かつてのスターに花束を
7
「カレン・ボールドウィン――」
 リチャードは少なからず驚いた声を上げた。それで、『十月亭』に集まった面々は、カレンの方に目を向けた。
 リョウは――リチャードはこっそり様子を見た。
 目を見開いたまま動かない。口元はぽかんと開いている。頬は赤くなっている。
 カレンは、それ程までに、美貌を誇るリョウの母、アイリーン・シンプソン・柊に似ていたのだ。
(やれやれ、一目惚れというやつか――)
 リチャードは心の中でこっそり呟いた。しかし、母親に似ている女性に恋心を抱くなんて、どこまでマザコンなんだろうか。リチャードは呆れながら思った。
 もちろん、アイリーンとカレンでは違うところがある。カレンは硬質の髪だが、アイリーンは柔らかいウェーブである。カレンは童顔だが、アイリーンはもっと大人っぽかった。他にもまだ相違点はいろいろある。
 当たり前だろう。カレンはアイリーンではないのだから。
 元気の良さそうなカレンと、優雅な物腰のアイリーン。その違いがわかるのは、昔、リチャードもアイリーンが好きだったからに他ならない。恋愛感情かと問われれば――「いいや」と答えるが。
 ロザリーは、アイリーンに嫉妬していたようだ。はっきり目の前で、「アンタは嫌い」と言ったこともあるという。そのころから、ロザリーはおかしかった。
(そういえば、リョウもロザリーは嫌いだと言っていたな――)
 アイリーンは人を嫌うことはしない。リョウの父親、龍一郎も、人を嫌いにはなれない人種だ。だからこそ、龍一郎は牧師になれたのだろう。今では押しも押されもせぬ、アメリカの教会きっての牧師だ。彼のところにはたくさんの人が来る。
 真似できんな――と、リチャードは密かに思った。好悪の情が激しいリョウの方が、まだ理解できる。だからこそ、リョウもリチャードに懐いたのだろう。龍一郎……実の父よりも。
 そして、アイリーン。
 リョウにとって、アイリーンは女神だった。だが、彼女には龍一郎がいる。
「親父には敵わねぇや」
 いつか、リョウが投げやりにそう言ったことがある。リョウは毎日を面白おかしく暮らしたいのだ。龍一郎は黙ってそれを見ている。親として見守っている。リョウは、かつてのリチャードに少し似ている。血……かもしれない。かなり薄いだろうが。
「俺、絵描きになりたいんだよ。親父の教会継ぐなんてまっぴらごめんだしさぁ……親父、何で牧師になったのかなぁ。まぁそれが親父の天職なんだろうけど」
 リョウの夢が叶うといい。リョウの絵のことについてはさっぱりわからないが、上手い方なのだろう。
 リョウと龍一郎は、アイリーンを挟んでのライバル同士だったのだ。――龍一郎はそう思っていないだろうけれど。
 だから――リョウが見た途端にカレンに惹かれたのは、ごく当たり前のことだったのかもしれない。
「リョウ、紹介しよう。こちら、カレン・ボールドウィンだ。カレン。こちらはアーサー・リョウ・柊」
「カレン・ボールドウィンです。宜しくお願いします」
 カレンは頭を下げた。
「は、いえ……いや、その……」
 リョウはへどもどしている。無理もない。赤の他人とはいえ、尊崇している母にそっくりな女性に会えたのだから。
「何か飲む? あなた、若そうだけど――失礼だけどおいくつ?」
 エレインが訊いてきた。
「二十ニです」
 カレンが答えた。
「私、あなたが入って来た時、ティーンエイジャーかと思ったわよ。私よりは若いけど。――私は二十八。エレイン・リトルトンよ。宜しくね」
「知ってます」
 エレインが最後まで台詞を言った瞬間、すぐにカレンの答えが返ってきた。
「私はロザリーさんと……それからリチャードさんの大ファンでしたから。でも、エレインさん。あなたの方がお母様より美人ですね」
「ありがとう」
 エレインは嬉しそうに艶然と微笑んだ。酒場のママとして、よく似合う。
 彼女の本意がどこにあるか知らない。けれど、カレンに好印象を持ったようだ。尤も、カレンを嫌いになる人間は滅多にいないだろう。
(二十ニか――俺より三つ上か。カレン――いい名だ。俺達は釣り合うだろうな。カレンは年よりも若く見えるし――)
 ぶつぶつ呟いているリョウを、リチャードは無視した。
 カレンもリョウにはあまり興味を持たなかったようだった。
「こんにちは。カレン・ボールドウィンさん。ケヴィン・アトゥングルです」
 ケヴィンは立ち上がって、カレンに握手を求める。カレンはしっかりと握り締めた。
「あ、ケヴィンおじさん――!」
 リョウは早速焼き餅をやいている。エレインはくすくすと笑っている。
「カレン。リョウもあなたと握手がしたいって」
「そ……そんな……からかわないでくださいよ。エレインさん」
「あなた、男の子? 髪長いから女の子だと思ったわ」
 カレンは微笑みながら手を差し出す。
「俺……この髪型だから誤解されることもあるけど、一応男ですよ。親父からは『切れ切れ』って言われてるんですけど――」
 リョウの髪型については、龍一郎も結構うるさい。龍一郎にしてみれば、冗談半分に言っているところもあるのだろうが。
「それに、アーティストは、みんな長い髪しているものなんだよ」
「ふーん……」
 カレンは特に感心もせずに、生返事をしている。
 リョウと握手した後、カレンはリチャードの方を向いた。
「来てしまいました。――リチャードさん」
「それはいいのだが……」
 どこで私がここにいるという情報を手に入れたのか――そう言おうとして、リチャードは止めた。
(ロナルドか……)
 それに、自分も、行きつけの酒場だ、と教えたような気がする。教えたことを忘れているなんて、自分も物忘れが激しい年齢になってきたのかもしれない。
 三十年前のことは覚えていても、三日前のことは忘れる。
 でも、奇遇ではある。いつもより来る時間帯が早いというのに。リョウのおかげで。
 こういうのを縁というのかもしれない。
「エレイン。何か適当なものを出してやってくれ。カレン。今日はおごってやる」
「ええー! リチャードさん、カレンとどんな関係なんだよ」
 リョウが気色ばむ。
「まさか恋人なんてことは――」
「だとしたら、光栄だがな」
「まぁ……」
 カレンは頬を押さえる。満更でもなさそうだ。それに、リチャードは、年を取ったとはいえ、まだまだ美男子である。性的魅力もある。
 だからこそ、ロザリーに恋されたのであろうが――彼女はもうこの世にはいない。
「そんなことしなくても大丈夫ですよ。私、結構お金持ちですから」
 カレンはそう言って、鞄から黒い財布を出す。
「これに五百ドル入ってます」
「自分で稼いだお金か? それともロナルドの金か?」
 リチャードの質問に、
「あ、あの――ロナルド叔父さんが渡してくれた、お金です……」
 カレンの台詞の語尾が小さくなった。財布を鞄にしまう。
 ロナルドの過保護にも困ったもんだと、リチャードは心の中で舌打ちをする。
「でも、シナリオ書いて、将来はお金持ちになります!」
 カレンは大声で宣言した。
「なになに、お嬢ちゃん、シナリオ書くの?」
「カレン、あんた脚本家志望? じゃあ、俺と同じアーティストだ」
 ケヴィンとリョウがわらわらと近寄って来る。
「こらこら」
 と、リチャードは一応牽制する。
「んで、お嬢ちゃん。どんな話書いてんの?」
 ケヴィンが質問する。
「リチャードさんが主人公の話です。題名は、『かつてのスターに花束を』」
「ほう……リチャードはもう過去の人か。それはめでたい」
「本望だよ」
 リチャードは、エレインが勧めてくれた酒を啜った。――旨い。エレイン・リトルトンに興味のない者でも、酒の旨さに釣られてやってくる人もいる。
 しかし、『十月亭』を支えているのは、何といっても、エレインの魅力だろう。頭の回転も速くて、話も上手だ。今はまだ時間が時間だから、あまり客は来ていないが――それでもどっと来ることがある。
 この頃は不景気なのか、客の数は少ないようだが――それでも、ギルバート・マクベインのようなビッグスターが来ることがある。
(だから、ここが好きなんだ)
 生きたびっくり箱のようなこの店が。時々あっと驚かされる。
 エレインは、きゅっきゅとグラスを拭いている。鼻歌を歌いながら。
「あ、そうだ。リチャードさん」
 カレンはまた鞄に手を入れて、紙の束を取り出す。題名が書いてある。『かつてのスターに花束を』設定集。No.1とある。
「これ、読んでもらえますか? 批評を聞かせてください。リチャードさんに目を通してもらいたくて書いてきましたから――どんな感想でも構いませんから……ここがおかしいとか、指摘してくださると嬉しいです」

かつてのスターに花束を 8
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