かつてのスターに花束を
26
「あら? そこの男前な青年は?」
 アーサー・リョウ・柊は後に語る。彼がクロエを気に入った理由は二つ。
 リョウをちゃんと青年と認めてくれたこと――彼はその長髪と父親譲りのくりくりしたまなこのせいで女性に間違えられることも少なくなかったのである。
 男だと知ると、相手が男だった場合、勝手に残念がられたりする。それが死ぬほど嫌だったという。
 それから――
「リョウね。初めまして」
 と、手を差し出したこと。
 いきなり『リョウ』とセカンドネームで呼ばれたことがますます彼の気に入ったらしい。
 話に戻ろう。
 クロエは言った。
「そちらの色黒の方は?」
「あ、俺ですか? 俺はケヴィン・アトゥングル。どうぞお見知りおきを。アフリカ系だけど生まれはニューヨークです」
 黒い滑らかな肌にもじゃもじゃの毛。ケヴィンは一目で黒人とわかる。クロエは遠慮して『色黒』と言ったのだ。だが、そんな気遣いは無用だった。クロエはケヴィンの直截さが気に入ったらしい。
「クロエ・J・バーンズです。クロエとお呼びください。ミドルネームで呼ばれるのはあまり好きではないので。でも、私が嫌いで嫌味を言いたい方はどうぞミドルネームのジャゴバーグとお呼びください」
 笑い声が洩れた。
「現に私の上司は私をジャゴバーグと呼びます」
 そこでみんなどっと笑った。特にケヴィンは笑いに笑った。
「いや、楽しいゲストじゃないですか。ねぇ、クロエさん、ロナルドさんはあなたを待っていらしたんですよ」
 笑いで涙目になりながらケヴィンが教えた。
「すみません。パーティーをはしごしていたもので」
「クロエさんほどの女性になると、いろんなところからひっぱりだこでしょうね」
「ええ。それで、休みを取るのが大変。休憩させてくださる?」
「もちろんですとも」
 ロナルドがクロエを中へと誘う。
「おーい、アリスちゃん。スープ温めてくれ」
「はーい」
 アリスの明るい声が聴こえる。元気に溢れた声だ。
 リョウはどうしてカレンにこだわるのだろう、とリチャードは思った。アリスはあんなに可愛くて素直でいい子なのに。
「いい子だな、アリスは」
「――ギルバート、君もそう思うか」
「ああ。第一印象は最悪だったけどな」
 そう言って、ギルバートはリチャードに向って笑う。
 それにしても――と、リチャードは思う。アリスはどうやって『十月亭』の場所を知ったんだろう。
 チャーリーに訊いたのかな。
「ねぇ、アリス」
「何ですか? リチャードさん」
「どうやって『十月亭』の場所を知ったんだい?」
「チャーリーさんに訊きました」
「ぼくねぇ、迷子になって困ってたの」
 ニコラスが口を挟む。
「あたしもね、迷子になってたの。だからね、一度ニコラスと二人で元来た道を戻ったの。そしたら途中で『十月亭』の看板が見えたから」
「アリスお姉ちゃん、自分も迷子だなんて一言も言ってなかったじゃない」
「ニコラスを不安がらせると悪いと思ってね。それにちょっと恥ずかしかったし」
 誰もがくつろいでいた。少なくとも今は。
 さっきまでのぴりぴりした空気はどこにもなくなっていた。ギルバートはスープのお代わりをしたし、カレンも微笑んでいた。
 ――ああ、来客の力は強いな。
 リチャードは感心していた。ロナルドが言った。
「ありがとう。アリスちゃん。リョウ。それからケヴィン。来てくれて」
「いえいえ。あたし達も楽しんでるから」
「それにしても、どうやってカレンを引っ張りだしたの? カレンを説得したのは誰?」
 クロエが眼鏡の弦に手をかける。
「リチャードさんよね」
 と、アリス。
「うん。リチャードさんだ」
 リョウも頷いた。
「ディックはどんな魔法を使ったんだろうな」
「ディック?」
 ケヴィンの台詞にクロエは眉を顰めた。ディックとはリチャードの愛称でもあると同時にスラングでもあるからだ。が、クロエは非難の意味を込めて眉を顰めたわけではないらしい。こう言ったからだ。
「あなた、ディックと呼ばれるの嫌でしょ? リチャード」
「ああ」
「私もジャゴバーグって呼ばれるの嫌なの。同じね。私達」
 和んだ空気が流れた。
「このスープ、美味しいわ。パセリがきいてるわね」
「スープ自体はインスタントですがね」
「材料さえあれば本格的なコンソメスープをこさえてあげますわ」
 アリスがロナルドの意趣返しに応えた。
 だが、ロナルドも負けてはいない。
「今度までにはホワイトハウスの御馳走の材料もかくやという品をどっさり揃えておくからね」
「楽しみにしてるわ」
 ロナルドとアリスはにやりと笑い合った。
「それにしてもリチャードさん……どうやってカレンを外に……」
「小さいことにはこだわらないでください。クロエさん。彼女が自分の意志で立ち上がるお手伝いをしただけです」
「負けたわ。リチャード。あなたには」
 クロエはスプーンを持ったまま両手を上げた。
「わかった。私も小さいことにはこだわらないわ。カレン。仕事を頼んでいいかしら?」
「ええ」
 カレンは緊張した面持ちで首を縦に振った。
「まずはギルバートが主人公の話を書くこと。今までのは今までのでとっておいて」
 クロエが指示する。カレンは頷いて言った。
「それは仕事だからやります」
「ありがとう。気が進まないかもしれないけど、宜しくね」
「はい」
 この頃になると、リチャードもクロエがレズビアンかもしれないという疑惑を心の中から一掃した。
 彼女はつまり、人間が好きなのだ。
(彼女もカレンの処女作の方が気に入っているんだ――)
 だが、リチャードとロザリーの一夜のことについては想像とはいえ突き止めてしまったカレンなのに、ギルバートのガンの再発については全然気付かなかったらしい。
 カレンは好奇心は溢れているのだが、関心のあるものにしか洞察力が働かないらしい。だが、物書きはそれでは駄目だ。
 将来性は感じるが、今のままでは脚本家として一本立ちできない。クロエのようなブレーンがいれば、と思うのだが。
 クロエは目の回るほど忙しいはずだ。スケジュール帳には予定がびっしり、というのは簡単に想像できた。それでも言わねばならぬ。
「クロエさん、カレンを宜しくお願いします」
 クロエはリチャードをじっと見つめた。
「リチャード、あなたカレンのお父さんみたいね」
「え?」
「うん、そうなの」
 カレンが脇から答えた。
「私、去年父親を失くしているから――ロナルドさんやリチャードさんを見るとつい父を思い出して。母も寂しい思いをしているはずなんだけど……私、母やロナルド叔父さんの好意に甘えてここにいるの。私、今までずっと自分は一人だと思ってたけど、一人じゃなかったんだ……」
「あたしも親が止めるのも聞かずにリョウに会いたさに飛び出して来ちゃったしなぁ……両親が揃ってるというだけで幸せなことなのに……」
「そっか――カレンのお袋さんも、それからアリスの両親も寂しさを噛み締めているかもな」
 リョウがしみじみと頷く。それをアリスが引き継いでこう言った。
「そうだね。あたしももう帰るから……カレンさんもお母さんの為に帰ってあげて」

2013.6.16


かつてのスターに花束を 27
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