かつてのスターに花束を
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 サンドイッチとコンソメスープが食卓に並ぶ。
「ロナルドさん。台所お借りしました。ありがとうございます」
 と言うアリスにロナルドは、
「いやいや」
 と、ぴらぴらと手を振った。
「こちらこそ助かったよ。こちらこそどうもありがとう。アリスちゃん」
「それにしても――」
 と、ギルバートが口を挟んだ。
「俺はどうも誤解してたらしいな。アリス。アンタのことを」
「わかればいいのよ」
「私がカレンを説得している間、何があったんだい?」
「――ああ、リチャード。ギルから聞いた方が早いよ」
 リチャードの問いにケヴィンが答えた。
「俺は……アリスを見ててっきりハリウッドの女優志願の子かな、と思ったんだ。でも、そんな女はいっぱいいる。勝ち目はないぞ、と言おうとしたんだが――」
「あたし、ハリウッドなんかに興味ないわ。リョウと子供達と一緒に暮らすのよねぇ」
 アリスはリョウに笑いかけた。リョウは黙っていた。
「それにあたし、好きでこんなソトミに生まれてきたわけじゃないわ」
「だ、そうだ。俺はさっきも聞いたがな。いい子じゃないか。リョウ、この子と結婚するつもりなら、式には必ず呼んでくれよ」
「冗談じゃないすよ、ギルバートさん」
 リョウがほとほと困った顔で頭を掻いた。
「でもギル、おまえも悪いぞ。アリスに喧嘩なんか売ったりして」
 と、ケヴィン。
「いやいや。なになに。映画人とか女優とかいう連中に会うのは食傷気味なもんでね。つい攻撃的になっちまった」
「リチャードだって俳優だぞ」
「でも、リチャードにはただの俳優にはない何かがある」
 それは、満更お世辞でもなかったらしい。ギルバートの顔に浮かぶ笑い皺。
「カレンさん。このところあまり食べなかったんだって?」
 リチャード達を無視してアリスがカレンに話しかける。
「え――ええ」
「だめだよ。食べなきゃ。サンドイッチが重いなら、せめてコンソメスープぐらい飲んでよ。ね? インスタントなのが残念だけど」
「インスタントで悪かったな」
 ロナルドの鼻下髭の間からは苦笑交じりの口元が覗いていることだろう。
「でも、コーヒーには凝ってるんだからな」
「コーヒーはインスタントじゃだめって言ってるものね。いつも」
 カレンが言う。
「ああ。コーヒーは豆から煎れないと納得できないんだ」
「こだわりがあるのよね。叔父さんには」
「ロナルドおじさんが煎れてくれたコーヒー、おいしいよ」
 ニコラスも話題に混ざる。
 時間はたちまち過ぎて行く。
「バーンズさんとやらは?」
 ケヴィンが尋ねる。
「もうすぐ来るだろ? 時間は過ぎてるけど」
「ふぅん……」
 リチャードが時計を見た。時計は一時半を回ろうとしていた。まだ新年の興奮も冷めやらない。今も『十月亭』ではパーティーが行われていることであろう。もうとっくに夜も更けたが。
「ニコラス――もう休んでいろ」
 ギルバートの台詞に、
「いやだよ。ぼくだって今日ぐらい夜更かししたい」
 とニコラスは反駁した。
「ギルバート、せっかくの新年だ。いさせてやれ」
 リチャードが言う。ニコラスの目はぱっと輝いた。
「リチャードさん。やっぱりリチャードさんは話がわかるね!」
「やれやれ。今日だけだぞ」
「うん!」
 ニコラスは元気よく頷く。
(よく懐いてるな、ギルバートに)
 と、リチャードは思った。一体、ギルバートとニコラスはどういう関係なのだろう。
 だが、それよりも今はカレンの方が気懸りだった。
「カレン……元気出たか?」
「うん……まだ本調子じゃないけど」
 カレンの言葉にリチャードは微笑んだ。悲哀の混じった感情がリチャードの胸を食んだ。
「カレンはこのところあまり食事しなかったんだ」
 ギルバートが言った。
「うん。だからぼく、カレンお姉ちゃんはずっとハンストしてたんだと思ってた」
「それでも少しは食ったけどな」
 ギルバートが笑顔でニコラスの頭を撫でる。
「それよりさ――バーンズ女史、まだ来ないのかな」
「新年早々仕事するたわけもいないだろ」
 ロナルドの疑問をギルバートが切り捨てた。
「バーンズ女史は盆も暮れも休まない人だよ」
「そうか――クロエについてはロナルド、俺よりアンタの方が詳しい」
 ギルバートは認めた。
「バーンズ女史って?」
 アリスがロナルドに訊いた。
「版権代理人だよ。映画の脚本を扱っている。クロエ・J・バーンズに認められればその脚本家は一流と見做されたことになる」
「ふぅん。えらいんだ」
「そう。えらいんだ」
「で、そのえらい版権代理人さんはまだ来ない、と」
「そういうことになる。――ところで、クロエ・J・バーンズの名前に関する話知ってるかね?」
 アリスが首を横に振った。
「Jというのはジャゴバーグという名前の略だよ。女史は嫌だと思っているようだがね」
「何で?」
「何でということもないが、あまり聞かない名だろ? 変な名前だから嫌いなんだろうよ」
 エレインと正反対だな――。聞くともなく聞いていたリチャードはロザリーの一人娘のことを連想した。リトルトンもかなり変な名前だが、エレインは響きが気に入っているからと、堂々と名乗っている。
 インターホンが鳴った。
「おっ、来たな」
 ロナルドがドアを開ける。
 ほう。これがクロエ・バーンズ女史か。リチャードは興味深げに眺めた。
 ピンクのツーピース。白い上着。高い赤のハイヒール。アップにした金髪。フレームレスの眼鏡。化粧は寸分の隙もなく決まっている。いわゆる『できる女』だな、とリチャードは判断した。
「これはこれは。多士済々で結構なことですこと」
「なぁに、内輪でひっそりと食事をしたり話をしたりしていただけですよ。バーンズさん、料理ならあなたの分もありますよ」
 ロナルドが笑う。
「あなたがバーンズさん?」
「あら。この可愛いお嬢さんは?」
 アリスを見てクロエの目がちかりと光った。もしかしてこれは――。
(クロエというこの女はレズビアンなのではないだろうか……)
 リチャードは思ったが、心の中にその疑惑は閉まっておいた。
「アリス・シャロンです。宜しく」
「アリスね。素敵な名前じゃない? ちょっとありふれた名前のような気もするけど。――クロエ・バーンズよ。宜しくね」
 クロエはアリスに手を差し出す。クロエはさすがにリチャードのことは知っていたがリチャードは彼女を知らなかった。クロエは、ギルバートやニコラス、そしてカレンとは以前からの知り合いのようである。

2013.4.23


かつてのスターに花束を 26
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