かつてのスターに花束を
34
 ゴールデンラズベリー賞――。
 それはアメリカで最も下らないと評価された映画である。
 ロナルドは得意になっていた。そんな映画でも賞を取れたということで。幼少だったカレンは呆れていた。
 一番下らないことで優勝しちゃだめじゃない――
 そう、心の中で呟いたことを覚えている。
 その後、その映画を観たが、確かに下らなかった。スラップスティックだということだったが、スラップスティックの意味を知らないカレンは、ただただ意味がわからないという感想しか持てなかった。
 史上最悪の映画。当時の新聞の評である。
 この男にはメガホンを握る才能、いや、資格は全くない。そう言われたものである。
 しかし、カレン・ボールドウィンにまだ批判がそれ程来ていないのは、カレンがまだ海のものとも山のものともつかぬ、無名の存在に近いということ。そして――その映画のことは昔過ぎて忘れられていたからである。
 ――まぁ、それでも、週刊誌すずめはもうとっくに、カレン・ボールドウィンがあのロナルド・エイヴリーの姪であることは嗅ぎつけているのだが。
 ロナルドは、その後、一、二作映画を撮って失敗し、それでも夢を諦められずに映画に携わる事業を興したのだった。ロナルド・エイヴリー映画製作所を建てあげたのである。
 そして、監督も有能な若手を起用した。ロナルドは映画監督としてはさっぱりだったが、プロデューサーとしては一流だった。だからこそ、今の成功がある。
 ロナルドは姉ジェーンの夫ジョージが死んだ後、ジェーンを迎え入れようとしてくれたのだが、彼女の方からきっぱり断ってきた。
 ジェーンは騒がしいニューヨークより、夫との思い出の地、そして、優しい人々に囲まれた慎ましい暮らしの方を選んだのだった。
 しかし、カレンはニューヨークに行きたがった。カレンの野心に満ちたところはある意味ロナルドに似ている。
 ――ロナルドは二つ返事でOKを出した。
(ロナルド叔父さんには感謝だわ)
 カレンは思った。でなければ、映画にこれほど近しい仕事をすることはできなかったであろう。
 ロナルドは半ば楽隠居状態にある。黙っていても金は入ってくる。ロナルドは電話で指示すればいいだけ。それに飽きたら現場に顔を出すこともある。
 ――尤も、ロナルドは数少ない成功例であろう。株にも手を染めているらしい。映画の仕事より、そちらの方で稼いでいるのではないかとカレンが疑う程だ。
(リチャードさんとギルバートさん……Wキャスト……難しいわ……)
 そう思いながらも、カレンの指はキーボードを滑って行く。
 汽車に乗って故郷へ帰る男。これがギルバート・マクベイン。
 そして、故郷である男と出会うのである。それがリチャード・シンプソン。
 リチャードの質素な生活に、ギルバートは驚くのである。けれど、すぐに慣れて、二人は刎頚の友と化すのである。
 ――そこで、指が止まった。
 もう一人、欲しい。
 ギルバートを和ませ、リチャードが心を開くのを手伝う、誰かが。
 それは自分がやってもいいとは思ったが、カレンは演技力はからきしである。
(――となると……ニコルか……)
 カレンはニコラスを愛称で呼んだ。心の中で。
 けれど――どうもそぐわない感じがする。傷ついた大人とそれを慰める子供だったら絵にはなるが、カレンはもっと違う話が書きたかった。
 例えば――カレンに似ているようでいてどこか違う女の子。ヒロインの役。
 カレンがワープロの前でうんうん唸っていると――。
「カレン」
 ジェーンの消え入るようなソプラノの声が聴こえた。娘の邪魔をしちゃいけないと、気を遣ってくれているのだろう。小声だった。
「なぁに? お母さん」
「サンドイッチ持ってきたけど、食べる?」
「嬉しい! ちょうどお腹が空いていたところなの!」
 それを裏付けるように、カレンのお腹がぐ〜っと鳴った。
 卵と胡瓜とマスタードのサンドイッチ。カレンの大好物だ。
「ありがとう、お母さん」
「どういたしまして。ケーキも焼きましょうか?」
「うん!」
 母のケーキなんて何か月ぶりだろう――懐かしい味が舌に上ってくる感じがした。母はどんなケーキを作ってくれるだろう。ホイップクリームたっぷりの苺のケーキ。それともチョコレートのスポンジケーキ……。
(ああっ! 楽しみだわ!)
 リョウの父親達の教会でもいろんなものをご馳走になったが、慣れている味は格別である。思い出す度よだれが出てきそうになる。カレンはサンドイッチにぱくついた。
 そして、またワープロに戻る。指が再び動き出した。しかし――。
 今まで滑らかに動いていた指が、はたと止まった。
 ワープロは便利だ。考えつくことそのままを――というには些かタイムラグがあるが――書くことができる。母の笑顔が見えるような気がした。
 どうしようかな――。
 カレンはうーんと伸びをした。アイディアが煮詰まっている。書けばいいだけなのに――どうしてもヒロイン役の子が掴めない。
 明るくて、茶目っ気があって、それでいて優しい子。
 大体の線は決まっているのだが、細かいところが及びつかない。想像力にも限界がある。そのうちに、頭の中のリチャードとギルバートが話し始めた。
(あん、待ってよぉ――)
 カレンはパニックになった。
 こういう時は休もう。うん。そうしよう。カレンはワープロのスイッチを切った。
「――あら? もういいの?」
 母が訊いてくる。
「うん。ちょっと骨休め」
「ご苦労様」
 何もヒロインにこだわることはないんだ。最終的にはニコラスでも――と思った瞬間だった。
 ――電話が鳴った。母が受話器を取った。
「――はい。はい。カレンなら今おりますけれど……」
 誰だろう? 取材の人間かな? もしかしてもしかすると、ニューヨークタイムズとかだったりして――。
(まさかね)
 カレンは妄想を振りやった。母が困った顔をした。
「フェリア・ライラさんと言う方から電話よ」
 ――フェリア・ライラ? 聞いたことがないが。カレンは受話器を受け取った。
「もしもし」
「あ、あなたがカレン・ボールドウィンさん?」
「はい。そうですけど」
「あたし、アイドル歌手のフェリアなんですけど」
「はぁ……」
 だいぶ馴れ馴れしい人だな、とカレンは思った。
「あなた、リチャードさんの何?」
「――友達よ。そういうあなたこそ、リチャードさんを知っているの?」
 そう言ってから、愚問だと気付いた。リチャード・シンプソンの名は全米に知れ渡っている。
「あたしが子供の頃からお世話になってるの」
 えへん、と胸を反らす様子が伝わってくるような気がした。リチャードの知人か。しかし、どうしてここがわかったのだろう。リチャードにでも聞いたのだろうか。彼が今より若い頃から知っていたというのだから。いや、そんなことは些末なことだ。取り敢えず――
「その……何の御用でしょう」
「今度の映画であたしを使ってくれない?」
 何て厚かましい願いだろう。しかし――
(今度の映画のヒロイン、これで決まったわ)
「ええ。こちらからお願いしたいですわ」
 カレンはにっこりと笑った。会心の笑みだった。だが、惜しむらくは、その笑顔を見たのが母ジェーン一人であること。
「嘘! ほんとに?!」
 電話をかけてきたのはそっちなのに、今更驚くとはどういうつもりだろう。しかし、カレンは気にしなかった。
「だめもとで電話かけてみたの。よかった〜」
 電話の向こうの声は、明らかにほっとしているようだった。
「だめもとで電話をかけるくらいなら、他にかけるところがあったんじゃないの?」
 例えば、ロナルド・エイヴリー映画製作所とか――。
「ああ。あたしね。正攻法じゃ上手くいかないってわかってたから。映画製作所じゃなくてロナルドさんに直接連絡して、あなたの電話番号きいてきたの。あたし、アイドルっつっても、お色気がメインだしさぁ……そんな女が女優になりたいなんて、笑っちゃうでしょ?」
「カンザスの田舎町からニューヨークへやってきたおのぼりさんが、リチャード・シンプソンとギルバート・マクベイン、二人の大物俳優の出てくる映画の脚本を作るなんて話も、笑っちゃうでしょ?」
「――ほんとね。あたし達、似た者同士ね。仲良くなれそう。宜しくね」
「こちらこそ――私、今、脚本に詰まってたの。ヒロイン役のイメージが湧かなくて――でも、あなたが電話をかけてくれて良かったわ。場所は? どこにいるの?」
「あー、今ニューヨーク。でも、あたしは一人。必要とあらばどこへでも行けるわ!」
「私もこの仕事が終わったらニューヨークに帰るつもりよ。――ああ、でも、ロサンゼルスの友人にも会いたいわね」
「じゃあ、あたしもロスへ行く! ギルバートさんにも会ってみたいし。あ。その前にカレンさん、あなたにも是非お会いしたいわ。リチャードさんにも話通していないといけないし」
 すっかりフェリアのペースである。カレンとフェリアは、いつになるかわからないが、取り敢えず今は、いずれロサンゼルス国際空港で待ち合わせる約束をした。着いたらまた連絡するから、と言って、フェリアは電話を切った。

2014.12.15


かつてのスターに花束を 35
BACK/HOME