かつてのスターに花束を
32
 カレンの受話器を持つ手が震えた。ギルバートさんが入院? ガンなのは知ってるけど……すぐには結び付かない。タフな西部劇上がりの男と病院なんて。
「何よ。煮え切らないわね。リチャードさん」
「だから、決まったわけじゃないんんだよ」
「一体どうしてそうなったの?」
「龍一郎がうっかり口を滑らしたようなんだ。私の息子に。で、今、息子から電話がかかってきて『ギルバートをホスピス病棟に入れなさい』とこう言うんだ」
「それで、ギルバートさんの答えは?」
「まだ決まっていない」
 カレンは唸った。
 ギルバートの体のことを考えれば、確かに病棟に入れた方がいいだろう。でも――。
 彼はみっともない終末の姿を晒そうとは思わないに違いない。それだったら、戦って死ぬ方が潔いと考える男だ。
 はた迷惑な男だけど。困ったところもある男だけど。
 それでも、カレンは前より彼のことを嫌いではなくなってきつつある。
 最終的には病棟に入るとしても――。
「え、映画はどうするのよ」
「息子の病院の方では用意が整っているらしい。だが――」
 そこでリチャードは間を置いた。
「私はカレン・ボールドウィンの脚本で、俳優ギルバート・マクベインの映画が観たい」
 ああ、この間だ。
 カレンは思った。この間の取り方が上手だから、リチャードは俳優になれたのだ。一世を風靡した黄金コンビの間の取り方だ。
「病院に入院したら、映画出演は無理な訳ね」
「――と、息子は考えているらしい」
「随分、頭が固いのね。あなたの息子さん」
 リチャードさんと違って。
「まぁな。あいつは昔からそうだったよ。正論の申し子みたいで、父親の私もたじたじだった」
「ふぅん……」
「取り敢えず、これから記者会見を開くそうだから、そこでギルバートの真意もわかるだろう」
「記者会見て、ギルバートさんが」
「うむ。ロサンゼルスのサボイホテルで」
「ロサンゼルス? ニューヨークじゃなくて?」
「実は訳あって私達もロサンゼルスに来てるんだ」
「リチャードさんやアリスやリョウだけでなく?」
「ああ。ギルとニコルもいる。柊のところにちょっと厄介になるつもりだ」
 カレンは光に溢れた柊達の教会を思い出していた。そして、日の差さない母ジェーンの部屋と比べた。
(ニコラスは……あそこでなら大丈夫だ)
 ニコラス少年がおもちゃで遊んだり本を読んだりしている様が目に浮かぶ。
「アリスは一旦帰ったよ。どうやら近くに家があるらしい」
「そう……」
 アリスも好きだ。無邪気なアリス。リョウのことを真剣に愛しているアリス。子供が好きな彼女。いずれいいお母さんになるだろう。
(私は――脚本家になれるかしら)
 自分の将来のことを考えて、ふと不安になる。だが、その時はその時のこと。今は目の前のことの方が先決だ。
「私……ギルバートさんには是非出て欲しいの。今、構想も固まりかけているの」
「だろうと思ったよ。君は根っからの創作者だ。リョウと同じように」
「ありがとう」
「これは私のカンだが――ギルバートは入院する気なんかないと思う」
「ええ。私もそう思うわ」
「テレビつけててくれ。午後六時頃になると思う。……私達のいるところと君のいるところの間に時差はあったかな?」
「取り敢えず、テレビつけておくわね」
 カレンは電話を切った。
 彼女は溜息を吐いた。母が訊いた。
「何だって?」
「ギルバートさんが……入院させられそうなの」
「ギルバート?」
「ギルバート・マクベイン。ほら、お母さんが好きだと言っていた俳優」
「ああ。彼ね。懐かしいわぁ。独身の頃、当時は恋人だったジョージとよく彼の出る映画を観ていたの」
 ジョージは父の名前だ。
「――お母さん。ギルバートが好きなの? それともお父さんが好きなの?」
「あら、お父さんに決まっているじゃない」
 こういう時、母は恋する乙女に戻る。その様が可愛らしくて、カレンも母のような恋愛がしたいと思う。
 ギルバートは――。
 カレンはふるふると首を振った。
「どうしたの? カレン」
「ん。何でもない」
 ギルバートさん、死なないで。死んでは嫌。
(どうしたのかしら、私……あんな男、死んでしまえばいいとまで思っていたのに……)
 何故だろう。今までの、運命と戦うように生きてきたギルバートがとても健気に思える。
「テレビつけるわね」
 カレンは母と談笑しながら、時々テレビの方をちらっ、ちらっと見ていた。
「カレン……ギルバートさんはきっと元気になるわ。だからあなたも元気を出して」
「うん……」
 けれど、ギルバートはガンなのだ。しかも、よくわからないがもう手遅れらしい……。カレンの母ジェーンが喋った。
「私、リチャード・シンプソンも好きだわ」
「お母さん。私、リチャードさんにはニューヨークでお世話になったわ」
「ええ。ロナルドから聞いてるもの。あの子の道楽も役に立ったわね」
「道楽じゃないわ。映画を作るのは立派な仕事よ。今、古き良き時代の映画が持っていた何かが失われつつあるんだから……」
 その時、ギルバート・マクベインの顔がブラウン管に大写しになった。カメラのフラッシュの十字放射が彼を照らす。
「皆さん、本日はありがとうございます」
 ギルバートは自分がガンであることを公表し、それと戦うつもりであることを堂々と述べた。
「ああ。男らしいわね」
 カレンは母に注意した。
「黙って」
「私は……できることなら後一本、映画に出たい。カレン・ボールドウィンという脚本家の卵がいる。カレンの書く本の映画になら、出たい」
 リチャードも、カレン・ボールドウィンの脚本の映画を観たいと言っていた。そして、ギルバート・マクベインの出演する作品を。
(私、そんなに実力買われてるの? 大丈夫かしら。ハリウッドの大御所二人に)
 けれど、書けないなんて思ったことは一度もなかった。ギルバートに連れ回されていた時でさえ、映画のことを忘れたことはなかった。
 頭の中を映画が過る。私は台詞を書き抜くだけ。監督になろうとしたこともあったが、文章の方が自分には向いていた。監督とはどんなことをするのかわからない幼少の頃から脚本の才能に目覚めていたのだから。
 だがそれらは、頭の中で起こったことの劣化のコピーでしかない。けれど、『かつてのスターに花束を』を書いた時は違った。あの時、本当に脚本を書くことの醍醐味を久々に味わったような気がする。ああ、でも、あのホンにも手を入れなきゃ。
 それから、あのシーンは使えそうだ。ギルバートを憎んでいた時に書いていた文章は。あの頃は内側から猛烈に書きたい意欲が湧いてきていたから。憎しみもエネルギーと成り得るのだ。
 考えることは山程ある。
「私は、映画ができるまで入院はしません。その話は出ていますが」と、ギルバート。
 そう言われたら……退くに退けないじゃない。
 わかったわ。カレン・ボールドウィン一世一代の脚本を書いてあげる。
「それから……一度リチャード・シンプソンと共演したいですな」
 そうよね。ギルバートとリチャード。二人はお互いを理解し合っている。何となく、そんな気がする。だって、二人は似てるもの。
 カレンはその場を立ち去った。母は娘の様子がいつもと違うのに気付いたらしい。
「カレン?」
 カレンは部屋にこもってワープロを打っていた。自分の作品が劣化のコピーなのが歯痒い。どうしたの、カレン。あなたの実力はこの程度?
 しかし、ワープロはタイプライターのようにキーが重たくなくていい。
(ワープロって、こんなに便利なものだったのね!)
 それでも苦心してキーを打って、三時間かかってカレンは一つの作品を創り上げた。
 そして、クロエに電話をかけた。

2014.8.16


かつてのスターに花束を 33
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