かつてのスターに花束を
10
 リチャードの住むアパートの一室――いろいろな物が置いてある部屋で、リチャード、カレン、リョウ、アリスはココアを飲んでいた。
「美味しいです、このココア」
 アリスが微笑みながら言う。
「ありがとう」
 リチャードも微笑み返す。
「どうせインスタントだよ」
「リョウ……そういう時はお世辞でも、淹れた人がいいからです、て言うもんだぞ」
「はいはい。淹れた人がいいからです」
「何となく釈然とせんな」
 しかし、リチャードは嬉しそうだった。リョウのことを息子のように可愛がっているのだ。
「でもさぁ、駄目じゃない。リョウ。あたしに黙って旅行なんて!」
「おまえに言うと、いろいろ面倒なんだよ!」
「どうして? 友人からここにいるの聞いたんだけど、あたし、一応父兄の方からも承諾頂きたくて、アイリーンさんからも、宜しく言われてるんだよ!」
「お袋がぁ?」
 リョウは、驚きの表情のまま、固まった。
「よし、今から電話で確かめてみる! 嘘だったらただじゃおかないぞ!」
 リョウはココアを床に置いて、電話のところに行こうとすると、そのカップにつまずいた。
「わーっ! あっちーっ!」
「馬鹿……」
 リチャードは額を押さえた。呆れたかのごとく。
「アリス。あんなドジな子だが、世話してくれるかね」
「もちろんですとも」
 アリスはにこっと笑った。
(動じないなんてさすがだな……)
 リチャードは変なところで感心している。カレンでもいいかもしれないが、アリスもなかなかしっかりしてそうな娘だ。
 どちらがいいかな――とリチャードは算段してみる。
 好みで言ったら、カレンの方がいい。けれど、カレンにその気持ちがあるかどうか……。脚本を書く方が好きなのかもしれない。色恋のことよりも。
 これだけは言える。カレンは、リョウのことを何とも思っていないことだ。
 男として六十年は過ごしている。それぐらいのことはわかる。
 そう――リチャードがロザリーのことを何とも思っていなかったようにだ。それなのに、一夜を過ごしたのは……やはり、好きだったからだろうか。それとも、ロザリーの情熱に負けてか。
(私、あなたがいいの。他の人なんて考えられない)
 ベッドを共にした後、ロザリーが言った。ロザリーを嫌いなわけではなかった。ただ、彼女との生活を想像することができなかっただけだ。
(アルバート……)
 アルバート・オブライエンのことを、突如、思い出した。それは、この世で一番嫌いな者――いや、嫌いという言葉では表現しきれない。
 彼を、憎んでいた。
 リチャードは、以前、龍一郎に懺悔したことがある。
「アルバート・オブライエンは、私が一生のうちでただ一人、本気で憎んだ者です」
 ――と。
 カレンの脚本が映画になったら、それに出演させてもらおうと思う。そこには、アルバートの存在がない。
 アルバートがいない人生というのはどういうものか――リチャードは確かめたかった。
 ロザリーがいるのは仕方がない。それに、リチャードも、彼なりにロザリーを好いていた。
 あの一晩の出来事――それを削ってもらえたら、直ちに出演をOKするつもりだった。
(となると、ロナルドの力が必要になるな)
 ココアを啜りながら、リチャードはもう将来のプランを立てていた。
 ロナルド・エイヴリー……今のリチャードの友人の一人だ。彼は有能で、映画製作所の所長として、数々の映画の興行を成功させている。そういう才能があるのだ。
 この映画は成功する。ロナルド・エイヴリーの力を借りれば。リチャードは乗り気だった。
 カレンは、ふぅふぅと、熱いココアを冷ましている。猫舌なのだろうか。
「はぁ……」
 リョウが、溜息を吐きながら戻って来た。何となく、いつもの元気もない。
(丸め込まれたな)
 リチャードは見当をつけた。果たしてその通りだった。
「お袋も親父も、アリスさんのこと、よろしくって」
「まぁ! さすがはリュイチロウにアイリーンさんだわ! あたし、この冬、ずっとここにいますね!」
「冬中、ずっとかよ」
 リョウは壁に凭れかかった。
「あら。だめなの? リョウ」
 カレンはきょとんとして訊く。もしかすると、リョウの気持ちに気付いていないのかもしれない。天然、とでも言うのだろうか。
 リョウは、恨めしそうにカレンを見遣る。
「だめに決まってるだろ? 俺だって男なんだぜ」
「あたし、リョウとだったら間違い犯してもいいわ」
「絶対やだ!」
「だから、リュウイチロウ達はアリスのことをリョウに託したんだろうな」
「冗談じゃねぇよ……」
 とほほ……とリョウは嘆いた。
「そうねぇ……こんな感じじゃ、変なことにはならないでしょうしねぇ」
「――だな。リョウ、このお嬢さんとは、何処で知り合ったんだ?」
 リョウの話で、リョウとアリスは、同じ美術学校に通っていること、それよりも前に、同じ教会――柊龍一郎が牧師をしている教会に一緒にいたことを話した。
 リチャードはアリスのことを覚えていなかった。龍一郎の教会に熱心に通っていた時期がずれていたのだ。俳優をやっていた頃は、日曜でもたまにしか来なかった。もしかしたらアリスに会ったことはあるかもしれないが――。アリスはリチャードのことは初対面みたいなことを言っていたから、多分これが初めての出会いであったか、アリスの方も覚えていなかったかであっただろう。
「あたし達、リュウイチロウの教会で、婚約したんだよね」
「忘れたな、そんなこと」
「どうしてぇ? あたしははっきり覚えているのに」
 カレンは笑ったらしく、ゴホゴホと噎せた。
「可愛らしいお嬢さんじゃないか。ぴったりだよ。君達」
「ありがとうございます。リチャードおじ様」
 アリスはハートマークを飛ばしながら――というのはもちろん比喩だが――リチャードの隣に座った。
「リチャードさんとリュウイチロウは仲良しなんですよね。これからも宜しくお願いしますわ」
「リョウ。見直したぞ。こんな可愛いお嬢さんをものにするなんて。ただのマザコンではなかったのだな」
「違いますって! ああ、もう」
 リョウが頭を押さえた。
「どうしたの? リョウ。頭痛いの?」
「おまえのせいだよ!」
 でも――どうしてそんなにアリスのことを毛嫌いするのかな、とリチャードは思った。アリスはきらきらしていて、まるで金粉を振りまいたようだ。こんなに綺麗な娘は珍しい。この子なら、女優になれるかもしれない。ただ、演技力が問題だが。
「そんなにアイリーンさんがいいの?」
「当たり前だ。アイリーン――お袋は世界一の女性だ」
「まぁ……こんな可愛いあたしを前にして――」
 アリスは目を潤ませた。
「ちょっと……リョウ、可哀想じゃない」
 カレンが仲裁に入る。
「そんなにお母様が大事なら、お母様と結婚すればいいじゃない!」
「そうしたいんだけど、それだと近親相姦になるからいけないんだよ!」
「呆れたマザコンね……」
 カレンも匙を投げた。
「アリス。今日は私と一緒に寝ましょ。こんな人でなしはほっぽって」
「カレン……アンタは見た目はお袋に似てるけど、中身は全然違うな」
「当たり前でしょ! 私はあなたのお母さんじゃないのよ。それに、会ったことだってないし」
「会ったことない?! そういえばそうだね!」
 途端にリョウが目を輝かせた。長い髪が揺れて、リョウがカレンの前に詰めかける。
「じゃあ、会わせてあげたいよ! ほんと、いい女なんだ! 俺の父にはもったいないぐらいのものさ! 明日、連れてってあげるよ! 俺の親父の教会に!」
「ええっ?! そう言われても……」
 カレンは目を白黒させていた。またリョウの『母親自慢したい病』が始まった――と、リチャードは困惑した。カレンでもアリスでも誰でもいい。この未だに乳離れできないリョウを引き取ってもらいたい。そう願った。

かつてのスターに花束を 11
BACK/HOME