かつてのスターに花束を
35
 柊龍一郎宅――。
「リチャードさん、お電話よ」
 アイリーンの柔らかい声が言う。
「誰から?」
「カレンから」
「カレンが?」
 リチャードが訝しむ。何だというのだろう。
(確かに、今ロナルドのところではちょっとした騒ぎが起こっているようだが)
 リチャードも渦中に入っている。龍一郎とリョウが匿ってくれているが。
「もしもし、カレン」
 リチャードが受話器を取る。
「あ、リチャードさん。おはようございます」
「ああ、おはよう」
 リチャードは昨日、龍一郎のところに泊まらせてもらった。久しぶりの彼らとの話は楽しかった。つい夜まで話し込んでしまった。ギルバートとニコラスも一緒だった。
 リチャードは小さく欠伸をする。
「どうしたんだ?」
「あの……声が聴きたくて」
「その為だけにかけてきたのかい? 私はちっとも構わないが」
「あ、えっと……」
 カレンは逡巡しているようだった。
「知らなかったらごめんなさい。フェリア・ライラという女の子、知ってますか?」
「知ってるも何も、昔婚約した間柄だからね」
「ええっ?!」
「フェリアが子供の頃の話だよ」
 驚くカレンにリチャードは笑って答えた。
「まぁ……リチャードさんてやっぱり女たらしなんですね」
「おいおい。私を人でなしみたいに言うな。――当たらずと言えども遠からずだけどね」
 カレンが咳き込んだ。
「昨日、フェリアさんから電話があったの。私が脚本を書いた映画に出たいって。一応OKの返事を出しておいたけど」
「フェリアが?」
 リチャードが眉を顰めた。
「オーディションとかやってないけど……私のイメージするヒロインに性格がぴったりだったから二つ返事でOKしたわ」
「いや。オーディションは受けさせるべきだ。そのぐらいの力量は立派にある子だ」
「よく知っているんですね。さすが元婚約者」
「茶化すんじゃない」
 リチャードはカレンの皮肉にちょっと気分を害した。
「ところで、フェリアさんはそちらには来てない?」
「いや……」
「あの娘、ロサンゼルスに行くって言ってたけど」
「じゃあ、そのうち現れるかもしれないな。――ちゃんと準備をしないと」
「フェリアさん、アポイントメントは取ってないの?」
「うん。あの子も気紛れだからね。いきなり現れるかもしれない」
「そう――そういえばちょっと変わった娘だったわね。私、彼女とロサンゼルス国際空港で待ち合わせしているの。――そういえば、空港に来たら連絡するって言ってたわね」
「そうか。フェリアが世話になったな」
「ううん。まだ彼女には何もしてないもの。関係者と引き合わすだとか――そもそも私はフェリアさんに会ったことがないの。フェリアさんは自分がアイドルだと言っていたけど、私、フェリア・ライラなんて知らなかったわ。リチャードさんはフェリアさんとどこで知り合ったの?」
「どこだったかな。ニューヨークだったような気がする。フェリアと会った時、ロザリーが荒れてね……まぁ、そんなことはどうでもいいが」
「いいえ。話して。そういう裏話大好き」
「ゴシップ記事じゃないんだけどなぁ……」
 そう言いながらも、リチャードは映画界の裏話をぽろぽろとこぼした。カレンはを楽しそうに聞いていた。時々質問もしてくる。鋭いところを突いたいい質問だった。いつの間にかリチャードは話をさせられていた。
「まぁ、そんなことがあったの」
「誰も知らないだろうから墓まで持っていこうと思ったんだけどね。ケヴィンにも言われたよ。それはおまえ、誰にも秘密にしておけって。――カレン、君は秘密は守れる方かい?」
「微妙ね」
 二人とも笑いに笑った。
「あ、ごめんなさい。お母さん」
「どうしたんだね?」
「――ううん。こっちのこと」
「取り敢えずフェリアとは話さなければならないなぁ。オーディションにも出させる」
「でも……」
「オーディションは開け。もしかするとあの娘以上の適役が現れるかもしれん」
「そうかなぁ……」
「ロナルドにも伝えておけ」
「わかったわよ。命令調でぽんぽん言わないで」
 カレンはご機嫌ななめのようだ。
「じゃ、後で。私もロサンゼルスに行くから。『かつてのスターに花束を』を書き終わったら」
「ああ。アリスやリョウにも伝えておく。龍一郎にもな」
「龍一郎さん、今回はどんな説教してたの?」
「君もキリスト教に興味があるか。……マタイ伝第二十六章のゲッセマネの園の話をしていた。――その時イエスは人間としての自分と神の子としての自分の間で引き裂かれてたんだって」
「ふぅん。面白そうね。出席できなかったのが残念」
「おいおい。堅い話だぞ」
「だからよ……私、クリスチャンのように純粋でも立派でもないけど」
「安心していい。大多数のクリスチャンはそうだ」
「でも、優しい人がいっぱいいるから――」
「君も優しいよ」
「ありがとう」
 カレンが礼を言う。リチャードも満更ではなかった。
「では、もう切るよ」
「はい。それじゃあ」

 カレンは受話器を置いた。母がにこにこと笑いながら佇んでいた。
「あのね、お母さん」
「何かしら?」
「今度ロサンゼルスに行く予定なんだけど」
「まぁ……せっかく帰ってきたのにまた行ってしまうのねぇ……」
「仕方ないわよ。お母さん。仕事だもの」
「みんな行ってしまうのねぇ。いいわ。私には友達がいるから」
「拗ねないでよ」
「拗ねてなんかないけれどね……猫も飼う予定だし」
 猫に無聊を慰めてもらうのか――おばあさんと膝に乗っている猫。絵になるかもしれない。尤も、母はまだおばあさんと言っては気の毒な年齢かもしれない。自分では、
「私はもうおばあちゃんだから」
 と言っていたが。
 けれど、母ジェーンは綺麗で若い。それに明るい。友達の中でも輝いているに違いない。カレンは母の友達などあまり知らないが、そうであろうと想像している。
「私、原稿書いてくる」
 まだ途中なのだ。けれども、フェリアのおかげで頭の中の構想は固まりかけている。
 ちゃっかりとした明るい都会娘。それを演じてもらおうというのだ。ちゃっかりしている感じのフェリアにはぴったりだろう。
(けれども、一人だって言ってたわね――)
 あの物騒なニューヨークで一人でいられるなんて大した心臓だ。あそこも今ではすっかり物騒になっている。カレンは改めてフェリアのバイタリティーに感心していた。
 うん、やはりぴったりだ。
 精神的にはタフな娘だが、父親には際限なく頼っている。
 リチャード扮するダニエル(今のところ仮名)に会って、その男もまた、娘の父親代わりになるのだ――中途まで書いて、カレンは瞼の上から眼を揉んだ。ワープロは目が疲れる。
 でも、がんばんなくては。ここが正念場だ。

2015.1.12


かつてのスターに花束を 36
BACK/HOME