かつてのスターに花束を
22
「さらば1988年! ようこそ1989年!」
 ケヴィンが乾杯の音頭を取ると、『十月亭』内にわーっと歓声が上がった。
 バンジョーをかき鳴らす者もいる。ここ『十月亭』は騒音と新年を迎えた喜びの声に包まれた。
 エレインはケヴィンとリチャードにそれぞれキスをする。
 しかし――。
 リョウはカウンターの隅の方でコーラを啜っていた。蓮っ葉な感じの女性が近寄って来たが、すげなく追い返した。相手の女性はぷりぷり怒りながら彼の傍を離れた。
「――どうした? リョウ」
「リチャードさん――カレンはここに来るでしょうか」
「さぁ、どうだかね」
「冷たいじゃありませんか。俺はカレンに会えるかもしれないと一縷の望みをかけてこの店に来たというのに」
「そうか……」
「俺、待ってます。ギルバートさんがカレンを返してくれるのを」
 カレンの態度は硬化している――ロナルド・エイブリ―から聞いた話によると、どうもカレンはギルバートにどうしても靡かないようだ。
 だからこそギルバートは彼女に惹かれたのだろうな――と、リチャードはこっそり思う。
 男なら、どうしても手に入らない花を手折ってみたい誘惑に駆られる時がある。リチャードはアイリーンにそれを感じた。
 アイリーンは愛する夫と息子を得た。幸せになって欲しいという気持ちに嘘偽りはない。
 だが――惜しいことをしたとも思う。これは誰にも内緒だが。酒が回って来た時だけ、密かに呟く。
 しかし、アイリーンと自分とでは、到底幸せになれなかったであろう。リチャードはこう言っては何だが、昔は浮気者だった。女などとっかえひっかえだった。
 映画スターでハンサムと来れば、もてない方が不思議だ。リチャードは上手く立ち回ったが、ケヴィンに言わせると、
「向こうも海千山千だぜ」
 というところか。ただ、ロザリーのことだけは誤算だったが。
「私、結婚やめる。あなたと暮らす」
 そう言った彼女を何とかして追い払ったら、今度は彼女はアルコールに走った。
 アルバートは大激怒。もう二度と仲直りできそうもなかった。
 リチャードはアルバートにはいろいろ迷惑をかけられ通しなのであいこだと思ったが、ロザリーを巻き込んだのは悪かったと思っている。生涯の汚点だ。
 ――私はこの罪を背負って生きて行く。
 思えば、人はなんて重い荷物を背負いながら生きているのだろう。
 牧師である龍一郎でさえ例外ではない。ただ、神を信じて生きて来たあの男は、清々しいまでに明るい。
 リョウもその血を引いている。そのうち立ち直るだろうと思っている。
 しかし、カレンは今どうしているだろうか。
 噂によると、一度ギルバートの実家があるところに連れて行かれたらしい。ギルバートの故郷――西部か。あの男は西部の開拓者といった役柄がふさわしい。
 しかし、今はまた戻ってきているようだ。情報通のケヴィンによると。いや、ケヴィンは確かに情報通だが、興味のないことに関してはあまり知らない。ギルバートのファンだと言っていたが、近頃ますます興味をそそられているようだ。だから、彼の動向に関しては詳しい。
 カレンはまだ、ギルバートに対して頑ななままだろうか。
「おっ。いやに辛気臭い顔してるじゃないの、ディック」
 ケヴィンだ。ディックと呼ぶな、と言うのもいちいちかったるく、リチャードは、
「カレンのことを考えていた」
 と答えた。
「ああ、そのことか。リチャード。おまえさんが気に病むことはないよ。アンタはできることを一生懸命やったんだ」
「けれど、リチャードさんのせいでもありますよ」
 リョウが言った。
「おまえさんだって最終的には反対しなかったじゃねぇか、坊や」
「坊やは止めてください、ケヴィンさん。――こうなるとわかってたら止めてました。だけど、リチャードさんが考えがあるって言ったから――」
「ディックにばかり責任を負わすことは止めな。俺だって焚きつけたんだから」
「そうですよ。ケヴィンさんが二人を決闘の方に持ち込んで行くから――」
「だって、あんな面白いこと、黙って見てられるかってんだ。協力するのが筋ってもんだろ」
「ああ、もう! リチャードさんもケヴィンさんも何考えてるんですか。命を玩具にしてはいけない、と親から習わなかったんですか!」
「生憎だが坊や。人間みんながみんな、恵まれた環境で育ってきてるわけじゃないんでね。リチャードだって両親を押し入り強盗に殺されてんだから」
 ああ、そうだ。
 リチャードは思った。私を救ったのは、アルバートだったな。
 生涯で最初の友。憎むべき敵。アルバートはそのどちらでもあった。
 もう会うこともない。彼は死んだのだ。ロザリーのあの騒動の後で。
 ロザリー、何故私だったんだ。アルバートにしておけば――いや、手をつけた私も悪いか。ロザリーの惚れた弱味につけ込んで。
 だが、それで後ろ指を指す者はここには誰もいない。いたって平気な顔はするのだが。
 もう少ししたらロサンゼルスに渡って龍一郎に会ってこよう。あの笑顔を見てると癒される。ほっとできるのだ。
 彼は『アナザーワールド』を作り出すことができる。龍一郎がいるだけで空気が変わる。
 リョウはまだ環境に振り回されるところがある。だが、もう少し落ち着けば――何と言っても、柊龍一郎と、アイリーン・柊の息子なのだから。
 そういえば、身の回りで彼をファーストネームのアーサーと呼ぶ者はいないな――。
 リチャードの思考はどうでもいいことに移って行く。いいことなのだろう――多分。
「リョウもカレンを迎えに行ってあげればいいのに」
 エレインが言う。
「けど……カレンに迷惑がかかると困るから……」
「ふぅん。リョウも少しは大人になったようね」
「それに、さっきは僕もああは言ったけど、ギルバートさんがそうひどいことをするとも思えないし――あの男、ガンなんですよ。一旦治ったらしいけどまた再発したって」
「そう……」
 エレインは気だるげにふうっと溜息を吐いた。
 人々が陽気に歌い騒ぐ中、カウンター席のこの部分だけが別世界のように思えた。
「僕、本当は怖いんです。カレンを呼びに行ってつっぱねられるのを。僕達が決闘に賛同したことは事実ですし。全然大人なんかじゃありゃしません」
「そういうのを大人になったというのよ」
「そんなもんでしょうか」
「そんなもんよ――もう一杯いかが? 今度はブランデー一滴足らした紅茶でも」
「いえ。遠慮しておきます」
 リョウが辞したのをリチャードは見届けた。
「私にはくれるかな」
「はい。もちろん」
 エレインは笑顔が母親に似ている。胸が痛くなるのはこういう時だ。尤も、リチャードも年なので、体にガタが来ているからかもしれないが。
 紅茶は熱く、甘く美味しかった。
 リョウはずっとカレンを待っているのであろう。――だが、多分来ない。
 ケヴィンはダンスの輪の中に入り込んでいる。こんな時によく踊れるな、と思ったが、そういう男なのだ。ケヴィン・アトゥングルは。
 無責任なようでいて、見ているところはちゃんと見ている。
 だが、本人は放埒な楽しみの方が好きらしい。バンジョーをかき鳴らしている男が声を張り上げて歌う。
 リチャードは、カレンがまだギルバートを受け入れていないのならいい、と思った。何故かは自分でもわからない。ただ、カレンを取られたようで面白くなかっただけかもしれない。
(これじゃ、リョウのことは笑えないな)
 リチャードの口元が歪んだ。
 エレインは他の客の対応に追われている。彼らは陽気に浮かれはしゃいでいる。
 と、その時であった。
 きい、とスイングドアが開く音が鳴った。
 カレンか――?!
 リョウも同じ考えだったらしく、リチャードと同時のタイミングでドアの方を見た。
 それは、利発そうな子供であった。金髪の、襤褸とまではいかないが、あまりぱっとしないいでたちの。だが、青い目は美しかった。
「こら、そこのガキ。子供は酒場に入っちゃいけないんだぜ。それにもう遅いだろ」
「いいじゃねぇか。今日は無礼講だしよ。それに、俺がオ―ナ―やっていた頃は子供もOKだったんだぜ。忙しいキャリアウーマンがここを保育所代わりにしてな」
 ケヴィンが笑いながら客を窘める。
「エレインなんかここの常連だったさ。ガキの頃からな」
「む……」
 男客は黙ってしまった。
「リチャード・シンプソンさんはどこにいますか?」
 綺麗なボーイソプラノ。
「ここだ」
 リチャードが手を振った。この子供は何か用事だろうか。まさか、自分の隠し子ではあるまい。
「ぼく、ニコラス・ゲイルと言います。ギルバート・マクベインさんのことについてお話があります」

2012.12.13


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