ニューヨークへようこそ! 2

「ピーターさん、マリー・ラッセンさんのところに是非ともお伺いしたいのですが」
 そして、どうして貧しい人の為に富を与えるようになったのか訊いてみたいと龍一郎は思った。
「会うことはできないと思うけど……。それより僕のハーブ園を見に行かないかい?」
 ピーターの大柄な体が移動するのへ、龍一郎はひょこひょことついて行った。
 バジルにミントにカモミール。あそこにあるのは何だろうか……。ジャスミンかな。
 ガサッと叢で音がした。
「誰だ!」
 ピーターが大声で呼ばわる。現れたのはマシンガンを持った屈強そうな若いもじゃもじゃ頭の男だった。
「おい、お前!」
「え……僕ですか?」
 龍一郎が面食らった。
「お前――ジャップだな」
 ジャップ――日本人の蔑称。
「はい……」
「ジャップには生きる価値などない」
 龍一郎は情けなくなった。美人局紛いの詐欺にひっかかって、その上見知らぬ男にマシンガンで狙われようとは……。
 何だか日本人でいることが情けなく思った。
 勿論、立派な牧師を目指す為に、覚悟を決めてアメリカへやってきたのだけれど。
「待て。リュウを撃つなら俺を撃て!」
「ピーターさん!」
「お前に用はない。用があるのはそこのジャップにだ。――死ね!」
 男がマシンガンを構えた。
(逃げろ!)
 ピーターが目で合図する。でも……。
「ここは任せろ! リュウ!」
 龍一郎は一瞬迷った。自分を匿ったかどで、ピーターも殺されないとも限らない。
 けれど、標的が自分一人なのだったら、逃げた方がいい。囮になるのだ。
 これは賭けだった。――龍一郎は走り出した。
 男はピーターを放っておいて龍一郎の後を追った。
 龍一郎は足の速さを些か自慢にしている。男はマシンガンを撃ってくる。
(助けて助けて! 神様助けて!)
 龍一郎は狭い路地に入った。さっきのところだ。――咄嗟のことで、他に行くところが見つからなかったのだ。龍一郎は物陰に身を隠す。ダダダダ……という音が聞こえる。龍一郎は生きた心地がしなかった。
「あっ!」
 そこで龍一郎は若い乙女の姿を見つける。先程龍一郎を騙した女性――アイリーン・シンプソンが立っていた。
「あなたは……」
 その時、またマシンガンの弾丸がそばを掠めた。
「こっちへ!」
 女が龍一郎の腕を引っ張る。龍一郎は何も考えず、ただただ導かれるままに走った。
「リチャードさん!」
 バンッとアイリーンが立派な扉を開けた。――この路地には不釣り合いな豪勢な屋敷だった。アイリーンが鍵をかけた。リチャードは優雅に茶など飲んでいた。
「どうした……おや、その男は」
「狙われてるの。助けてあげて」
「それはそれは……」
 リチャードは目を細めた。
「君はつくづく災難に遭う星の下に生まれついているようだね」
「あなたがそれ言いますか!」
 龍一郎はリチャードに噛み付いた。
「まぁいい。その男は私が説得するから、君はどこかに隠れていてくれ。さ、早く」
 ――そこへ、ドンドンドンと乱暴に扉を叩く。
「はいはい。そんなに焦らなくても、今開けますよ」
 マシンガンの男が入ってきた。
「今、ここにジャップの男が来たろ」
「来ましたが何か?」
「ジャップは俺の大切な人を殺した。だから、ヤツらを皆殺しにする」
「――大切な人を殺された……先の大戦でか?」
「……きっかけは、そうだ」
 話を盗み聞きしていた龍一郎は胸が痛んだ。こんなところにも戦争の爪痕がまだ残っている。終戦からから十五年が経とうとしているのに。
 まだ、戦争は終っちゃいない。
 龍一郎はソファの陰から姿を見せた。そばにいたアイリーンが驚いた様子で口元を抑える。
「僕はここです!」
 そう叫んだ。
「馬鹿ッ!」
 リチャードの怒声が飛ぶ。それを無視して龍一郎が言う。
「僕を撃ってください、それであなたの気が済むのなら」
 リチャードがどんどんと大股で歩いて来て、龍一郎の頬をバシッと打った。
「うっ!」
「おまえはこんな狂人に投げ出す程度の安い命しか持っていないのか!」
「いいえ……いいえ……」
「ひとつきりの命だ。大事にしろ! ――それから君、名前は?」
 リチャードはマシンガンの男に向き直った。
「ルースだ。ルース・マッケイ」
「そうか。――ルース。君の気持ちはよくわかる。けれど、日本人と言ってもいろいろだ。君は本当に日本人をこの世から全部抹殺したいと思っているのかい?」
「ああ……できるならそうしたいね」
「その前に君が日本人に抹殺されるよ」
「いいんだ――リーナのいない世界に生きていても仕方ないのだから」
「リーナ……」
 リチャードは呟いた。
「誰だい? それは」
「妻だ。収容所を脱走した頭のおかしな日本人に犯され殺された」
「――君はその男と同じことをしようとしている」
 リチャードに指摘され、ルースは愕然としたようだった。
「俺が……あの男と……」
「ああ。この日本人の青年は男だからまさか君は犯しはしないだろうが、しかし、彼を殺そうとはしている」
「…………」
「私も日本人は嫌いだ。だが、殺そうとするほど憎もうとは思わん。憎しみは憎しみしか呼ばんものだ」
 そうか……だから、僕を騙して金を巻き上げたってわけか。龍一郎は皮肉っぽく思う。
「私は詐欺師だが、殺しはやったことはない。それに、今の青年の行動を見たか。君の怒りを鎮める為に、自ら生贄になろうとしている。――そんなことしたって無駄なことはわかっているが、君の犠牲になろうとしていた日本人の青年がいたことだけは覚えておいてくれ」
「リチャードさん……」
 龍一郎はつい呟いていた。
 リチャードという男がわからない。詐欺師かと思えば、龍一郎を助けようとする言動が見える。
 この人は、もしかしたらとても優しいのかもしれない。
「この青年にも家族はいる……」
「…………」
 ルースはマシンガンを取り落した。
「わかった。もうジャップに復讐はしない。もう誰も殺さないから安心してくれ」
 ルースは肩を落とした。
「そうしょげるな。兄弟。後で一杯やろう。あ、そうだ。落し物だ」
 リチャードはマシンガンをルースに渡そうとした。ルースはいらないと言った。ルースは悄然として去って行った。アイリーンがほおっと大きく息を吐いた。
「まぁ、これはもらっておくか。――ところで、君は柊龍一郎だったな」
「はい!」
「ここに住まわせてもいいが――どこか行くあてはあるのか?」
「お気持ちは嬉しいですけれど、あの、僕、ピーター・ベルクソンさんの家にお世話になる予定なんです」

2015.11.17

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