かつてのスターに花束を
5
 そろそろ来る頃だな――。
 リチャード・シンプソンは思った。揺り椅子に座ってパイプを燻らせて。
 あの子が来る時はすぐにわかる。
 ほら、もう元気な若い足音が響いて来るようではないか――。
 玄関のチャイムが鳴った。
 リチャードは椅子から立たない。どうせ勝手に入って来るのだ。
「リチャードおじさん!」
 リチャードにとってはお馴染となってしまった、若い、明るい声。
 アーサー・リョウ・柊である。柊龍一郎と、アイリーン・シンプソン・柊の一粒種である。日系二世。
 アーサーがファーストネームなのだが、リチャードや親戚は、「リョウ、リョウ」と呼んでいる。ちなみにミドルネームの『リョウ』は、父親から受け継いだものだ。父は『リュウイチロウ』と言う名だが。
 長い黒髪を腰まで垂らしている。瞳は両親から受け継いだ茶色で、いつも好奇心にきらきら輝いている。
 今は、ロサンゼルスの美術大学に通っている。ベレー帽をよくかぶっている。
 ちゃっかりしているところもあるが、根は優しい。今年で十九歳になった。
 特定の趣味というものはなく、何でも、どんな状況でも面白がれる、貴重な資質を持っている。そんなところも、リチャードと馬が合う。
 彼の屈託ない笑顔は、周りの心を和ませる。
「こんにちは。リチャードさん」
「来ると思ってたよ」
「やっぱりここは寒いね」
「寒いのは嫌いか?」
「俺、若いから寒いのは平気だけど……いつもより片付いてない?」
「おまえが来るというので、少し整理整頓したんだよ」
「――俺、歓迎されてると思っていい?」
「もちろん」
 リョウの父、柊龍一郎とは、リチャードがまだ若かった頃からの付き合いである。
 若い、といっても、リョウのように内側から発散される漲る力はなかった。生きていることに倦んでいた。ほんの少しの人々しか寄せ付けなかった。
 それを救ってくれたのが龍一郎だ。感謝してもしきれない。
 龍一郎は、今は小さなプロテスタントの教会の牧師となっている。彼の教会は小さくてもよく手入れがしてあって、名の通った大聖堂より、リチャードは好きである。
 それを支えるのがアイリーンだ。美人で、皆から可愛がられていた。自分の従妹である彼女を一度でも犯罪に手を染めさせたのは、悪いことだったと反省をしている。
 おかげで龍一郎とも縁が繋がったのだから、そう悪いことばかりともいえないのだが……。
「どうしたの? リチャードさん。ぼーっとしちゃって。年?」
「馬鹿言うな。これでもまだまだ若いつもりなんだぞ」
 リチャードは傍に来たリョウの頭を小突いた。
「いてっ」
 リョウは笑いながら頭を押さえる。
「けどさぁ。物がないと少し寂しいよね。この部屋」
「そうかね」
「俺、リチャードさんに自画像贈ってあげるよ。どっかに飾るといい」
「おまえの下手な絵よりは、花束が欲しいね」
「んなもん、スター時代にいっぱいもらってるじゃん」
「かつてのスターにも、花束は必要なものなのさ」
「そういうものなの?」
「そういうものさ」
「ふーん……」
 リョウは、一応納得したようだった。
「そういえば、この間面白い子が来たよ」
「女の子?」
「若い女の子だ」
「紹介して!」
「また……今時の若いもんはすぐそれだ。少しは順序ってものを考えんかね」
「そういうのは、おじさんになった証拠」
「もうとっくにじいさんだよ。おまえも大きくなったし」
「若いつもりじゃなかったの?」
「時によって若くもなり、年寄りにもなる。それが老人というものさ」
 リチャードはパイプを弄んでいる。
「で? その子はどんな子?」
「そう……まだ若かったな。昔のおまえの母にそっくりだ。髪型もな」
「本当?!」
 リョウの目が嬉しそうに見開かれた。彼は自分の母親をほとんど崇拝している。特に、写真で残っている若い頃の母の美しさにはすっかり参っている。
 何かある度に、「うちのおふくろのアイリーンは昔、それはそれは綺麗だったんだぜ」とか、「うちのおふくろに比べれば……」とか、何でも母親が基準なのだ。
 彼と結婚する女性は苦労するに違いない、とリチャードは密かに危惧しているが、本人は拘泥しない。
「俺、親父より早く生まれていれば、アイリーンと結婚できたな」
 なんて、本気で言っている。アイリーンも、笑って受け流している。
 いつも、「うちのおふくろは……」なんて言っているから、ついたあだ名が『マザコン・リョウ』。
 それでも嫌な感じがしないのは、リョウが開けっぴろげで明るいからかもしれない。
 何人かの女の子達とも付き合っているらしい。アイリーンと比較されて、彼女達が怒らないのかどうか、はなはだ気になるところではあるが。
「それでそれで? 何ていう名前?」
「カレン・ボールドウィン。二十二と言っていたから、おまえより少し年上だな。シナリオライター志望だ」
「シナリオライター?」
「ああ。私を題材に脚本を書くそうだ」
「じゃ、じゃあ、また映画に出るの? リチャードさん」
「かもな」
 リチャードは簡潔に答えた。
「ばんざーい!」
 リョウのあまりの威勢の良さに、リチャードは椅子からずり落ちそうになった。
「俺、リチャードさんの映画好きだからさ、ほんとに楽しみにしてるよ!」
「もう、ロザリー・リトルトンはいなくなったがね。やはり彼女あっての私だからね」
「そうだねぇ……でも、リチャードさんもまだまだ人気あるから」
「おだてても無駄だぞ」
「俺、ほんとのこと言ってるだけだよ」
 リョウは、嘘をつくような子ではない。本気でリチャードが優れた俳優だと、思い込んでいる。
 だが、リチャードは知っている。あの『黄金コンビ』の名声を生み出したのは、ロザリー・リトルトンの方だということを。
 ロザリーは天才だった。天才だったが故に、酒に溺れ、命を縮めた。天才だったが故に、先を見通せたのだろう。自分に未来がないことも。
 彼女の死は、失望からの死だった。それとは対照的に、リチャードは特に何も悲観せずに、日々の生活に甘んじている。
(カレン・ボールドウィンが、私のことを書いてくれると言うなら、私はその映画でスクリーンに出るのを最後にしよう)
 カレンの才能に関しては、何故か疑う気も起きなかった。いろいろ一筋縄ではいかなさそうだし、変なところもあるのだが、その奥に、天への素直さ、誠実さが見え隠れしている。
 彼女は伸びる。どの分野に行っても。リチャードはそう確信していた。
「カレン・ボールドウィン……いい名前だ。その子に会える?」
 リョウの茶色の瞳が光っている。どことなく、カレンに似ているところがある。リョウも素直だ。
「ロナルドに連絡しよう。ああ、それから……『十月亭』で珍しい人に会った」
「誰?」
「ギルバート・マクベインだ」
「ギルバート?!」
 リョウが興奮冷めやらぬ面持ちで叫んだ。そして語る。
「俺、好きだったんだよ。ギルバート。ああ、リチャードさんとこはいいなぁ。行けばいつでも何やかや、面白いことが起こるし、楽しい話が聞ける。教会もいいけど、毎日聖書だの賛美歌だのじゃ、飽きちゃうよ」
「おいおい……後でリュウに叱られるぞ」
 リュウ。リチャードが、『リュウイチロウ』といちいち呼ぶのは面倒臭いので、省略してその愛称を龍一郎につけたのである。
「親父なんか怒ったって怖くないよ。おふくろに叱られた時の方が怖いな」
「ははは……相変わらずだな。リョウ」
「それよりもさぁリチャードさん、早く『十月亭』へ行こうよ! ギルバートさんも来てるかもしれないし!」
「おうっ。袖を引っ張らないでくれ。――わかった。すぐ準備しよう」

かつてのスターに花束を 6
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