かつてのスターに花束を
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 カレンとジェーンは一緒に夕飯をしたため、一緒にお風呂に入り、一緒に寝た。
「思い出すわねぇ。あなたがまだ小さい時。あなたは本当に本が好きで、私は何冊も読まされたわ」
「もう……昔の話でしょ」
 カレンにもありがたいという気はあるが、何となくこそばゆい。
「生まれて初めての作品が確か……『野うさぎ物語』だったわね」
「ん……」
 クラスメート達と一緒に作った紙芝居。なかなかに好評を博した。第二弾も作ってと言われた。その前にクラス替えになってしまったが。
 一人、絵の上手い子がいて、その子は野うさぎを描くのを頼まれて一生懸命描いていた。
 終わった後、「もううさぎは一生かきたくない」と、笑いながら言っていた。そういえば、リョウに雰囲気の似た子だった。
(絵が好きな子って……感じが似るのかな)
 リョウやリチャードさんにも会いたいし、もうすぐ会えるとなると胸がわくわくした。
「お母さん。私、いい友達に恵まれたわ」
「そうね」
「ギルバートさんとも友達だし」
「良かったわね」
 母ジェーンは家事働きでかさかさになった手でカレンの滑らかな頬を撫でた。
「あなたは外の世界に旅立って行くのね……お母さんの役目はもうすぐおしまいね」
「そんな……どんなことになったって、ママはママよ」
 つい、昔のように、カレンはジェーンを『ママ』と呼んだ。
「あら。ママって懐かしい呼び方ね」
「あ……ごめん」
「謝らなくてもいいのよ」
 ジェーンは柔らかな笑顔を浮かべた。カレンもこうやっていると昔のことを思い出す。
 小学校の頃、『ママ』と呼んでいるのをからかわれて。まだ一緒に寝ていることを笑われて。
「お母さん、私、これから一人で寝たい」
 と泣きながら言ってベッドを買ってもらったことを思い出す。
 ジェーンは、
「気にしなくていいのに……けれど、そうしたいのなら仕様がないわね。カレンがそう言うのなら」
 ――母はどこか寂しそうであった。
(お母さん……)
 あったかい。もっとこのぬくもりを感じながら生きていっても良かったかもしれない。――怖い夢を見た時など、一緒に寝てもらったことはあるが。
「お母さん……ごめん」
 カレンは――泣いていた。
「いいのよ。あなたも大人になった。お母さん、あなたがどこで活躍しても、必ず幸せになるように祈っているわ。例え、脚本家として成功しなくても――あ、縁起でもないわね」
 ジェーンがふふっと笑う。その笑顔は鏡で見た自分の笑顔にそっくりで――自分は母親似なんだと、カレンは思う。
「いつでも、祈っているわ。あなたのこと」
「うん」
 カレンは頷いた。母が祈ってくれている。その事実を知ったら、どんなことも乗り切れる。そんな気がした。
「それに、私にはお父さんもいるんだものね」
「ええ。ええ。ジョージはいつも天国から私達のことを見守っているわ」
「そうよね……」
 カレンは目元に涙の珠を浮かべながら、父ジョージのことを思い出していた。
 父の大きな背中。
 父ジョージは、リチャードだけでなく、ギルバート・マクベインにもちょっと似ているかもしれない。男臭い背中。小さい頃はよく負ぶってもらい、そしてそのまま眠ってしまったことが多々あった。
(まぁ、ギルバートさんより私のお父さんの方がいい男だけどね)
 こう思ったのは、自分だけの秘密にしよう。カレンはそう思った。
「ねぇ、お母さん。まだ小さい頃読んだ本はあるかしら」
「あるわよ。まだ物置にしまってあるから」
 母は物持ちがいい。
「お土産にそれ欲しい」
「じゃ、明日早起きして出しておくわね。後であなたの家に送っておくわよ。――おやすみなさい」
 カレンも横臥した母ジェーンの背中に「おやすみなさい」と小声で言った。
 翌日――カレンは元気に旅立って行った。

 ロサンゼルス空港――。
「ああー、疲れたー」
 カレンは体を伸ばす。飛行機はいつ乗ってもやはりちょっと苦手だ。でも、ファーストクラスに乗るほどお金があるわけでなし。
 ワープロも持ってきていた。飛行機ではもっぱら紙にアイディアを書いていたのだが。書いても書いても追い付かない。
 今ならば、何でも書けそうな気がする。
 母ジェーンの買ったワープロは、コンセントに繋がないと起動しない。
「カレン」
「リチャードさん、リョウ」
「へへっ。カレンがロサンゼルスの空港へ向かったと聞いてね」
 リョウが鼻の下を擦った。
「そういえば、発つ時電話で話したわね」
 でも、まさか出迎えてくれるとは思わなかった。でも、嬉しいサプライズであった。
「ニコラスもアリスも教会で待ってる」
「ギルバートさんは?」
「ああ……協議中」
「誰と?」
 と、言って、カレンは己の迂闊さに気付いた。協議する相手と言えば、病院のスタッフに決まっている。
「病院のスタッフと」
 リチャードは渋々言った。カレンの思った通りであった。
「それから――ちょっと騒がしいと思うけど……」
 リチャードがそう続けた瞬間であった。
 パシャッ! パシャパシャ!
 カレンの迂闊さ、その二。カレンは自分が話題の人であることを忘れていた。――というか、自覚がなかった。
 カメラの十字放射が彼らを包む。
「慣れてないなぁ、こういうの。私」
「私も慣れているとは言えないがね。ロザリーはスポットライトを浴びるのを快感に思っていた人だったが」
「スター向きね」
「ああ。フェリアも同じ匂いがする。だから、心配なんだ」
 フェリア・ライラ。アイドルだと言っていたあの娘。リチャードさんなら何か知っているだろうか。
「ねぇ、リチャードさん。フェリアって有名なの?」
「……一部ではな」
 リチャードが苦虫を噛み潰したような顔で言った。それで、カレンは悟った。フェリアはプレイボーイだのペントハウスだのに載っているような女の子だということを。
 でも、それの何がいけないんだろう。
 リチャードだって、ファンの目に見えないところではいろいろとわるいこともやってきたはずなのに。
 ロナルドは色物映画でゴールデンラズベリー賞を撮った。世間から見れば、ロナルドもフェリアも同じ人種であろう。
 そして、ロナルドはカレンの叔父なのだ。
「フェリアはいる?」
「次の便で来るそうだ。――ちょっとコーヒーでも飲みながらロビーで待つか。それにしても、元気そうだな。カレン」
「おかげ様で」
「リフレッシュはできたかい?」
「もちろん」
 カレンの心があったかくなる。リチャードが差し出してくれたコーヒーもあったかい。早速冷まして飲む。苦味と甘味が何の違和感もなく混じっているところがいい。ブラックも好きだが。
 家族。根っこのところで繋がっている家族。母も、叔父も、それから亡くなった父も。リチャード達にも家族に似たシンパシーを感じている。
 私達は地球という家に住んでいる家族だ。――そんな、どこかで聞いたような言葉がカレンの頭に浮かんだ。
 カレンはカメラを気にしなかった。自分の身に起こっていることとは到底思えないからだ。リョウは気まずそうにしている。カレンは戸惑いすら覚えない。
 この人達、私達のことを撮ってどこが面白いのかしら。私達は平凡な『家族』なのに――。カレンは缶コーヒーを飲み干すと、近くのゴミ箱に投げ入れた。

2015.3.11


かつてのスターに花束を 38
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