かつてのスターに花束を
3
 リチャード・シンプソンはバア『十月亭』のスイングドアを開けた。
「あら、いらっしゃい」
 この店の女主人、エレイン・リトルトンは、艶然と微笑んでリチャードを迎えた。紫のドレスがよく似合っている。
 エレイン・リトルトン――往年のスター女優、ロザリー・リトルトンの娘である。尤も、エレインの方から親子の縁は切ったのだが。
 しかし、何故母親の苗字を名乗っているのか、誰にもわからない。彼女が子供の頃からの付き合いであるリチャードさえも。
 母親とも細いパイプで繋がっていたいと考えているからだろうか。彼女にそう訊いたら、
「響きが気に入ってるだけよ」
 と、謎めいた笑みを返すかも知れない。
 或いは、リトルトンの名前を絶やさないことが、映画界への貢献だと考えているのだろうという者もいたが、リチャードは、「それはない」と考えている。
 もっと直接、売名行為だと言う人もいる。
 だが、彼女は、映画やテレビに出演することを拒んでいる。未だにたくさんのオファーが来ているにも関わらずだ。
 そんなリチャードと、美貌と色気を兼ね備えた、ロザリーの若い頃にそっくりな外見をした彼女は、どういうわけかうまが合った。
 一日一回、『十月亭』に行くことが、リチャードの日課となっている。
(そういえば、あの娘にはこの店のことを言うのをわすれていたな)
 今度来た時は、ここに連れて来ようと思う。
(カレン・ボールドウィンと言ったな――)
 変わった娘だ。私のことを脚本にしてくれようと言った。
 けれど、今のリチャードには、何ら華美なものはない。せいぜい、家でのんびりしているか、クラシックを聴いているか、趣味である料理をしているか、この店にいるか――。
(要するにぐうたらってわけだ)
 しかし、リチャードは今の生活が自分に相応なものだと考えている。昔の方が異常だったのだ。
 虚名の飛び交う世界。華々しいパーティー。赤い絨毯。
 人より整った顔立ちで、映画にデビューしたわけだが、あんなに自分にそぐわないところもなかった。
 元は詐欺師をしていた自分である。巻き上げた金額はささやかなものだったし、不良の高校生が行うカツアゲとそう変わらない。だからと言って、昔行った自分の罪が許されるわけでもないが。
 あの頃はやさぐれていた、と自分でも思う。信じていた友達に裏切られたのだ。
 しかし、そこで、柊龍一郎と会ったのである。当時は牧師を目指す若い青年だった。
 今は、リチャードの従妹、アイリーンと結婚して幸せに暮らしている。念願の牧師にもなった。
 息子が一人いる。アーサー・リョウ・柊と言う名だ。
 絵描きを目指しているらしい。リチャードの目から見ても、なかなかのものだった。
 手紙が来ていて、休暇を利用してこちらに遊びに来るらしい。
「近いうちリョウがこっちに来るそうだよ」
 リチャードはエレインに話した。
「そう。賑やかになるわね」
「酒は飲ますなよ」
「わかってるわ」
 ウィスキーを水割りにして、エレインはグラスをリチャードに差し出した。
 いつもの雰囲気。いつもの時間。
 このムードが好きで、毎日『十月亭』に通っているようなものだ。
 ちなみに、エレインとは恋仲ではない。リチャードももう六十代だ。できないわけではないが、エレインに対しては、そんな気にならないのだ。
 ――それに、彼はロザリーをふっている。ロザリーは、彼に気が合ったようだが。
 彼はロザリーのことを思い出していた。若さと美しさに溢れた、魅力的な女性。それがお酒の飲み過ぎでだんだんしおれていくのは、何と言っても耐え難かった。
 ロザリーが死んだことも知っている。彼女は、良くも悪くも、ハリウッド的な女性だった。
 しかし、それをエレインの前では言うまい。彼はウィスキーをあおった。彼だって、人のことは言えやしない。
 ロザリーの為に、また、彼女に惚れていた友人の為に、彼は一度口をつけたグラスを掲げた。そして、また一口飲む。
「あら、お客さんだわ」
 一見の客だった。リチャードには、常連客はすぐわかる。自分も常連だからだ。
 くたびれたコートを着た客の男がスコッチを注文する。エレインが笑顔で応える。
「おや」
 男が、リチャードの姿を認めて寄って来た。
「あんた、どっかで見たような顔だな」
 男は記憶を手繰っているらしい。やがて、「ああ」と得心したようだ。
「あんた――『黄金コンビ』のリチャード・シンプソンじゃないか」
「見知っていただけているとは、光栄です」
「何だよ。あんたこんなしけたところで飲んでいるのか?」
 リチャードはそっとエレインに目を向けたが、彼女は素知らぬ顔でグラスを拭いていた。
「ここは私の城なんです」
「そうかそうか。俺はギルバート・マクベインだ」
「ギルバート・マクベイン?!」
 リチャードは目を見開いた。
 どうして気がつかなかったんだろう。彼は昔、西部劇の俳優だった人だ。今も現役で、西部劇ではないが、映画によく出ている。
 今は、恰幅が良く、頼りになるさばけた爺さん役をよくやっている。現実でもその通りの性格らしい。
 映画の中では、義侠心に厚く、裏がなく、本当に男らしい性格の男だ。
 実は――リチャードはこの俳優が大好きだったのだ。西部劇もよく見ていた。彼は、この男みたいになりたかった。理想は実現させないと意味のないもの、絵に描いた餅だが。
「これは――会えて本当に光栄です」
 リチャードの涙腺が緩んだ。
「おいおい、泣くなよ。今ではしがない脇役俳優さ」
「それでも――私はあなたに憧れてました」
「よせよ――『黄金コンビ』の片割れにそう言われちゃ、世話ねぇぜ」
 ギルバートは、生のスコッチを嚥下した。
 リチャードは少年のようにその様を眺めている。
「ははっ。そんなに見るなよ。照れるじゃねぇか」
「あなたには、お会いすることがあまりなかったので」
「そうだな――ちゃらちゃらした――というわけではないが、顔だけの俳優だと思って、昔は馬鹿にしてたな」
「ええ」
「何だよ。認めるのかよ」
「私はあの世界の人間ではありません」
「謙遜するなよ。んとに。でも、最近ビデオで観たら、なかなかいい味出してたじゃねぇか。ロザリーも綺麗だったしな」
「ロザリー……」
 リチャードは手にしていたグラスに目を落とした。
「あ、そうか。あの女死んだんだってな。勿体ねぇ話だぜ。あんな美人に生まれてさ。演技も上手かったし」
 といってもおまえさんが下手だってわけじゃないぜ――フォローのつもりかそう言って、またグラスを傾けた。
「お代わり」
「はいはい。まるで酒を水のように飲む方ね」
「その通り。酒があるから、生きてるようなもんさ」
 ギルバートはぐっとあおって、口元を拭いた。
「なぁ、あんた――エレイン・リトルトンだな」
「私のこと、知ってるのね」
「女優にならないか。あんただったらモテるぜ。アカデミー賞ももらえるかもな」
 ギルバートがウィンクした。
「またまた、冗談言って」
「いやいや。本気さ。お袋さん、確かアル中だったんだろ?」
 ロザリーのことである。
「それなのに、どうして酒場やってるかねぇ」
「好きだったのよ――この店が」
「どうして?」
「リチャードさんに子供の頃、よく連れてもらっていたから」
 ギルバートは驚いた顔でリチャードの方を振り向いた。リチャードは淡々と酒を飲む。
「ガキをここに遊びに来させるた、大人しい顔してずいぶんやるじゃねぇか」
「もちろん、飲み物はノンアルコールでしたよ」
「そりゃ良かった。ガキを酒浸りにさせてたなら、俺がぶん殴ってたよ。こう見えても正義の味方なんでね――ロザリーは大人だから、自己責任に任せるしかなかったが。尤も、会う機会も滅多になかったしな。だから、こうやって別嬪の娘に会えて嬉しいぜ」
 ギルバートは呵々大笑した。現実にも好感の持てそうな男だった。リチャードは自分の人を見る目もまだまだ捨てたものじゃないと、安堵の息を洩らした。

かつてのスターに花束を 4
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