かつてのスターに花束を
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「んーっ! 気持ちいーっ!」
 リョウが、風に長い黒髪を靡かせながら、しなやかな獣のように伸びをした。
 やはりリョウはまだ若い。リチャードには、この寒さが身にこたえる。吐く息が白い。
 カレンと一緒。そんなことが、リョウには嬉しいのだろうか。彼はいつも元気がいいが、三割ほどパワーアップしているような気がする。
(やはり、年頃の女の子と恋を語っていた方が、健全だろうな。これで良かったんだ。リョウにとっては)
 リチャードは、寒さに体を震わせながら、それでも、心のどこかでは、少し安心していた。
 ケヴィンはまだ『十月亭』にいる。エレインと語り合ってでもいるのだろう。恋を語るには年齢差が離れ過ぎてるが。何より、ケヴィンは妻帯者だ。
「リチャードさん! カレン! 星だよ!」
 リョウが天を指差す。
「おお……」
 この汚れた空気の中でも、星が瞬いている。――そういえば、空など見る心の余裕はなかった。
「おー、あれ、何だっけ?」
「あれはね……」
 リョウとカレンが、星座の話をしている。すっかり仲良くなったようだと、リチャードは微笑ましく思っていた。
 相手がアイリーンそっくりというのが気になるが、リョウも普通にデートができるようになったのだ。さっきなんて口説こうとしていたし。
 何と言ったのか気になるが、プライバシーだ。リチャードはそっとしておくことにした。
「俺ね、絵を描いているんだ」
「素敵ね」
「カレンのこと、描きたいな」
「私のことなんか描いたって……」
「だって、俺、カレンのこと描きたいなぁって、思ったんだもん。これって、インスピレーション?」
「まぁ……」
 カレンは目を瞠る。おおかた、今時の若者は進んでいると言いたかったのだろう。ニ、三歳しか離れていないわけだが。
「どうして、私に優しくしてくれるの? リョウ」
「一目惚れってやつ。アンタ、俺のお袋に似てるからさ」
「リョウ!」
 リチャードが叫んだ。
 何ということだ。これでは相手に逃げられてしまう。マザー・コンプレックスの男なんて。ただでさえ、彼氏の母親はライバルみたいなものなのに。
 だが、心配は無用だった。
「今度会わせてあげるね」
「うんっ♪」
 カレンも嬉しそうだ。杞憂だったか。
 それにしても、リョウの母親好きは何とかならないものだろうか。
 カレンもさっきとは違って、すっかりリョウに打ち解けたようだ。若い者は若い者同士、よろしくやってくれるのがいい。
 アイリーンとカレン。似てはいるが、醸し出すムードが違う。カレンの方がさばさばしていて、明るい。
 その明るさで、リョウを照らしてくれたら……とリチャードは思う。やはり、リョウの親戚として、彼の行く末が気にならないわけではないのだ。
(俺、アイリーンと結婚する!)
 幼年時代だけでなく、十代の半ばまで、本気で言っていた青年である。このリョウは。
 カレン相手なら、リョウも健康的な恋愛ができるのではないか。リチャードがふふっと笑った。
 いつの間にか、寒気はどこかに吹き飛んでいた。リチャードは若い彼ら二人を心の中で応援した。
 ところが――
 アパートに帰ってみると、見知らぬ女性がドアのそばに座り込んでいた。
「どう……」
 リチャードが声をかけようとした、その時だった。
「リョウ!」
 その女性はリョウにいきなり抱きついた。
「あ、あの……そちらのお方は?」
 カレンがおずおずと尋ねた。さすがにクリエイターだけのことはある。人間模様が気になって仕方ないのだろう。
 もっとも、芸術家でなくても、私も気になるところだがな――リチャードも、訊きたいことがたんとある。
 彼女は、一旦リョウから離れた。
「あ、あたし、アリスです。アリス・シャロン。よろしく」
 そう言って敬礼する。悪い子ではなさそうだが、変わった子だ。
 ふわふわの金色巻き毛に、コート姿。小さい身長。多分、カレンとそう変わらないのではあるまいか。カレンも背が低い方である。アイリーンは彼女達よりは高い。
「あ……アリス……」
 リョウはわなわなと震えている。
「どうしてここがわかったんだ?」
「決まってるでしょうー。愛の力よ。……というのは嘘。本当は友人に聞いてきたの」
「誰だ、そいつ。後で殴ってやる!」
「きゃあ、野蛮!」
「あんたもう帰れ」
 リチャードが夫婦漫才を始めた彼らを唖然として見つめていると、カレンが袖を引っ張った。
(誰?)
 そう訊かれても、リチャードも答えようがない。何しろ知らないのだから。
 ただ、リョウが意外と女の子に興味を持たれているのがわかった。柊龍一郎に似て男前なのだから、無理もないかもしれないが。これでマザコンでなかったら、もっともてただろう。
「あ……リチャードさん。変なとこ見せちゃったね……」
「いや。私は嬉しい」
 リョウがもてるのが。案外恋愛面でも奥手ではなさそうなところが。マザコンであるより、全然心配いらない。
「勘違いしないでよー。アリスは俺につきまとっているだけなんだからなー」
「はいはい。行こうか。カレン」
「そうね。邪魔しちゃ悪いものね」
「カレン。誤解……」
「アリスちゃんて言ったっけ? リョウくんと仲良くね」
「カレーン。俺が好きなのは、アイリーンとカレンだけだー」
「カレン?」
 アリスの眦がぴくっと引きつった。
「あ、自己紹介がまだでしたね。私はカレン・ボールドウィン。そしてこちらが――」
「知ってるよー。あたしもテレビ観るもん。リチャード・シンプソンよね」
「ああ、宜しく」
 リチャードは手を差し出した。アリスはその手を取る。
「リョウから話を聞いて知ってたけど、本物見ると、感慨もひとしおだわぁ」
 言い回しもどことなく独特である。少し疲れそうな気がする――とリチャードは思った。面白いが。
 リチャードから手を離すと、アリスはまたリョウを抱き締めた。
 リョウもたじたじとなっている。アリスは、リョウの顔中にキスをしていた。
 恋人同士というよりは、何となく、久しぶりに会った親戚の子という感じがする。
「リチャードさん。あの二人、恋人同士なんですよね」
「だと思うが」
「あたしには、ただの友人にしか見えません」
「困ったことに私にもなんだ」
 狼狽しているリョウ、嫌がる彼にキスをしているアリス。可愛い子だが、本当に彼女なのだろうか。
「もしかしたら、アリスさん、片思いだったりしません?」
「――私もそう思う」
 カレンの言葉に、リチャードは頷く。
「わかってるんだったら、助けてくれー」
「いや。私はその子とおまえがつき合ったって、何の心配もないから。カレンと似合いかと思ったけど、アリスさんとでもいいぞ。可愛い親戚ができて嬉しいよ」
「私も何とも思いません。リョウさんがもてる人とわかっただけで」
 リチャードとカレンは、リョウ達を放っておいて部屋に入る。カレンは今日、このアパートに泊ることになったのだ。
「アリスー! 俺から離れろー!」
「やだー!」
「あっ。そうだ。リョウ。アリスさん。家に入れ。ココアがあるから」
 一旦部屋に戻ったリチャードがドアから姿を現した。アリスとリョウの取っ組み合いは、一時中断となった。

かつてのスターに花束を 10
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