かつてのスターに花束を
31
 リョウは、ニューヨークで起こったことを面白おかしく両親に話した。アリスが明るく朗らかに笑う。ニコラスは神妙な顔でハーブティーを啜っている。ギルバートは一口飲んで、
「酒の方がよかったなぁ」
 などとぬかしている。リョウは、
「ここには酒なんてないよ」
 と、切り返した。
 リチャード達はサンルームでティーとお菓子を楽しんでいた。
 美味しいお茶とお菓子。これさえあれば何もいらないと、イギリス系のリチャードは思っていた。
 アイリーンは給仕役に回っている。
「葡萄酒ならありますけど?」
 と、綺麗なソプラノの声でギルバートに声をかける。
「ねぇ、おふくろ。ギルバートさんを甘やかしちゃだめだよ。病気なんだから」
「なぁ、リョウ。老い先短い俺に向かってそいつはずいぶん無体というもんではないか。おまえさんだってそのうち年を取って死んでくんだぜ。好きなことはやっておかなきゃ」
「ギルバートさんは好き勝手し過ぎ!」
「まぁな。――否定はせん」
「おやおや。すっかり仲良くなったな。リョウとギルバートは」
 リチャードは嬉しそうに目を眇める。
「あまり仲良くなりたくもなかったんだけどな。まぁ、成り行きでな」
「ギルバートさんは恋敵だもん」
 ギルバートとリョウが殆ど同時に話す。
「ギルバートさんとリョウは、カレンちゃんを取り合っていたんだよね」
 龍一郎が今聞いた話を繰り返す。
「うん、まぁそんな感じ」
 リョウが頷く。
「リョウってば、あたしと言うものがありながら」
「まぁまぁ。アリスさん」
 文句を言いたそうなアリスをニコラスが宥める。全く。これではどっちが年上かわかりゃしない。
「それにしても、ニコラスくんは飛行機に乗ってはるばるここまでやってきて偉かったですね」
 リョウの台詞にニコラスの頬に赤味が差した。
「そんな……リチャードさんとギルバートさんのおかげですよ」
「神様。ニコラスくんを無事この地まで送り届けてくださってありがとうございます」
 龍一郎は手をキリスト教式に手を組み合わせて神様に感謝した。
(龍一郎はいいヤツなんだが、いつまで経ってもこういうところは慣れんな……まぁ、私が特別罪深いからかもしれないが)
 リチャードは、きっと自分は天国へは行けないだろうと覚悟している。
 アヤコ・ミウラの著作も、何故日本人がそこまで信仰の道を歩めるのかと感心もするけれど、いまひとつぴんと来ない。龍一郎がその女流作家の作品が好きで、リチャードも借りて読んだことがあるけれども。
「アイリーンも座ってお茶でも飲んだらどうだい?」
 リチャードが勧める。
「わかったわ。お代わりが欲しかったら言ってね」
「このマフィン、すごく美味しいです!」
 ニコラスがもふもふと黄金色のマフィンを頬張っている。
「しかしなぁ……作り過ぎではないかね、アイリーン」
「お客様が来ると言うので張りきったのよ」
 アイリーンは、リチャードとギルバートとニコラスもこの教会に向かうと、リチャード本人から聞いていたのだ。空港から電話をかけて連絡していたのだ。
(エラにも伝えとかなければなぁ)
 今まで陰になり日向になり支えてくれたエレインの顔を思い浮かべながら、リチャードは思った。龍一郎がのんびりと言った。
「アイリーンはね、西部劇が好きなんですよ。勿論、ギルバート・マクベインさんの大ファンで」
「あなた、それは秘密にしてくれるって言ったじゃない」
「何で? 悪いことじゃないじゃないか」
「でも……恥ずかしいわ」
 席に着いていたアイリーンは、「きゃっ」と言いながら口元を掌で押さえた。
「可愛い……ね、リョウ。アイリーンさんて可愛いわね」
「うん、まぁね」
 リョウは堂々と答える。二十歳も手に届こうという男がそれでどうなんだとリチャードは思った。けれど、そんなことはまぁいい。
「龍一郎、悪いが電話貸してくれないか」
「どうぞどうぞ」
 プルルルル。
 そんな時、ちょうど電話が鳴った。
「あ、僕が出る」
 サンルームには電話も取り付けられているのだ。龍一郎が立ち上がった。
「はい。もしもし聖ファウンテン・チャーチの柊です。――え? ちょっと待って。今変わる」
 龍一郎は顔色を変えていた。何がなし、慌てているようだ。
「リチャードさん、リチャードさん」
「――何だい?」
 リチャードもただ事ならぬ気配を察した。龍一郎は言葉を継いだ。
「あなたの息子さんから電話ですよ」

 カンザスのボールドウィン家。
 カレンはその玄関の前に立っていた。ここに、母は一人で暮らしているのだ。もっと頻繁に連絡を取り合ってもよかったかもしれない。
 けれど、カレンは独り立ちしたかったのだ。母親から。たとえ叔父のところで世話になっていたとしても。
 それに、この間までギルバートに引きずり回されてそれどころではなかったというのもある。
(まずは深呼吸――)
 カレンは息を大きく吸って、吐いた。多少リラックスしたような気がする。
 母のジェーンとはしばらく会っていなかったのだ。母親とはいえ、緊張する。父はもういない。
 それにしても、なんて粗末なアパートに住んでいるのだろう。いつ見てもそう思う。
 夫の遺産も、農場と家も売り払い、ロナルド・エイヴリーの姉ジェーンはここに住んでいる。
 なんとも質素な暮らしだ。娘カレンの為にジェーンはできうる限りのものを残そうとしている。
 私だって自分で稼げるのにな――。
 カレンはジェーンの過保護なところが気に入らない。
 でも、せっかく帰ってきたんだ。やはり親孝行の真似事ぐらいはしてやりたい。自分はまたニューヨークに帰って行くのだから。あそこでは多くの出会いがあった。これからだってあるだろう。
 カンザスの片田舎に納まるつもりはカレンにはなかった。
 インターホンを鳴らす。母はなかなか出てこない。
「あら嫌だ。ここのベル故障しているのかしら」
 だんだんだんと乱暴にカレンが戸を叩く。
「どなた?」
 白髪混じりの黒髪を肩のあたりに垂らしている女性が出てきた。ジェーン・ボールドウィンだ。
 カレンは母親似だ、とよく言われた。けれども、よく見ると父ジョージの面影もある、とも言われていた。
「カレン!」
 ジェーンはカレンに抱き着いた。
「ただいま……ママ」
「お帰り……私の……娘……」
 ジェーンはカレンを中へ通した。
「プラムジュース飲む? 隣のヘレナおばさんからもらったの。好きでしょ? カレン」
「ん」
 カレンは素直に頷いた。
 母が冷蔵庫でよく冷やしたプラムジュースをコップに注ぐ。部屋の中は思ったより綺麗だった。母は家具や道具を大事に使う人なのだ。おまけに掃除が大好きと来ている。掃除が苦手なカレンとは大違いだ。
 母が訊いた。
「どう?」
「……美味しい」
「ヘレナおばさんにも伝えておくわね」
「……うん」
「どのぐらいここにいるつもりなの?」
「決めてない。でも、近いうちにまたロナルド叔父さん家に帰る予定よ」
「あなたがここを出てからすっかり寂しくなってねぇ……また働きに出ようか、それとも何かペットを飼おうか、と考えていたところなのよ」
「ここはペット飼うの許可されているの?」
「ほんとはいけないんだけど、そんなもん有名無実よ。みんな何かしら飼っているわ。私は猫がいいわねぇ」
「猫」
 カレンが繰り返した。
 父ジョージも母ジェーンも猫気違いだった。カレンも猫が好きだ。代々猫好きの血が流れているのかもしれない。たとえひっかかれても、カレンは猫相手なら平気だった。犬に噛まれた時は大騒ぎしたのに。
(遺伝子レベルで猫好きの情報が組み込まれているのかしら、私……)
「今もね、可愛らしい白猫が時々やってくるんでエサやってるんだけど」
「へぇ、その猫見たいわ」
「写真があるわよ。ほら」
 母は綺麗な毛並みの白猫の写真を何葉か取り出す。
「うわぁ、可愛い」
 カレンが相好を崩した。ジェーンが得意げに胸をはった。
「スカーレットが撮ってくれたのをもらったのよ。よく写ってるでしょう」
「近所の人?」
「そ。カメラで写真を撮るのが趣味なのよ、彼女」
「ふぅん……」
 思わず頬が緩むのがわかった。
 母もちゃんと近所付き合いしていたのだ。今まで少し心配だったけど――。
 母は昔より明るくなったような気がする。
「お母さん……変わったわね」
「そう? それは、あなたに出て行かれた時はなかなかショックで立ち直れなかったわ。でも、ここに住んでいる人達がそんな私を慰めてくれたの。人って人間関係の中で傷つきもするけど、癒されもするのね」
 母は夫を亡くしただけでなく、自分にも出て行かれて傷ついたのか。
「私のせい?」
「まさか」
 母は笑った。
「短い人生、やりたいことを思い切りやりましょうね。お互いに」
「うん」
「実はプレゼントがあるんだけど」
「なぁに?」
「あなたが帰ってきたら見せようと思ってたの。この間買ったばかりよ」
 母は隣室に行って来い来いと手招きする。何だろうと思ってカレンがついていく。それは――。
 一機のワープロだった。
「カレン、お話書いてたでしょ? いつか必要になるかなと思って」
「…………」
 カレンは戸惑っていた。万年筆の方が良かったと思った。何しろタイプライターでさえ滅多に使わないのだから。
「お母さん。悪いけど……」
「いいから持っていきなさい。便利なんだから本当に」
「…………」
 カレンは結局母に押し切られた形になった。荷物になるな、とカレンは思った。けれども、今、世にはワープロが普及しようとしていた。1989年の話である。
「……ありがとう」
 これを機にワープロに慣れておくのも手かな、とカレンは考えたのだ。腱鞘炎だって恐ろしいし。
 ――じりりり、と旧式の電話が鳴った。
「誰かしら」
 母が電話に出る。
「まぁ、リチャード・シンプソンさん? ええ。娘ならいますけど。――え? はい。カレン。電話よ」
 リチャードの名が出た時から、自分宛ての電話だとカレンは気が付いていた。母が受話器を渡す。母の家の連絡先は出発前にリチャード達に知らせておいた。
「ああ、カレンか。実はギルバートに入院の話が来ている」
「え――? ギルバートさんが……入院?!」
「まだはっきりとは決まってはいないんだが……」
 リチャードは電話越しに歯切れの悪い台詞を吐いた。

2014.6.6


かつてのスターに花束を 32
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