かつてのスターに花束を
24
「ギルバート……」
 リチャードが遠慮がちに声をかけた。
「やぁ、アンタらか」
 ギルバートは皮肉げに口を歪める。笑ったのであったらしい。ぎゅっと煙草を灰皿に押し付ける。
「そっちの金髪の娘、どこかで見たな」
「こんにちは。アリス・シャロンです」
「そうか……ま、アンタクラスの女はどこにでもいるからな。胸はでかいが頭は空っぽで。一山百円てなもんだ」
「まぁ、失礼ね!」
「ギルバートさん。それはアリスに対する侮辱です。謝ってください」
 リョウが静かに謝罪を要求した。ギルバートはにやりと笑った。
「おい、リョウ。アリスちゃんとやらはアンタのこれかい?」
 小指を立てる下品な仕草にさすがのリチャードも鼻白んで眉を顰めた。
「そんなんじゃありません。確かに俺達は友達ですが……」
「リョウ……」
 次の瞬間、アリスはリョウに飛び付いた。
「嬉しいわ! リョウ! あたしのことかばってくれるのね」
「わっ!」
「ふふん。おまえさんにゃその小便くさい頭がパーな女がお似合いだよ」
「ギルバート! 俺にも謝れ!」
 リョウからはつい乱暴な言葉が口をついて出た。リチャードは溜息を吐いた。
「アリスお姉ちゃんは僕を案内してくれたんだよ」
「そうかい――ニコラス」
 ギルバートはさっきの話を追いやって、傍にやってきたニコラスの頭を撫でた。子供には優しいらしい。
「ま、済まなかった。アリス、リョウ」
「いえいえ」
 リョウが言った。アリスはまだはらわたが煮えくりかえるらしく、腕を組んだまま鼻息も荒くギルバートに背中を向けてしまった。
「女の扱いは難しいな」
 ギルバートは肩を竦めた。
「まぁな――しかし、アンタも悪いんだぞ」
 と、ケヴィンが言った。
「なぁ、アリス嬢。さっきはあんなことを言っていたが、ギルバートは口は悪いけど、心根は真っ直ぐな奴だ。それに役者としては超一流だしな」
「そんなこと――わかってるわよ」
 おお、ケヴィンの言うことを聞くなんて、アリスも頑固だが満更分からず屋ではなかったようだ。いや、頑固さでいえば、むしろカレンの方が――。
「ロナルド、私がカレンを説得してみてもいいかな」
「ああ、いいよ。リチャード。アンタの話だったら聞くかもしれない」
 取り敢えず、リチャードはコンコンコン、と三回ノックした。返事はなし。ここまでは予想通りだ。
「入るよ。カレン。入れなかったら鍵を壊す」
 かちゃり、と扉が開く。カレンは幽鬼のような表情をしてた。
「カレン!」
「カレンさん!」
 リョウとアリスが扉へ殺到するところへ、
「リチャードさんだけよ」
 そう言ってカレンはリチャードだけを入れるとドアをバタンと閉じてしまった。
「カレン……」
 カレンは黙ったままでいる。
「済まなかった。私のことは顔も見たくなかったろう」
「ええ――そうね」
 リチャードはカレンをギルバートから護ろうとした。――護り切れなかった。
 ギルバートの決闘の申し込みを拒まなかったのは、彼のことも好きだったから。
 それに――自分のロマンを最優先させたかったのかもしれない。リチャード・シンプソン。もやしのように白いと言われた男でも、男の矜持があるのだ。
「馬鹿げていた――そう思ってるだろうね」
「ええ――」
「男はみんな馬鹿だよ」
「――ええ、そうね、そうね! リチャードさんの馬鹿!」
 カレンが目元を涙で濡らした。そしてリチャードの胸倉を叩く。
「何であんな男と決闘なんかしたの! 私のこと、物か何かと勘違いしてたんでしょ! 男なんてみな同じよ!」
 カレンの目が反逆に燃えていた。だが、その方がいい。一人で鬱屈しているよりは、それを誰かに現した方がいいのだ。
(怒りをぶつけろ、カレン。私は本来のおまえを取り戻したい)
 リチャードは、哀しみと慈愛の目を込めてカレンを見た。
 カレンは変わった――と、同時に変わっていない。何があったのか、リチャードにはわかる気がした。やがて、カレンが落ち着いて来た。リチャードは訊きたいことを問うた。
「ギルバートと――寝たのか?」
「いいえ――誰があんな男と。でも、誘いはあったわ」
「一度だけか?」
「一度だけよ。でも――それからギルバートの視線が怖くて……」
 カレンは自意識過剰になっているのではないか、とリチャードは思った。多分、自分の作った世界に凝り固まって、現実の『カレン・ボールドウィン』としては今まで生きてこなかったのだろう。だから、現実を鋭い刃で切り裂くこともできたのだが。
 彼女は性的に真っ白だ。こんなことは言うつもりはないが、カレンはまだ処女だろう。――自分の世界が何より大事な、高い塔の上にひっそり本を読みながら――いや、本を書きながら暮らしている、真面目な文学少女。
 でも、それが彼女の魅力なのだ。意に染まぬ相手とセックスするぐらいなら一生処女で暮らした方がいい。
「カレン。今でもギルバートみたいな、ああいう手合いはなくならない。嫌なら嫌とはねのけなければ」
「はねのけたわ。――それから、ギルバートは手を出して来なくなったけど」
「それは偉い。でも、それで君を諦めたのだったら、ギルも案外紳士なのだな」
「あたし、あの人嫌い!」
「まぁ、好き嫌いは分かれるだろうな――彼は生きることに必死だ。それをわかってやってくれ。今、彼の生命は危機に晒されている」
「あの人――病気なの?」
「ガンだ」
「でも――確か治ったはず……」
「再発したんだ。……マスコミには伏せてあるようだがな」
「そんなことを……誰から……」
「ケヴィンに確かめてみたよ。私の息子から聞いたらしい」
「息子って……息子さん、マスコミの人?」
「いや、ロサンゼルスで医者をやっている。私とは滅多に話はしないけどな」
「ロサンゼルス――」
 カレンは遠くを見るような目付きに変わった。
「ロサンゼルス――もう一度行ってみたいわ。アイリーンさんや柊牧師にもまた会ってみたい――あのお茶、最高だった……アイリーンさんは私に淹れ方を教えてくれて……」
「この部屋を出れば、ロサンゼルスでもどこでも、好きな場所に行けるんだよ」
 リチャードの優しい声音に、カレンは、はっと警戒心を呼び覚まされたようだった。
「行かないわ――どこにも」
「――と、頑なになっていた時期が私にもあったよ。私は子供の頃は喋れなくてね――心の中に秘密を持っていたからさ」
「秘密?」
 カレンの好奇心が疼いたらしかった。――いいぞ。その調子だ。
「その秘密は今は言えない。だが、自分の殻に閉じこもっていた時期があった。誰も自分を救えない、とね。差し伸べられた手も全て振り払った。だが、ある日、外の世界に一歩踏み出した時、みんなは私を支えてくれた。励ましてくれた。私は、世界が私に優しいものであると知った」
 君もきっと気付くであろう――。朝目覚めた時、望んでいたものの中にある自分に。
 それはどこで読んだ文だったが覚えていないが、素晴らしい言葉として、心の中のスクラップブックに貼り付けてあった。
「今度は君の番だ」
 リチャードは手を差し出した。――カレンはその手を取った。
 さぁ、行こう。希望への扉へと。
「カレン!」
 アリスがカレンに抱き着いた。些か意外な展開だった。
「まぁまぁ、こんなに痩せちゃって。まぁいいわ。あたしコンソメスープとサンドイッチ作ったげる。あたし料理得意なの」
「そうか……もうすぐバーンズ女史が来る時間なんだが。アリスちゃんだっけか? 彼女の分も作ってあげておいてくれ。初対面の女の子にこんなことを頼むのは悪いんだが」
 ロナルドの注文をアリスは快諾した。

2013.3.6


かつてのスターに花束を 25
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