かつてのスターに花束を
23
「ギルバート・マクベイン?」
 ケヴィンがニコラスに近づいて膝を屈めた。視線が相手と合わさるように。
「はい。それで、リチャードさんに」
「アンタ、ギルの何だよ。隠し子か?」
「違います。――そうだったら嬉しいけど」
「?」
 ケヴィンにもどうも話がよくわからないようだ。『十月亭』の客達は遠慮することを知らないらしく、どんちゃん騒ぎを決め込んでいる。
 その時、女の呼ぶ声がした。
「ニコラース! ニコル!」
 金色巻き毛の可愛らしい女の子が現われた。黒い毛皮を着ている。新年だからめかしこんだのだろうか。
「げっ! ……アリス!」
 リョウの押し掛け恋人のアリス・シャロンであった。――アリスはリョウのところへ駆け寄った。
「元気してたー?! ダーリン! 浮気してなかったー?」
 アリスはリョウにキスの雨を降らせた。
「浮気って……俺とおまえの関係はそんなんじゃねぇっての!」
「あたしのこと、正妻にしてくれるんでしょ?!」
「だーれがっ!」
 それは微笑ましい光景でなくもなかったので、リチャードはついにやにやした。
「助けてよ、リチャードさん!」
「もてて良かったじゃないか。リョウ」
「俺にはカレンがいるのに――もうっ!」
「あ……あの……」
 隅で小さく縮こまっていた男の子が勇気を奮い出したように声をあげた。
「おーい。ちょっと静かにしてくれ。お坊ちゃんが何か言いたそうだぞ!」
 ケヴィンが声を張り上げた時、演奏はぴたっと止んだ。ケヴィンの神通力は健在だったと言うことか。
「さぁ、喋れ」
「あ、あの……リチャードさん。お願いです。カレンさんを説得してください」
 周りは水を打ったようにしーんとなった。
「君、ギルバートのことで来たんじゃなかったの?」
 ケヴィンの疑問は尤もだ。
「そうなんですけど――カレンさんにも関係があるんです」
「カレンが?!」
 カウンター席でコーラを飲んでいたリョウが立ち上がった。
「カレンはどうしてる? 元気にしてるか? あ、もしかしてギルバートがまた無茶言ってんじゃないだろうな」
「無茶を言ってるのはカレンさんの方です!」
 ニコラスが泣きながら大声を張り上げた。
「リョウー。だめじゃない。こんな子供追い詰めちゃ」
 アリスが持っていたハンカチを取り出してニコラスの涙を拭いた。
「俺を追い詰めてるおまえが言うな! これはおまえの弟か?」
「ううん。通りすがりに道聞いてきたから、送ってあげたの」
「それは感心だ」
 リチャードは笑顔でうんうん頷いている。ニコラスは、
「ありがとう、お姉ちゃん」
 などと言っている。
「あのね、リチャードさん。こいつは今ロスにいるはずだったんでしょ? 何でここにいるんだよ」
「脱走してきちゃった」
 アリスはそう言って悪びれもせずに舌をぺろり。
「ぼく、アリスお姉ちゃんがいて助かっちゃった。『十月亭』って、名前しか知らなかったんだもの」
「ここも物騒になったしね。真夜中に一人で行かせちゃ危ないと思ったの」
「私が『十月亭』にいることを誰から聞いたんだい? アリスお姉ちゃんからかい?」
「ううん。知らないおじさん」
「あまり知らない人に声かけるんじゃないよ。危ないからね」
「リチャードさんの言う通りよ。君、可愛いから」
 アリスも保証済みだ。
「でもリョウがここにいるとは思わなかったわ! 私達って、運命の赤い糸で結ばれてるのね!」
「違う。――と言ってもききゃしないだろうがな、俺はここでカレンを待ってたの!」
「あら。カレンならロナルドの家にいたのよね、ニコラス」
 アリスの問いかけにニコラスは、うん、と頷いた。
「なにーっ?! それを早く言え!」
「あーあ、リョウってば二言目にはカレンさん、カレンさん。お母様は確かに美人だったけど、代償行為は良くないと思うわ」
「だいしょう……え?」
「つまり、あなたはお母様の代わりを探しているのよ! だけど見つかりっこないじゃない。あんな素敵なお母様」
 アリス、意外と学あるな、とリチャードはずれたところで感心していた。
「カレンだったら素敵な母になれるよ!」
「あたしだってよ!」
「まぁまぁ、今はそのぐらいにして――取り敢えずギルのところに行くベ。カレンも一緒かい?」
「うん」
 利口そうな目がきらりと光って、ニコラスはケヴィンに返事をした。
「じゃ、行こうか」
「ちょっと待て。おまえも行くのか――ケヴィン」
「そうだよ。アンタも行くよな? リチャード。どうやらキーパーソンのようだから」
「私自身も知らない間に重要人物にされちゃ困るよ」
『十月亭』にはまた音楽が流れ始めた。今度はバイオリンだ。ロマンチックなクラシックが辺りに流れる。
「行こう。エレイン、店は頼んだぜ」
「行ってらっしゃい、ケヴィンさん、リチャードさん」
「俺も行く!」
「あたしも!」
 続けざまにリョウとアリスが出て行った。アリスは無論、ニコラスの手を引いていた。ニコラスもそうしていると安心するみたいだ。
『十月亭』のことは誰から聞いたのだろう。ニコラスは。リチャードがあの店の常連だということを知っている酒飲み友達は、チャーリーかブライアンか――ロナルドも知っているはずだが。
「ねぇ、ニコラス。どんな人から『十月亭』のことを聞いたんだい?」
「んとね、茶色の髭を生やしたおじさん」
 ――とするとチャーリーだな。茶色い髭だからチャーリーというのは、神様も意外にイ―ジ―だなと思うのだが。
「ニコラス、ギルバートはどこにいるんだ?」
「エイヴリーおじさんのとこ!」
「――そうか」
 リチャードの中で、何かが繋がったような気がした。カレンとは何か運命的なものがあるに違いない。たとえそれがアリスの言う『赤い糸』でなくても。
 かと言って、腐れ縁、じゃカレンに失礼だ。アルバートとのことは完全に腐れ縁だったが。ケヴィンとの関係もそうだ。
 カレンとはまた会えるような気がしていた。でも、こんなに早くとは思わなかった。
 高層マンションの一室。ニコラスはチャイムを押す。ケヴィン、リチャード、アリス、リョウが居並ぶ。
「どうぞ。入って」
 リチャードの旧友のロナルドが言った。ロナルドにしてみれば、さぞかし私との関係も腐れ縁だってわめくだろうな。
 もうもうと煙が流れ出す。ロナルドは少しやつれたように見える。冴えない顔色のせいだろうか。
「ロナルド……痩せたな」
「おかげさんで。俺も辛酸を舐めて来たつもりでいたけど、今回ほどではないな」
「終わったら何か食いもの食べに行こう。今のおまえはゾンビみたいだぞ」
 リチャードのジョークに、ロナルドは、は、は、と笑った。――おまえはケヴィンに似てきたな。この台詞は彼なりの意趣返しのつもりだろう。勿論、リチャードは相手にしなかった。
「カレンは?」
 リョウは勢い込んで聞いた。
「ん? 部屋にいるよ。ずっと閉じこもってる。――誰とも会いたくないんだそうだ。ギルが見張るように突っ立っているよ」
 ロナルドは困ったように掌を上に向けて肩を竦めた。ロナルドは煙草を滅多に吸わない。じゃあ、この煙はギルバートか――とリチャードはあたりをつけた。ガンが進行したらどうするつもりだ。あの男はどうやら体をいたわるということを知らないらしい。

2013.1.24


かつてのスターに花束を 24
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