かつてのスターに花束を
28
 ケヴィンは再びイーゼルに布を掛け直した。そして人差し指を唇に当てた。
「これを見たことはリョウには内緒だぞ」
 もちろん、リチャードに否やはなかった。
 アイリーンは今どうしているだろう。リョウの話では元気にしていたと聞くが。
(私も行きたくなったな。ロサンゼルスに)
 龍一郎の教会にも行きたい。ただし、聖会に参加するのではなく、要は龍一郎とカレンに会いたいのだ。
 それから、息子のリチャードにも――。ただし、リチャードは息子には嫌われている。せっかく同じ名前をつけたのに。
 リチャード・シンプソン・Jrの母は優しくて大人しかった。息子のリチャードも優しいが、どこか慇懃無礼だ。親にも本当の顔を見せない。
 それでも、自分に似ずいい子だと思っていたのだ。今でもいい子だが、自分には本気でぶつかってこないような気がする。それが親として寂しい。
「なぁ、リチャード。アンタもロサンゼルスに行きたくなったんじゃねぇの?」
 心を読まれているのか。しかし、彼は長い付き合いの親友なのだ。リチャードのことをリチャード自身以上にわかっていても不思議ではない。
「ああ、そうだな――」
「行けばいいだろうに」
「そのうちそうする」
「そんなこと言っているうちにくたばっちまうぜ。ブランデーもらう」
 ケヴィンは琥珀色の液体をグラスに注ぐ。
「おまえこそ、もう若くないんだ。無茶するな」
「だいじょうぶ……ですよぉ……」
 ケヴィンが酔い潰れてしまった。こんなこと、珍しかったのに。
「確かに、もう年だな」
 眠ってしまったケヴィンにリチャードは上着をかけてやった。
(私ももう寝るか――)
 リチャードは自室へと引っ込んでいった。

 三日後、空港にてカレン達は飛行機を待っていた。
 アリスはリョウとロサンゼルスへ。カレンはカンザスへ。それぞれ帰る。リチャード、ギルバート、ニコラスは見送りに来ていた。
「本当はケヴィンも行きたかったらしいんだけど、急な用ができたって。君達に宜しく言っておくよう頼まれた」
 リチャードがリョウ達に告げた。
「本当? 残念だなぁ」
「リョウ。あたしがいるから寂しくないでしょ?」
「そりゃそうだけど……おまえはうるさいんだよ。お袋かってんだ」
「うふ。リョウみたいな子のお母さんにならなってあげてもいいわ」
 リョウは何も言わずにはにかんだ。どうやら満更でもないらしい。
 このまま親離れをしてくれればいいが――とリチャードは微笑ましく思った。
「あ……あの……ギルバートさん」
 カレンがギルバートに声をかけた。
「なんだい? カレン。未来の大脚本家」
 彼は人が聞いたら『これがギルバート・マクベインか』と驚くぐらいの甘い声で尋ねた。
「大脚本家はやめてください――そのぉ、上手く書けるかどうかわかんないけど……がんばってみます」
「そう気張らなくったっていいさ。がんばれ、カレン」
 ギルバートはリチャードの想いを代弁してくれた。カレンの肩にそっと手をかける。カレンは嫌がらなかった。
 リチャードはほっとしたような、娘を他の男に取られたような、妙な感覚を覚えた。
 これでも、リチャードはカレンの親代わりのような気持ちでいたのだ。
 カレンの飛行機はリョウとアリスの搭乗する機より早く出発する。カレンは大きく手を振ってリチャード達と別れた。
「カレンお姉ちゃん……よくあんな危険な乗り物に乗る気になるね……」
 ニコラスが呟く。
「ニコラスは、飛行機が嫌いなのかい?」
 リチャードの質問にニコラスは何度も何度も頷いた。
「ぼく、飛行機嫌い! 空港なんかなくなっちゃえばいいんだ!」
(なるほど。飛行機恐怖症――か)
 リチャードはニコラスが両親を飛行機事故で亡くしたことを思い出していた。
「どうすればいいのかねぇ。今の時代、飛行機に乗れなくては不便で仕方がないよ」
 ギルバートは慨嘆した。
 それどころではない。このままではニコラスの将来にも関わってくる。リチャードは決して事態を甘く見てはいなかった。かくなる上は。
「ギル、ちょっとニコルをお願いできないか?」
 リチャードが彼らを愛称で呼んだのは初めてだったので二人ともちょっと驚いたかに見えた。
「いいけど――どこへ行くんだ?」
「トイレ?」
 二人が順々に訊く。
「どうしたんだよ、リチャードさん。また何か考えついた?」
 リョウも訊いた。
「ちょっとな」
 そう言ってリチャードは駆け出した。そして――戻って来た彼の手にはチケットが三枚。
「ちょうど飛行機に乗るのをキャンセルした家族がいたんだ。三人家族だぞ。行き先は――ロサンゼルス」
 ニコラスの顔からさぁっと血の気が引いた。
「それ……ぼくも乗るの?」
「当たり前だ」
 こうなったらショック療法だ、とリチャードは考えたのだ。
「ぼく、ロサンゼルス行かない。ねぇ、ギルバートさん、行かないよね!」
 ニコラスは駄々をこねた。
「――俺は行ってみてもいいかな」
「だめだよ! みんな落ちて死んじゃう! 飛行機が落ちて死んじゃう!」
「大丈夫だ。誰も死なない」
 リチャードが腰を屈めてニコラスの視線に合わせる。
「絶対だ!」
「本当?」
「ああ――神様が守ってくださる」
 神など信じないリチャードだったが、この時ばかりは藁にもすがる思いだった。
「飛行機が落ちる時は俺も一緒だぜ。俺が助けてやるからな」
「スーパーマンみたいに?」
「あんな道化よりもっと頼もしいぞ。俺は」
「うーん……」
 ニコラスは首を傾げた。
「いや、まぁ、その……不甲斐ないところも見せちまったが、俺はタフガイで通ってる。心配いらんよ。力技は得意なんだ。いざとなったらおまえとリチャードのことぐらい守ってやる」
「私の面倒は私が見る」
 リチャードはにべもなく言い放つ。
「だからギルはニコルを守ってくれ」
「了解!」
 ギルバートは人差し指と中指を額に当てた。ニコラスも少し安心したようだった。
 それでも、やはり小刻みに震えていた。
(これはおまえの試練だ。がんばれ、ニコル――)
 リチャードはニコラスを自分の子供の頃の姿とだぶらせていた。アルバートを守れなかった自分。外に対して心を開かなかった自分。
 そんな男に、おまえはなるんじゃない。
 この急なロサンゼルス行きはニコラスの為じゃない。リチャード自身の為でもあるのだ。
 ロザリー。悪いが墓参りはまた今度だ。
「リチャードさんも来るの?」
 リョウの顔がぱっと輝いた。
「ああ。一時間後の便でな」
「嬉しい! リチャードさんがロスに来てくれるなんて! 友達に自慢しなきゃ!」
 アリスも嬉しそうである。ニコラスは固い笑みを浮かべていた。そして、ぎゅっとギルバートと手を繋ぐ。彼らの姿はまるで本当の親子であるかのようだった。

2013.9.28


かつてのスターに花束を 29
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