだ。
 数年前、家を一部リフォームしたのだ。だから、この部屋は洋風。
 その部屋では、リョウとえみりが話をしている。
「だからさ、『輪舞』にも貼ってもらおうよ。このポスター」
「雄也が来たら相談しましょ」
 兄貴と哲郎はどこ行ったんだろう……。
 私が疑問を口にすると、
「なんかねぇ、二階に行ったようよ」
 じゃあ、兄貴か哲郎の部屋にいるのかな。二人とも。
 何故だか、あの二人は、一緒にいるような気がした。でも、邪魔しちゃ悪いわね。行ってみたいけど。
 哲郎の夢のことについて話し合ってでもいるのだろう。受験と、牧師になりたいという希望と。
 大変ね。哲郎も。
 でも、よかった。
 だって、受験ノイローゼになるまで煮詰まっていたみたいだもの。彼は。
 受験は大事だけど、別な道を考えるのも大事なことよ。牧師は彼に合ってると思うし。
 夢、叶うといいね。哲郎。私は心の中で祈った。

 私も自室に戻る。雄也が、「アンタの分も作ってやるぞ」と言ってくれたが、「ありがとう、でも後でね」と答えておいた。
 私にも勉強があるのだ。第一志望は作家だけど、心理学も捨て難い。
 神学校まで行っていてなんなんだが、神学にはあまり興味がない。適性がないのだろう。
 聖書は毎日読んでるけど、つまんないだけだし。
 だから私、頼子の気持ちも少しはわかるんだ。頼子のは、ポリシーと言ってもいいものだろうけど。あそこまで自論を貫けたら、楽だろうな。
 私は、哲郎に誘われるままに、教会行ったり、礼拝に行ったりする。
 それはすごく神様に対して失礼なことではないだろうか。もし神がいたらの話だが。
 頼子や、それから兄貴は、だから、或る意味誠実なのかもしれない。
 奈々花達はどうなんだろう。奈々花には哲郎に会いたいという、少し不純な動機もあるようだが、私も決して褒められたわけではない。
 三浦綾子は、絶対クリスチャンにならないと、若い頃は思っていたらしいが、結局クリスチャン作家として伝道している。小説によって。
 私にはとても真似できない。
 だけど――この先どうなるかわからない。
 哲郎は、牧師になりたいという夢を持って、生き生きとしてきた。それはもう、兄貴が感動するくらい。
 哲郎が牧師になったら、兄貴は教会に行くようになるのだろうか。
 そこで私ははっとした。どうせ他人事ではないか。
 勉強道具を出そうと鞄を漁っていたら、携帯に手が触れた。
 そういえば、誰かから連絡来ただろうか。私はメールチェックをした。
 お父さんにお母さんに友達――それから、将人。
『桐生将人』の文字を見て、私はどきんとした。早速開く。
『みどり、もう風邪ひくなよ。勉強もいいけど、少しは休むことも必要だぞ』
 私は、じぃんとした。
 自分も剣道や受験勉強で忙しいのに、私のことを考えてくれたんだ……。
 私は早速返事を送った。
『ありがとう、将人。気にかけてくれて』
 そうそう。しおりからのメールもあったんだ。こう書かれていた。
『兄貴のことは、気にしなくていいからね。しおりがなんとかするから。電話、嬉しかった。取り乱してごめんね。追伸。兄貴がみどりさんの番号聞きに来たけど、教えなかったよ』
 麻生のことは気にしなくていいって……しおりは何をするつもりなんだろう。
 気にするな、と言われると、気になるわね。
 とりあえず、麻生に番号が渡ってなくて助かった。私は急いで英語のテキストを取り出した。

おっとどっこい生きている 102
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