かつてのスターに花束を 「美味しいです、このココア」 アリスが微笑みながら言う。 「ありがとう」 リチャードも微笑み返す。 「どうせインスタントだよ」 「リョウ……そういう時はお世辞でも、淹れた人がいいからです、て言うもんだぞ」 「はいはい。淹れた人がいいからです」 「何となく釈然とせんな」 しかし、リチャードは嬉しそうだった。リョウのことを息子のように可愛がっているのだ。 「でもさぁ、駄目じゃない。リョウ。あたしに黙って旅行なんて!」 「おまえに言うと、いろいろ面倒なんだよ!」 「どうして? 友人からここにいるの聞いたんだけど、あたし、一応父兄の方からも承諾頂きたくて、アイリーンさんからも、宜しく言われてるんだよ!」 「お袋がぁ?」 リョウは、驚きの表情のまま、固まった。 「よし、今から電話で確かめてみる! 嘘だったらただじゃおかないぞ!」 リョウはココアを床に置いて、電話のところに行こうとすると、そのカップにつまずいた。 「わーっ! あっちーっ!」 「馬鹿……」 リチャードは額を押さえた。呆れたかのごとく。 「アリス。あんなドジな子だが、世話してくれるかね」 「もちろんですとも」 アリスはにこっと笑った。 (動じないなんてさすがだな……) リチャードは変なところで感心している。カレンでもいいかもしれないが、アリスもなかなかしっかりしてそうな娘だ。 どちらがいいかな――とリチャードは算段してみる。 好みで言ったら、カレンの方がいい。けれど、カレンにその気持ちがあるかどうか……。脚本を書く方が好きなのかもしれない。色恋のことよりも。 これだけは言える。カレンは、リョウのことを何とも思っていないことだ。 男として六十年は過ごしている。それぐらいのことはわかる。 そう――リチャードがロザリーのことを何とも思っていなかったようにだ。それなのに、一夜を過ごしたのは……やはり、好きだったからだろうか。それとも、ロザリーの情熱に負けてか。 (私、あなたがいいの。他の人なんて考えられない) ベッドを共にした後、ロザリーが言った。ロザリーを嫌いなわけではなかった。ただ、彼女との生活を想像することができなかっただけだ。 (アルバート……) アルバート・オブライエンのことを、突如、思い出した。それは、この世で一番嫌いな者――いや、嫌いという言葉では表現しきれない。 彼を、憎んでいた。 リチャードは、以前、龍一郎に懺悔したことがある。 「アルバート・オブライエンは、私が一生のうちでただ一人、本気で憎んだ者です」 ――と。 カレンの脚本が映画になったら、それに出演させてもらおうと思う。そこには、アルバートの存在がない。 アルバートがいない人生というのはどういうものか――リチャードは確かめたかった。 ロザリーがいるのは仕方がない。それに、リチャードも、彼なりにロザリーを好いていた。 あの一晩の出来事――それを削ってもらえたら、直ちに出演をOKするつもりだった。 (となると、ロナルドの力が必要になるな) ココアを啜りながら、リチャードはもう将来のプランを立てていた。 ロナルド・エイヴリー……今のリチャードの友人の一人だ。彼は有能で、映画製作所の所長として、数々の映画の興行を成功させている。そういう才能があるのだ。 この映画は成功する。ロナルド・エイヴリーの力を借りれば。リチャードは乗り気だった。 カレンは、ふぅふぅと、熱いココアを冷ましている。猫舌なのだろうか。 「はぁ……」 リョウが、溜息を吐きながら戻って来た。何となく、いつもの元気もない。 (丸め込まれたな) リチャードは見当をつけた。果たしてその通りだった。 「お袋も親父も、アリスさんのこと、よろしくって」 「まぁ! さすがはリュイチロウにアイリーンさんだわ! あたし、この冬、ずっとここにいますね!」 「冬中、ずっとかよ」 リョウは壁に凭れかかった。 「あら。だめなの? リョウ」 カレンはきょとんとして訊く。もしかすると、リョウの気持ちに気付いていないのかもしれない。天然、とでも言うのだろうか。 リョウは、恨めしそうにカレンを見遣る。 「だめに決まってるだろ? 俺だって男なんだぜ」 「あたし、リョウとだったら間違い犯してもいいわ」 「絶対やだ!」 「だから、リュウイチロウ達はアリスのことをリョウに託したんだろうな」 「冗談じゃねぇよ……」 とほほ……とリョウは嘆いた。 「そうねぇ……こんな感じじゃ、変なことにはならないでしょうしねぇ」 「――だな。リョウ、このお嬢さんとは、何処で知り合ったんだ?」 リョウの話で、リョウとアリスは、同じ美術学校に通っていること、それよりも前に、同じ教会――柊龍一郎が牧師をしている教会に一緒にいたことを話した。 リチャードはアリスのことを覚えていなかった。龍一郎の教会に熱心に通っていた時期がずれていたのだ。俳優をやっていた頃は、日曜でもたまにしか来なかった。もしかしたらアリスに会ったことはあるかもしれないが――。アリスはリチャードのことは初対面みたいなことを言っていたから、多分これが初めての出会いであったか、アリスの方も覚えていなかったかであっただろう。 「あたし達、リュウイチロウの教会で、婚約したんだよね」 「忘れたな、そんなこと」 「どうしてぇ? あたしははっきり覚えているのに」 カレンは笑ったらしく、ゴホゴホと噎せた。 「可愛らしいお嬢さんじゃないか。ぴったりだよ。君達」 「ありがとうございます。リチャードおじ様」 アリスはハートマークを飛ばしながら――というのはもちろん比喩だが――リチャードの隣に座った。 「リチャードさんとリュウイチロウは仲良しなんですよね。これからも宜しくお願いしますわ」 「リョウ。見直したぞ。こんな可愛いお嬢さんをものにするなんて。ただのマザコンではなかったのだな」 「違いますって! ああ、もう」 リョウが頭を押さえた。 「どうしたの? リョウ。頭痛いの?」 「おまえのせいだよ!」 でも――どうしてそんなにアリスのことを毛嫌いするのかな、とリチャードは思った。アリスはきらきらしていて、まるで金粉を振りまいたようだ。こんなに綺麗な娘は珍しい。この子なら、女優になれるかもしれない。ただ、演技力が問題だが。 「そんなにアイリーンさんがいいの?」 「当たり前だ。アイリーン――お袋は世界一の女性だ」 「まぁ……こんな可愛いあたしを前にして――」 アリスは目を潤ませた。 「ちょっと……リョウ、可哀想じゃない」 カレンが仲裁に入る。 「そんなにお母様が大事なら、お母様と結婚すればいいじゃない!」 「そうしたいんだけど、それだと近親相姦になるからいけないんだよ!」 「呆れたマザコンね……」 カレンも匙を投げた。 「アリス。今日は私と一緒に寝ましょ。こんな人でなしはほっぽって」 「カレン……アンタは見た目はお袋に似てるけど、中身は全然違うな」 「当たり前でしょ! 私はあなたのお母さんじゃないのよ。それに、会ったことだってないし」 「会ったことない?! そういえばそうだね!」 途端にリョウが目を輝かせた。長い髪が揺れて、リョウがカレンの前に詰めかける。 「じゃあ、会わせてあげたいよ! ほんと、いい女なんだ! 俺の父にはもったいないぐらいのものさ! 明日、連れてってあげるよ! 俺の親父の教会に!」 「ええっ?! そう言われても……」 カレンは目を白黒させていた。またリョウの『母親自慢したい病』が始まった――と、リチャードは困惑した。カレンでもアリスでも誰でもいい。この未だに乳離れできないリョウを引き取ってもらいたい。そう願った。 かつてのスターに花束を 11 BACK/HOME |