かつてのスターに花束を 「ええ。リョウも帰るでしょ?」 と、アリス。 「まぁね。俺、もう眠くなったから寝るわ」 「一緒に帰ろうね。約束よ」 アリスが慌てて言った。 「ああ、そうだな」 「カレン。君はどこの出身だ?」 リチャードが訊く。 「あれ? 言ってませんでした?」 「聞いたことはなかったな」 「私はカンザスの農家の生まれよ。父が死んだ時に家は売り払ったけど。今、母はアパートに住んでるわ」 「独りで?」 「うん」 「じゃあ、尚更帰ってあげなくちゃだめじゃないの!」 アリスがカレンを諭す。カレンが言った。 「でも――ニューヨークで一旗上げたかったし……」 「大丈夫だよ。アリスちゃん。ジェーン姉さんは強い女性だし、彼女も納得ずくでカレンを私に託したのだから。カレンに元気がないって話をしたら、さすがに心配そうだったけど」と、ロナルド。 「でも、少しの間帰ってあげたら?」 「俺もアリスに賛成だ」 ギルバートが口を挟んだ。 「いいの?」 カレンがおずおずとギルバートに質問する。 「ああ。今のアンタは、少し元気を取り戻したようだ。実家に帰って親孝行してやれ。別段喧嘩別れしてきたわけじゃないんだろ?」 「そうだけど……」 「いいなぁ。カレンお姉ちゃんも、アリスお姉ちゃんも帰る場所があって」 ニコラスが足をぶらぶらさせながら呟いた。 「でも、あなたにはギルバートがいるでしょ? ね?」 クロエがニコラスにわらいかけた。 「うん……」 ニコラスははにかんだような表情を見せた。 「ギルバートさんはぼくのお父さんだよ。ぼくの本当のお父さんもお母さんも死んじゃったから」 「飛行機事故で亡くなったんだ」 ギルバートが説明した。 「だから、ニコラスは未だに飛行機が苦手なんだ」 「――飛行機が安全な乗り物なんてうそだよ」 ニコラスの顔にさっと翳が走った。だが、次の瞬間には元の顔に戻っていた。 「ねぇ、ぼく、もう眠くなっちゃった」 「おやおや。夜更かししたいと言ったのはどこの誰だったかな」 「もう! ギルバートさんの意地悪!」 ギルバートは呵々大笑した。 「悪い悪い。もう寝なさい」 「うん!」 ニコラスは部屋に引っ込んだ。カレンが言った。 「クロエさん、私、上手く行くかどうかわからないけど、やってみます」 「がんばって。カレン。ところで、いつここに帰ってくるの?」 「さぁ……」 「なるべく早く帰ってきてね。私はあなたに期待してるから」 「はい!」 カレンは元気よく返事をした。 どうしてクロエはこの無名の女の子にこんなに肩入れしているのだろう、と思った。それは、カレンには才能がある。その才能に惚れ込んだのだろうか。 きっとクロエは忙しい女性だ。カレンにばかり構ってもいられないはずだ。 「私ね……事情が許せば、あなたの専属になりたいの」 クロエがぽつんと独り言を喋った。 「それって、私のマネージャーになりたいってこと?」 「ええ。そうよ、カレン・ボールドウィン。私はあなたの才能に惚れたの。でもね、周りが許してくれないのよ。だって、私みたいな有能な女、放っておかれるわけがないでしょ?」 「自分で有能って言うの?」 カレンは笑った。他の人達も。リチャードは微笑ましくそれを聞いていた。 しかし、さすが有能なだけあって、カレンの才能に目を止めたか――リチャードは思った。 (がんばれ、カレン) 娘の成長を見守る父親のように。リチャードは目を細めた。 「ギルバートさん……私、どこまでやれるかやってみます」 「ありがとう」 ギルバートが穏やかな光を目に湛えて礼を言った。 (カレンにはこんなに仲間がいる) 自分の時はどうだったであろうか――アイリーン、龍一郎、ジェシカ――。 それから、アルバート。 ロザリーには悪いことをした。今更償えるものではないが。 アリスやカレンが故郷に帰るなら、私もまたロザリーの墓参りに行こう。私にできるのはそれしかないのであるから。 ロザリー……。 愛していた。女として、一人の人間として。 けれど、当時はそれがわからなかった。相手が亡くなった後でそれがわかるなんて。 人はリチャードの恋を、愛から来たものではない、というだろう。自分もそう思っている。けれど、ロザリーが死んだことでリチャードは初めて彼女を愛することができた。それは幻影に対する愛かもしれないけれど。 死と共に消ゆ。 どこかの本で読んだ言葉だ。私も消える。カレンも、リョウも、アリスも――。龍一郎達は天国へ行くかもしれない。それでも、この世からは消える。 ギルバートは、リチャードより先に逝くかもしれない。みんな、彼の死を悼むだろう。 息子にギルバートを託そうか。しかし、ギルバートはきっと病院で死ぬより、舞台で――いや、映画に出演してから死ぬ方が本望であろう。入院するなら、多分映画がクランクアップした後だ。 クロエは帰って行った。 ケヴィンはリチャードの家に泊ることになった。――ロナルドが泊って行ってもいいと勧めたのを断ったのだ。 ケヴィンは、 「リチャードん家は旨い酒がいっぱいあるからなぁ」 とほざいていたが、要はリチャードと過ごしたかったのであろう。リチャードもケヴィンと話がしたかった。その代わり、リョウがロナルドの家に泊ることになった。リチャードはケヴィンとタクシーで自分の家に向かった。 「リチャード……俺がいなくなってからどうしてた?」 酒を啜りながらケヴィンが訊いた。 「別にどうもしないさ」 「冷てぇな。俺達親友だろ?」 「おまえはさっさと南米へ渡って行ったじゃないか。その後連絡も寄越さず」 「おお、すまん。でも、連絡を寄越さなかったというのは誇張じゃないか?」 リチャードの酒は静かだった。酒を飲む姿も端然としていた――と、後に彼の友人は語る。ケヴィンの酒は陽気な酒だ。しかし、今は騒ぎもしないで淡々と話していた。 「リチャード。リョウは画家の学校に行ってるんだろ? 作品とかないのか?」 「そこにある。クリスマス期間中は専らそれを描いていたよ。驚くべき集中力だった」 イーゼルには布がかかっている。 「見ていいか?」 「そういうことはリョウに訊け」 「いいってことだな」 ケヴィンは独り決めして布を剥いだ。美しい黒髪の女性の姿が現われた。 「カレンか? こりゃ……カレンより美人だが……」 「アイリーンだ」 後ろからリチャードが口を出す。ケヴィンが涙ぐんだ。 「そうか……でも、カレンも入ってるな。馬鹿だな。あのマザコン坊や。叶わない恋をしてさ……」 2013.8.10 かつてのスターに花束を 28 BACK/HOME |