かつてのスターに花束を それはアメリカで最も下らないと評価された映画である。 ロナルドは得意になっていた。そんな映画でも賞を取れたということで。幼少だったカレンは呆れていた。 一番下らないことで優勝しちゃだめじゃない―― そう、心の中で呟いたことを覚えている。 その後、その映画を観たが、確かに下らなかった。スラップスティックだということだったが、スラップスティックの意味を知らないカレンは、ただただ意味がわからないという感想しか持てなかった。 史上最悪の映画。当時の新聞の評である。 この男にはメガホンを握る才能、いや、資格は全くない。そう言われたものである。 しかし、カレン・ボールドウィンにまだ批判がそれ程来ていないのは、カレンがまだ海のものとも山のものともつかぬ、無名の存在に近いということ。そして――その映画のことは昔過ぎて忘れられていたからである。 ――まぁ、それでも、週刊誌すずめはもうとっくに、カレン・ボールドウィンがあのロナルド・エイヴリーの姪であることは嗅ぎつけているのだが。 ロナルドは、その後、一、二作映画を撮って失敗し、それでも夢を諦められずに映画に携わる事業を興したのだった。ロナルド・エイヴリー映画製作所を建てあげたのである。 そして、監督も有能な若手を起用した。ロナルドは映画監督としてはさっぱりだったが、プロデューサーとしては一流だった。だからこそ、今の成功がある。 ロナルドは姉ジェーンの夫ジョージが死んだ後、ジェーンを迎え入れようとしてくれたのだが、彼女の方からきっぱり断ってきた。 ジェーンは騒がしいニューヨークより、夫との思い出の地、そして、優しい人々に囲まれた慎ましい暮らしの方を選んだのだった。 しかし、カレンはニューヨークに行きたがった。カレンの野心に満ちたところはある意味ロナルドに似ている。 ――ロナルドは二つ返事でOKを出した。 (ロナルド叔父さんには感謝だわ) カレンは思った。でなければ、映画にこれほど近しい仕事をすることはできなかったであろう。 ロナルドは半ば楽隠居状態にある。黙っていても金は入ってくる。ロナルドは電話で指示すればいいだけ。それに飽きたら現場に顔を出すこともある。 ――尤も、ロナルドは数少ない成功例であろう。株にも手を染めているらしい。映画の仕事より、そちらの方で稼いでいるのではないかとカレンが疑う程だ。 (リチャードさんとギルバートさん……Wキャスト……難しいわ……) そう思いながらも、カレンの指はキーボードを滑って行く。 汽車に乗って故郷へ帰る男。これがギルバート・マクベイン。 そして、故郷である男と出会うのである。それがリチャード・シンプソン。 リチャードの質素な生活に、ギルバートは驚くのである。けれど、すぐに慣れて、二人は刎頚の友と化すのである。 ――そこで、指が止まった。 もう一人、欲しい。 ギルバートを和ませ、リチャードが心を開くのを手伝う、誰かが。 それは自分がやってもいいとは思ったが、カレンは演技力はからきしである。 (――となると……ニコルか……) カレンはニコラスを愛称で呼んだ。心の中で。 けれど――どうもそぐわない感じがする。傷ついた大人とそれを慰める子供だったら絵にはなるが、カレンはもっと違う話が書きたかった。 例えば――カレンに似ているようでいてどこか違う女の子。ヒロインの役。 カレンがワープロの前でうんうん唸っていると――。 「カレン」 ジェーンの消え入るようなソプラノの声が聴こえた。娘の邪魔をしちゃいけないと、気を遣ってくれているのだろう。小声だった。 「なぁに? お母さん」 「サンドイッチ持ってきたけど、食べる?」 「嬉しい! ちょうどお腹が空いていたところなの!」 それを裏付けるように、カレンのお腹がぐ〜っと鳴った。 卵と胡瓜とマスタードのサンドイッチ。カレンの大好物だ。 「ありがとう、お母さん」 「どういたしまして。ケーキも焼きましょうか?」 「うん!」 母のケーキなんて何か月ぶりだろう――懐かしい味が舌に上ってくる感じがした。母はどんなケーキを作ってくれるだろう。ホイップクリームたっぷりの苺のケーキ。それともチョコレートのスポンジケーキ……。 (ああっ! 楽しみだわ!) リョウの父親達の教会でもいろんなものをご馳走になったが、慣れている味は格別である。思い出す度よだれが出てきそうになる。カレンはサンドイッチにぱくついた。 そして、またワープロに戻る。指が再び動き出した。しかし――。 今まで滑らかに動いていた指が、はたと止まった。 ワープロは便利だ。考えつくことそのままを――というには些かタイムラグがあるが――書くことができる。母の笑顔が見えるような気がした。 どうしようかな――。 カレンはうーんと伸びをした。アイディアが煮詰まっている。書けばいいだけなのに――どうしてもヒロイン役の子が掴めない。 明るくて、茶目っ気があって、それでいて優しい子。 大体の線は決まっているのだが、細かいところが及びつかない。想像力にも限界がある。そのうちに、頭の中のリチャードとギルバートが話し始めた。 (あん、待ってよぉ――) カレンはパニックになった。 こういう時は休もう。うん。そうしよう。カレンはワープロのスイッチを切った。 「――あら? もういいの?」 母が訊いてくる。 「うん。ちょっと骨休め」 「ご苦労様」 何もヒロインにこだわることはないんだ。最終的にはニコラスでも――と思った瞬間だった。 ――電話が鳴った。母が受話器を取った。 「――はい。はい。カレンなら今おりますけれど……」 誰だろう? 取材の人間かな? もしかしてもしかすると、ニューヨークタイムズとかだったりして――。 (まさかね) カレンは妄想を振りやった。母が困った顔をした。 「フェリア・ライラさんと言う方から電話よ」 ――フェリア・ライラ? 聞いたことがないが。カレンは受話器を受け取った。 「もしもし」 「あ、あなたがカレン・ボールドウィンさん?」 「はい。そうですけど」 「あたし、アイドル歌手のフェリアなんですけど」 「はぁ……」 だいぶ馴れ馴れしい人だな、とカレンは思った。 「あなた、リチャードさんの何?」 「――友達よ。そういうあなたこそ、リチャードさんを知っているの?」 そう言ってから、愚問だと気付いた。リチャード・シンプソンの名は全米に知れ渡っている。 「あたしが子供の頃からお世話になってるの」 えへん、と胸を反らす様子が伝わってくるような気がした。リチャードの知人か。しかし、どうしてここがわかったのだろう。リチャードにでも聞いたのだろうか。彼が今より若い頃から知っていたというのだから。いや、そんなことは些末なことだ。取り敢えず―― 「その……何の御用でしょう」 「今度の映画であたしを使ってくれない?」 何て厚かましい願いだろう。しかし―― (今度の映画のヒロイン、これで決まったわ) 「ええ。こちらからお願いしたいですわ」 カレンはにっこりと笑った。会心の笑みだった。だが、惜しむらくは、その笑顔を見たのが母ジェーン一人であること。 「嘘! ほんとに?!」 電話をかけてきたのはそっちなのに、今更驚くとはどういうつもりだろう。しかし、カレンは気にしなかった。 「だめもとで電話かけてみたの。よかった〜」 電話の向こうの声は、明らかにほっとしているようだった。 「だめもとで電話をかけるくらいなら、他にかけるところがあったんじゃないの?」 例えば、ロナルド・エイヴリー映画製作所とか――。 「ああ。あたしね。正攻法じゃ上手くいかないってわかってたから。映画製作所じゃなくてロナルドさんに直接連絡して、あなたの電話番号きいてきたの。あたし、アイドルっつっても、お色気がメインだしさぁ……そんな女が女優になりたいなんて、笑っちゃうでしょ?」 「カンザスの田舎町からニューヨークへやってきたおのぼりさんが、リチャード・シンプソンとギルバート・マクベイン、二人の大物俳優の出てくる映画の脚本を作るなんて話も、笑っちゃうでしょ?」 「――ほんとね。あたし達、似た者同士ね。仲良くなれそう。宜しくね」 「こちらこそ――私、今、脚本に詰まってたの。ヒロイン役のイメージが湧かなくて――でも、あなたが電話をかけてくれて良かったわ。場所は? どこにいるの?」 「あー、今ニューヨーク。でも、あたしは一人。必要とあらばどこへでも行けるわ!」 「私もこの仕事が終わったらニューヨークに帰るつもりよ。――ああ、でも、ロサンゼルスの友人にも会いたいわね」 「じゃあ、あたしもロスへ行く! ギルバートさんにも会ってみたいし。あ。その前にカレンさん、あなたにも是非お会いしたいわ。リチャードさんにも話通していないといけないし」 すっかりフェリアのペースである。カレンとフェリアは、いつになるかわからないが、取り敢えず今は、いずれロサンゼルス国際空港で待ち合わせる約束をした。着いたらまた連絡するから、と言って、フェリアは電話を切った。 2014.12.15 かつてのスターに花束を 35 BACK/HOME |